みちのく二人旅

うまひゃひゃ仙台の牛タン

 仙台へ向かっている。
 平泉からここまで、東北本線も仙石線もいたって空いていたが、さすがに仙台に近づくと混み合うようになってきた。

 仙台は都会である。
 東北有数の都市である。
 という事実はもちろん知ってはいた。けれど、平泉から徐々に南下してくるにつれてどんどん都会になっていき、仙台に着くともう別の国に来たのではないかというくらい圧倒された。平泉を発ったのは昨日なのに、すでに10日も半月も前だったかと錯覚するほど景色は移ろい変わった(ていうか、平泉からここまでを書くのにそれくらいかかってしまったから、という噂もあるが)。

 今日もたっぷり歩いてしまった。
 これが水納島なら、かれこれ50周は歩いたろう。
 仙台市内のホテルに入り、しばし休憩した。
 問題がある(また問題か!)。
 なにしろ今夕は、今回の旅行では平泉での高館に次ぐメインイベント、仙台の牛タンである。
 寿司の誘惑には抗しきれず、ついつい3時まで食ってしまってからまだ1時間しか経っていない。
 本来であれば腹ごなしにウリャウリャウリャッと歩き回らねばならないのだが、今日はすでにひたすら歩いてしまっているのでパワーがない。
 仕方なくベッドで寝転がっていた。
 その昔、ヒトラーはパリを捨てざるを得なかった時、全市燃やし尽くそうとした。
 その時彼は
 「パリは燃えているか?」
 と周囲に訊ねた。
 今、牛タンを食って旅行の締めくくりとし、完全燃焼したい我々は、
 「腹は減っているか?」
 と互いに訊いた。

 世の中の 人はなんとも言わば言え 我が腹の中 我のみぞ知る

 当たり前である。

 仙台の牛タンといっても、ピンキリであるらしい。
 牛タン牛タンと騒いでいるが、実をいうと我々が
 「仙台といえば牛タンである」
 という世間の常識を知ったのはこの年の夏のことなのだ。以来、何かにつけて牛タン情報を仕入れていたのである。
 その結果、評価は人によってかなりマチマチであることがわかった。
 「仙台の牛タンていったって、ただの牛タンである」
 「なんだか固いだけの肉であった」
 という声をよく耳にした。
 う〜む、そうか、世の中の真実とはそういうものなのか………。
 と、結論が出そうになっていた頃、うちにいらしたゲストは仙台出身の方々だった。
 郷土の誇り、牛タンへの不当な評価を前に、断固彼女たちは熱弁を振った。
 「それは行った店が悪いのである!!」
 なるほど、彼女たちが教えてくれる牛タン屋の話を聞いていると、思わずヨダレが溢れて床が池になった。
 そんな話をいつものログコーナーで書いたところ、今度は仙台在住のゲストの方が、
 「だったら、おいしいところへ連れていってやる!!」
 と、実に力強くお誘いの言葉をかけてくれたのだ。
 地元のスペシャリストがいれば、鬼に金棒、マンタにコバンザメ。
 「連れていってくださ〜い!」
 と、即座に猫なで声でお願いしたのはいうまでもない。

 しかも、申し合わせたかのように、「美味しい店」というのが先の仙台ご出身の方と在住の方とまったく同じだったのである。
 期待はいやでも膨らんでいく。
 が、今はお腹も膨らんでいた。

 我らが牛タン案内人とは、仙台駅の政宗騎馬像付近での待ち合わせであった。右も左もわからない我々でもすぐにわかる場所である。
 どうも困ったことに、北の女性の美しさもさることながら、都市仙台を歩く人々はみんなあかぬけていて、ハイカラなのである。
 大阪でも東京でも、着飾った人がいれば小汚いヤツもいるから、都会といえば雑多なところである、というイメージがあるのだが、この仙台駅周辺で小汚い上着にジーンズというのは見渡す限り我々だけである。みんなあかぬけていてこざっぱりしていて、「ハイカラ」という言葉がピッタリだ。
 ハイカラというよりはスイガラという感じの我々はかなり浮いていたであろう。
 牛タン案内人の女性お二人も、たたずむ我々を遠目からすぐに判別できたと言っていた。
 彼女たちもやはりハイカラさんであった。
 普段海辺でのくつろぎスタイルしか見たことがないので、落ちついた服装なのになんだかまぶしい。

 仕事帰りで颯爽とした格好の女性二人と、使い捨てられたボロぞーきんの我々二人という変な四人組は、一路ヨロコビの牛タン屋を目指した。

 その名を
 「利久」
 という。
 各地に店舗があるらしいが、我々が向かっているのは仙台駅東口、すなわち宮城野区の店だ。
 宮城野。
 古来、その野に咲く一面の萩の花にいったいどれだけの人が憧れを抱きつづけてきたろうか。

 花自体はホント、なんの変哲もないささやかなものなのに(写真)、松島や壷の碑同様、風流人にとっては夢幻のような草花なのである。花札ひとつとってみても、松・梅・桜・杉・あやめ・牡丹・紅葉・柳といった風流人には欠かせない愛でたい植物に混じって、萩も燦然と輝いているのである。それだけでもその存在の大きさが伺い知れよう。ましてや「宮城野の萩」なんて、聞いただけで失神した女性もいたかもしれない。

 そんな雅な土地にもかかわらず、我々の目にはもう牛タンしか入らないのであった。

 おりからの狂牛病騒ぎで、いかに名物の牛タン屋といえども閑古鳥が群れなしているかというとそうではない。連日大入り満員の店だから、要予約であるというのだ。今日は我らが牛タン案内人が予約してくれていた。

 毒があるのをわかっていてもフグを食って死ぬ人がいる世の中である。本当に美味しければ、毒があろうが狂牛病だろうが人は食べるのである。狂牛病騒ぎで閑古鳥だ、と嘆く焼肉屋は、単に普段からまずかっただけなのではなかろうか。 

 とりあえず生ビールで再会を祝し、ダハダハダハとビールを飲んでいると、待ちに待った牛タンちゃんが運ばれてきた。

 皿の上で牛タンが踊っている!

 と思ったら、ヨロコビのあまり僕が震えていただけだった。
 それにしてもこの牛タンの厚いこと厚いこと。熱いじゃないよ、厚いのですよ。
 分厚いのである。いったい何頭分の舌が使われているのだろうか。
 さっそく一切れお口の中に…………………。
 うまうま、うまひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃあああああああああああああぁぁぁ……From うまひゃひゃさぬきうどん)

 美味いしい!!
 この食感、この歯ごたえ、この味、この香り!!!
 誰だ、仙台の牛タンは大したことないなどと言っていたヤツは!!
 この牛タンを前にすれば、ひれ伏したまま二度と面を上げられないであろう。

 一口食った途端、胃袋は戦闘体勢に入った。さっきまで腹が減るかどうか心配していたのがウソのように、矢でもテッポウでも持って来い!!と胃袋が言っている。
 幸い、次々に出てくる品々は矢でも鉄砲でもなく、ずんだ豆腐、牛タン生春巻き、サラダ、う〜む、後なに食ったっけ……、とにかくさすがの我が胃袋も白旗を上げるくらいに美味いものオンパレードであった。
 ずんだ豆腐というのがまた絶妙な味なのである。
 落花生から作った豆腐はジーマミー豆腐(地豆豆腐)という。沖縄の名品である。
 大豆から作ったのはいわゆる普通の豆腐だが、ずんだ豆腐は、枝豆から作るのである。
 なにも大豆になるまで待たずとも、枝豆の時点でおいしい豆腐を作れるなんて…。
 通常の豆腐からしたらフライングのようなものだが、これがまた美味いのなんの。
 なんだか知らぬ間にどんどん調子が乗ってきて、一人で飲みまくっていたような気がする。

KOSHI

 その席に、もうお一方男性がいらしてくれた。
 夜のお仕事だというのに、わざわざ我々の顔を見にいらしてくれたのである。
 この3名でクロワッサンにいらしてくれるから、水納島の一部では
 「仙台トリオ」
 といえば誰のことかわかるようになっている。
 彼の仕事というのは他でもない。
 ショットバーを経営されているのである。
 マスターKさんだ。

 もちろんバーテンダーで、古今東西の酒に通暁している。
 今日は店のオープンを張り紙一枚で遅らせてわざわざ来ていただいたのだが、店があるので一足先に席を立たれた。
 残る4人であらかた食い尽くし飲み尽くし(僕一人でという説もあるが)、さて次はどうするか、ということになった。
 Kさんの店に行ってみよう!
 知り合いが経営するショットバー………そういうシチュエーションなんて、テレビでしか見たことがないものなぁ。

 いいかげん酔っ払っていたので、どこをどう通って今どこにいるのかさっぱりわからない。
 とにかくタクシーに乗って来たから「利久」からは遠いのだろう。
 夢うつつでお店までやって来た。
 外には大きな看板もなく、存在をことさらアピールしていないので、知らない人が店を見つけるのは難しそうである。

 店の名は
 「KOSHI」
 という。こーし、と読む。
 カッコイイショットバーであった。
 およそ我々夫婦には似つかわしくない洒落た店なのである。
 偶然にも、今日この日はKOSHIさんの開店2周年記念なのだという。

 さっそくシャンパンで乾杯!!

 ズラリと並ぶボトルの数々。
 最近覚えた茶色いラム酒を頼んでみた。
 先日後輩と行った都内のショットバーで、茶色いラム酒がこの世に存在することを初めて知ったのである。
 これがまた美味いのだ。麦茶のように飲んでしまった。
 何種類もあるらしく、僕がおかわりを頼むたびに、マスターKさんは異なるラム酒を注いでくれた。
 おつまみも洒落ていて、酒はどんどん進んでいく。
 たいがい酔っ払ってしまった。いったい僕は何を喋っていたんだろうか、と翌日不安になってしまったほどである。
 金縛りの話題で妙に盛り上がっていたような……。
 ドラマでは、こういう洒落たバーで語り合うのは男女の話とか、仕事の話とか、落ちついた話の中に人生のなんたるかが入っていることが多い。しかるに我々は金縛りの話である。ドラマにはなるまい。