2が出ない本を名著と呼ぶのかどうかは知らないが……。
この本の奥付で、筆者の欄の僕の名前の横に見慣れぬ名前がある。察しのいい方はすぐさまうちの奥さんのことであると気づいたことだろう。
では、発行人はどうだろうか?
Perle Hiro
とある。
訳すと「真珠 ヒロ」ということになる。
真珠のパールと綴りが違うぞ!という人は、この世の外国語といえば英語しかないと思っている方であろう。Perleとはフランス語の「真珠」。
あまりにもいかがわしいこの名前、いったい誰なのだろうか?
彼はタコ主任同様、僕と学科もクラブも同じ大学時代からの友人だ。1年生のときは寮も同じだった。うちの母と同じ高校だというのは何かの縁だろうか。
琉大に来た彼は、苦学生を絵に描いたような生活をしていた。
シーン1―――自販機の前に立つ彼。
なかなかその場を離れない。どうしたのだろう??
なんと、一本のジュースを買うべきか買わないべきか、10分間悩みに悩んで結局買わなかったのだった。
シーン2―――当時はいまほどシャレてはいなかった焼肉食い放題
……は、たまに行く学生にとってはそれでも夢の御殿だった。
「よっしゃ!!店を食い潰すぞ!!」
クラブ活動終了後、大挙して押し寄せた店で、火を吐く勢いでそう吼えた彼。
しかし食事終了後、学内の集合場所に帰り着くやいなや、最後にダメ押しで食べたスパゲティを物陰で吐きまくるのだった。自分が食い潰れたのだ。
シーン3―――オ○マートというスーパーで、ある時刻まで少し待っている彼。
あと10分経つと、売れ残っている惣菜の数々の値段が半額になるタイムサービスが始まる。
そうやって手にした握り寿司弁当。久しぶりのお寿司だ!!
そして翌朝。
なぜか僕の家まで来てトイレに入った彼は、出てくるなり力なくつぶやいた。
「あかん、血が出てる……」
下痢地獄に見舞われているらしい。しかし、だから僕にどうしろというのだ?
笑い転げつつ、同情だけはしてあげた。
シーン4…
シーン5…
……
…書き連ねれば、シーン1852くらいまでいくだろう。
これすべて、バイトしても何しても足りないお金のせいだった。
そんな彼が。
卒業後サナギマンからイナズマンに変身してしまった。
真珠を作る会社で、真珠の核となるものを生きている貝に詰め込む仕事、すなわち真珠の核入れ技師になったのだ。
しかもフランスの会社。職場はタヒチ!作る真珠は黒真珠!!
真珠の核入れ技師の給料をみなさんはご存知か。
需要の大半がまだバブル景気華やかなりし頃の日本である。給料は瞬く間にうなぎのぼりに登っていった。
しかも職場ではほとんど金を使わない。休暇で数ヶ月滞在する日本で使うしかない。
これまで手にしたことがない金を自由にできるようになってしまった彼は、わけがわからなくなってしまったらしい。だって、いきなり値の張るサングラスをいきなり3つも買ってしまうんだもの……。
「サングラスしてないと日本人は現地スタッフになめられるんや……」
だからってあんた、そんなもの3つも4つも持っててどうするの??
そうこうするうちに、彼もだんだんハイソサエティな生活が板についてきた。
とーっても高級なジャケットを、いつの間にか着こなしているではないか。
もはやそこには、オ○マートの半額弁当で空前絶後の下痢地獄を味わった苦学生の姿はなかった。
でも。
大学1年の頃だった。
国際通りのモスバーガーでのこと。数人で席について話していた時のことである。突然彼が語りだした。
「あんなぁ、オレ、ニシオモテ島は知ってるんやけど、有名なイリオモテ島ってどこにあんの?」
唖然とする我々友人一同。そしてまわりの観光客……。
あきれてものが言えなくなるよりも前に、周りの観光客の視線が痛い。
西表と書いてイリオモテと読むのだ!!
そうみんなで責めたてると、
「んなこというたかってオレ知らんもん…」
あの頃はまだ逆ギレという言葉が世の中にはなかったけど、真っ先に実践していたのが彼だった。
知らんもなにも、まがりなりにも沖縄の大学に来たのならそれくらい知っておけ!!
そういうエピソードもいくらでも、それこそ掃いて捨てるほどあるのでいちいち書ききれないが、そんな彼もいまや社会人。
しかし。
オロカぶりは何も変わってはいなかった。
彼が水納島に遊びに来てくれていたときのこと。
「こういう本作ったら売れるかな?」
冗談であたためていた企画を話すと、
「おー、売れる売れる、間違いなく売れる!!」
「アホ、その前に作らなあかんねんで」
「なんぼくらいかかるの?」
「○万円くらいちゃうか…。」
「よし、作ろう!!」
そうやって出来上がったのが、「水納島――海中観光案内vol
1。
そんな本に出資するなんてオロカだなぁ………とは思いつつも、申し訳ない思いで一杯である。
当時はそんな出費でさえも、タバコ1箱買うほどの感覚でしかなかった彼ではあったが、栄華は長くは続かなかった。
というより、自ら放棄した。
そして、何を血迷ったのか………
鍼灸師の学校に通い始めたのである!!
そりゃ、手先の器用さという意味では共通するところがあるかもしれない。でも、でも……
君はトークができないじゃないかッ!!
効いていなくても効いているかのように思わせるもの。それがトークである。
効いていないのにまた来院したくなるように思わせるもの。それがトークである!!
君に…君にそれができるのか??
彼を知る誰もが最初に思ったことだった。
そして今、彼はようやくその現実に気づき始めたらしい……。
というわけで現在の彼はちょっと齢をとった学生だ。
学生の頃、6つ年上の同級生を「兄さん」とか「じじい」とか呼んでいたというのに、ひとまわり以上も上の彼はなんと呼ばれているのだろうか??
ともあれこうして大きく進路変更して学生となった彼に会うべく、この日彼の家がある茨木駅近くで飲む約束をしていた。昨年ついに学生結婚(?)をした彼のお祝いの席でもある。
残念ながら奥様はお風邪を召していたので参加できなかったが、平日というのに伊丹から友人Yもやってきて、にぎやかな座となった。
そんな宴席できっと出てくるだろうと思ってはいたが……
出たッ!!
やっぱり出た!!
人間としての品位を疑っているわけじゃない。
技術の高さを信じないわけじゃない。
でも……でも……
西表をニシオモテと読む彼が、はたしてすべて正確に理解しているのだろうか??
恐ろしすぎて僕はとてもモルモットにはなれなかった。
Yの勇気に乾杯。
楽しい席であればあるほど、あっという間に時間は過ぎる。
僕らはともかく、伊丹から来ているYは終電で帰らなければならない。
気がついたらそろそろ終電の頃だった。
「えー、帰んのぉ……」
昔の調子で真珠ヒロ氏に哀願されるY。しかし明日も仕事だ。それもイバラキへ朝6時から出張だという。
え、イバラキ?
だったらここじゃないか、このままいればいい。
「いや……茨城」
ご愁傷様です。
それなのに彼は、ついに終電に乗るのはやめてしまった。
そして、お会計をするとき、
「ここは自分が出す」
いつになく強行に訴えるY。
2児の父から冷静さを奪ったのは、ひょっとして先ほどの一本か?そんな凄いツボが……?
ともかくこうして、Yにご馳走になってしまった。
お祝いの席の主賓である真珠ヒロ氏はともかく、我々ってずっとごちそうになってばっかりじゃないか???
2時半まで飲んでいたろうか(やはりここでも僕は泡盛と芋焼酎…)。
さすがに店内に残っているのは我々だけとなっていた。
真珠ヒロ氏もYも僕も1年生のときは同じ寮だった。故郷を遠く離れ沖縄にやって来た大学生活の、スタート時に飲んだ席のメンバーでもある。あれから19年………19年ッ!?
それぞれお互いの道を歩み、いつしか容易には会えなくなくなってしまったけれど、久しぶりに会ったというのに久しぶりと思わないこの感覚は、いったいなんだろう?
おかげで、まるで昨日今日も一緒に飲んでいたかのような話ばかりをしてしまったなぁ……。
まだ飲み足りない気がした。名残を惜しみつつ、店を出た。
夜空を見上げながらタクシーに乗り込み、みな再びもとの生活に戻っていった。
そしてこの朝、我々は沖縄に帰る。