19・京都探訪〜知られざる京都・3〜

 「見納め」にかろうじて間に合った僕たちは幸運だった。
 円通寺の借景という、やがて消えゆくであろう美しい景色に心洗われた我々は、再び高級外車ボルボに乗り込み南下を始めた。
 途中、あるところに寄った。

 宝ヶ池にある国立京都国際会館である。
 京都国際会館という建物は知らずとも、そこで行われた会議は誰もがご存知のはず。そう、京都議定書ができあがった「京都会議」が行われた場所だ。
 ここにやってきたのは、やはり環境問題を深く憂慮するクロワッサンとしては……という理由であるわけがない。

 ほら、背後の建物に見覚えがありませんか??

 そう!!円谷プロの名作「ウルトラセブン」の第14、15話「ウルトラ警備隊西へ」でキングジョーに襲われた六甲防衛センター!!
 あの六甲防衛センターって、実はこの国際会館だったのだ(人物が登場するシーンは、芦屋の役場がロケ地だったらしい)。

 ………と、さも知っていたかのように書いているけど、恥ずかしながら僕は、これを書くために念のために調べてみるまで、ずっとこの京都国際会館はウルトラマンの科学特捜隊の基地として使われていたものと思っていた(うちの奥さんがハヤタの変身ポーズをしているのはそのため…)。
 マヌケな間違いだけど、なんとなく似てるでしょ、形……。

 だから、がんばるオジサンがご自身の日記サイトで「ウルトラ警備隊の……」とお書きになっていたのを見て、僕は「ウルトラ警備隊はセブンですよ、ウルトラマンは科学特捜隊です」とツッコミを入れてしまったではないか。

 するとオジサマは大人なので「マニアックですなぁ〜」と言いながら納得してくださっていたのだが……
 間違っていたのは僕で、マニアックな知識をお持ちだったのはオジサマのほうだった!!
 がんばるオジサン、この場を借りて謝罪いたします。

 このあと、がんばるオジサンやうちの母の案内を聞きながらボルボは洛中を縦横に走り、賀茂川沿いに出てきた。
 やおら車を降り、写真を撮る。
 背後には大文字の山。しかし、観たかったのはそれではない。 

 この二人の背後には何が??
 これだ。

 また鳥かいっ!!
 君よ、嘆くことなかれ………。
 すぐ下流で鴨川となる賀茂川だから、鴨……と言いたいところながら、有名なのはユリカモメ(左)。でもせっかくだからついでにカモも。

 ちなみに、このあたりはがんばるオジサンの散歩コースだそうだ。たしかに土手沿いの道は散策にはうってつけに見える。ジョギングするにも心地良さそうだった。
 この賀茂川&鴨川沿いが、我々が沖縄に帰ってほどなくこんな具合になっていたらしい。


〇〇〇〇〇〇〇〇           雪景色の撮影:がんばるオクサマ

 南国にいる我々は雪景色に憧れているとはいえ、冷え込む日は半端じゃないという京都の寒さを考えると、やっぱついていたんだろうなぁ……。
 (ちなみに左の写真のうちの奥さんのポーズは、お天気が良くてセーフ……ではなくて、後に小さく写っている大文字の「大」のマネです……)。

 この鴨川沿いからほど近いところにあるのが、これまたがんばるオジサンの秘蔵スポットだった。
 またしても究極の借景!!


撮影:がんばるオジサン

 曹洞宗のお寺、天寧寺である。
 その山門越しに見る比叡山という景色がまるで一枚の額のようであることから、通称「額縁門」と呼ばれているそうだ。

 そういえば、円通寺は臨済宗だった。
 「借景」という感覚は、禅宗のなせるワザなのかなぁ………。
 こういうところなんて、ついつい金閣寺銀閣寺に目を奪われてしまう我々のような観光客だけだったら一生来られなかったろう。
 その地に詳しい人に案内してもらうと、京都もこうまで違ってくるのである。

 ちなみにここでは、時間の関係もあって罰当たりにも門前でこの風景を楽しませてもらっただけで境内には入らなかったのだけれど、あとあと調べてみたら、なんとこの境内には、あの飛騨高山の礎を築いた金森長近の孫であり、飛騨高山の春慶塗りの創始者、そして当時の京都サロンでのスーパー文化人でもあった金森宗和のお墓があるということがわかった。
 飛騨高山といえば、3年前に訪れた小京都ではないか。その際さんざん名前を見聞きした金森宗和のお墓がここにあったなんて………。

 ああ、ネタ的にも境内に入っておけばよかった……。

 さらに洛中を南下すると、見えてくるのが京都御苑。
 その昔、まだ紅顔の美少年だったがんばるオジサンは、御苑内の御所の壁にボールをぶつけて野球の練習をしていたという。
 なんとのどかな時代だったのだろう……。

 そんな広い広い京都御苑に数多くある門のうち、最も有名なもののひとつがここである。

 ご存知「蛤御門」。
 その詳細は知らずとも、かつてこの門のそばで壮絶な戦いが繰り広げられたということは、たとえ高校で日本史が必修科目ではなかったとしてもご存知の方のほうが多いであろう。
 そう、外交に長けた薩摩に赤子の手をひねるがごとく一夜にして京の都を追われた長州藩が、天皇を御所から奪取して一気に主導権を奪い返そうと、藩運を賭して薩摩・会津連合軍と戦った蛤御門の変(禁門の変)の激戦地がここ蛤御門だ。

 いかに戦闘が激しかったかということは、この門に今も残る弾痕が物語っている。

 この門から先へは一歩も通すまじと長州を迎え撃つ会津・薩摩連合軍、かたや薩賊会奸を討ち果たさんとこの門からの突入を試みる長州軍。
 両者一歩も引かない激闘が繰り広げられるも、結局長州は奮闘むなしく敗れ去り、ついにこの蛤御門の内側に進むことはできなかった。
 そんな門も、今では………

 自転車が普通にピューッと通り過ぎていくのだった………。
 御苑内が生活道路になっているのである。たしかに、迂回してたらえらく遠回りだものね。

 ところでこの御所近くの室町を通っていたときのこと。
 がんばるオジサンが通りすがりに何気に軽く言うのだった。

 「ここがタバコ屋です」

 え!?
 え!?
 え―――――ッ!?

 タバコ屋さんを素通りして何をうろたえているのか。
 ほかでもない、そのタバコ屋さんこそが、古都の熱帯雨林として知る人ぞ知るがんばるオジサンのご自宅ではないか!!

 僕にとっては嵯峨豆腐森嘉どころじゃない超有名なお店である。

 あぁ、わかっていたらカメラを構えて待機していたのに!!

 「寄ったが最後、帰しませんよぉ」

 うーん、熱帯雨林はアリジゴクでもあったのか……。
 ひとたび踏み込むと帰れなくなる熱帯雨林も魅力的ではあるけれど、それは次回の楽しみにとっておこう。