水納島の野鳥たち

ハシブトガラス

全長 55cmほど

 沖縄では「ガラサー」と呼ばれるカラスは、全国どこでも観られるカラスと同じように、人々の暮らしを大きく利用している。

 そのほとんどがハシブトガラスで、水納島で観られるカラスもこのハシブトガラスだ。

 沖縄本島地方はリュウキュウハシブトガラスという亜種になるそうなのだけど、ここではハシブトガラスということにしておく。

 漁港周辺などエサが豊富なところにはたくさん集まっていて、ヒッチコックの名作「鳥」を想起させることもある。

 映画では「鳥」のほか、「オーメン」でもカラスは恐怖の対象でしかなかったりして、これを観てカラスにいいイメージを抱くヒトはいない。

 その一方で、童謡で歌われているカラスはけっして憎々しいキャラではなく、むしろ夕景の描写に欠かせない鳴き声であったり、子を思う親心が描かれているあたり、昔のカラスと人は「いい関係」を保っていたことがうかがえる。

 よく観ると九官鳥に似ている顔つき、そして高い知能など、黒でさえなければなにげに人気者になっていたかもしれないポテンシャルを秘めてもいる。

 実際、幼鳥から飼育すれば九官鳥と同等、いやそれ以上に、ペットしてヒトになつくというハシブトガラス。

 けれど彼らの住処だった森が次々に消えていき、カラスたちが暮らしの場を街中に適応させた結果、エサが豊富にあるところ=生ゴミがたくさんあるところに群がるようになって、ゴミ袋を食い破って中身を食べるという習性のため、物理的な害鳥として街中では忌み嫌われるようになってしまった。

 カラスにしてみれば、一方的に住処を奪っておいてそれはないだろう…というところのはず。

 ハシブトガラスは元来森林に住まう鳥だから、このように木々の枝に止まっているのが本来の姿のはず。

 でも街中では人工物に止まっていることが多いだろうから、「本来」の姿を見る機会は少ないのかもしれない。

 水納島で観られるカラスは本島と行き来しているらしく、時に増えたり時に減ったりする。

 観光客がたくさん訪れない季節=生ゴミがさほど出ない季節になると、その数は5本の指で足りる程度になり、↓このようにポツンと1羽でいることもザラだ。

 数は少なくとも利口なカラスのこと、ことエサの確保にかけては知能犯で、収穫があらかた終わったピーナツ畑で残り物をゲットするのは当たり前、そして鈴生りのシークヮーサーを格好のデザートにしている。

 畑に残っている落花生や、実っていても誰も採らないシークヮーサーなら誰にも被害はないから、カラスを見つめる人々の目は優しい。

 ところが植え付けたばかりの種イモをほじくり出して奪い去ったり、収穫前のスイカを次々に突いて穴を開けて食べまくったり、ようやく食べ頃になったトウモロコシを咥えてトンズラしたりすると…

 …心はたちまち穏やかではなくなる。

 だからといって直接的な攻撃にうってでると、復讐心に燃えるカラスに何をされるか知れたものではない。

 聞くところによると、嫌がらせをされたカラスが復讐すべく、火種を咥えて運び、ボヤ騒ぎを引き起こしたこともあるとか。

 その一方で、恩義に感じるとなにかとプレゼントを持ってくるという話もあるくらいだから、シークヮーサーを自由に食べられるようにしておくくらいがちょうどいいのかもしれない。