甲幅 20mm
水納島に到着して、桟橋から続く道をまっすぐ5分ほど歩くと、かつて旧我が家があった場所に到達する。
そこからそのまままっすぐ20歩ほど行くと、干潮時には砂泥が一面に堆積した内湾を見ることになる。
満潮時には湖のようになっているからわりと素敵な景観になるものの、潮が引いているとこういう状態になる。
そのためたいていの日帰り行楽客は、その一面の泥を見てすごすごと引き返していくんだけど、生き物好きのあなたはそう簡単に引き返してはいけない。
この泥の上に立って5分以上ジーッとしていると、よほど目の悪い人でない限り小さな赤っぽいものが動き始めることに気づくはずだ。
いったん気づくと、あっちにチョロチョロ、こっちにチョロチョロとそこら中で動き回っているのがわかってくる。
その小さな赤いチョロチョロが、冒頭の写真のベニシオマネキだ。
ひと口に「紅」といっても個体ごとに様々で、手持ちの写真をざっと見ただけでも…
…かなりバリエーションがある。
背中の色柄は個体ごとに違いがあるものの、総じて大きなハサミ脚は必ず赤い。
大きなハサミ脚も、個体ごとに左が大きかったり右が大きかったりとかなり気まぐれながら、それはオスだけの特徴で、メスはどちらのハサミも小さい。
メスにも個体ごとに色味の違いが見られ、上の写真ではハサミ脚が黒っぽいのに対し…
ハサミ脚のほか、その他の脚までかなり赤っぽいものもいる。
オスもメスも、「甲羅の赤っぽい度」が強いのは老成個体のような気がする。
緑の中を走り抜けていく真っ赤なポルシェと同じく、干潟でチョロチョロする紅いカニさんたちも良く目立つ。
陸にいるときの彼らは、その時間の多くを食事に費やしており、小さなハサミ脚を使って、泥の中に含まれているらしいエサを漉しとりながらチマチマ食べている。
↑このメスはお腹に卵を抱えているようながら、ハサミで口まで運んだ泥がダラダラとヨダレのように卵にかかってしまっている…。
こと食事になると小さいハサミが1本しかないオスは相当不便そうだ。
では大きなハサミはいったいなんの役に立つのかというと、それはもちろん潮を招く動き。
大きなハサミを振り上げ、「カモン!カモン!」という仕草に見える動作をするのだけれど、もちろんのこと、潮を招き寄せているように見えるだけで、「カモン!」の相手はお気に入りのメスたちだ。
潮を招き寄せているかのようなロマンチックな錯覚をヒトに覚えさせつつ、なにげによろしくやっているベニシオマネキなのである。
ところで、水納島で暮らすようになって久しい今でこそシオマネキたちは(潮が引いてさえいれば)いつでも裏浜で観られるお馴染みの生き物だけれど、海無し県埼玉で暮らしていた子供の頃の私にとって、シオマネキは長い間憧れのカニさんだった。
そんな憧れのシオマネキと初めて出会ったのは琉大に入学してからのことで、本島中部に流れる比謝川という、めっちゃくちゃ汚い川の河口付近だった。
わずかなスペースながら河口近くに泥が堆積していて、当時ベニシオマネキを研究していた先輩に後日その場所を教えてあげたらとっても感謝されたくらいに、たくさんのベニシオマネキを見ることができたものだった。
ところが数年後に再訪してみると、そのあたりには広範囲に渡って立派な「親水護岸」なるものができていて、かわりに泥場は無くなり、ベニシオマネキたちはすっかり姿を消していた。
「水に親しむ護岸」を巨額の税金を使ってドデンと造り、その結果親しむ相手であるはずの生き物たちや、それまでそこに親しんでいた人々を追いやっているなんていうのは、できの悪いブラックユーモアでしかない。
水納島の場合、幸いにしてこの裏浜の干潟は現在までのところほとんど手つかずでキープされているから、今もなおシオマネキたちがたくさん暮らしている。
でも、裏浜の干潟で4種類ほど確認できるシオマネキたちは、以前までならそれぞれある程度住み分けていて、ベニシオマネキたちは陸側に最も近いエリアでたくさんいた。
ところが「ほとんど手つかず」とはいえそれなりに手がついているために、陸側に近い干潟部分がジワジワと砂で埋まってきていて、そのエリアにいたベニシオマネキたちの姿が激減している。
一方、それまではもっと沖まで歩かなければ観られなかったルリマダラシオマネキたちが、海岸にほど近いところまで進出してきている、という変化が見られる。
四半世紀も時間が経てば、ヒトの手がついていようといまいと起こりうる変化なのか、ヒトの手による環境変化がもたらした変化なのか、詳細は不明だ。
そういう変化に気がつくのはもともと彼らの存在を知っていればこそで、前述の親水護岸が造られたために消えていったベニシオマネキのことを気に掛けていたヒトなど、かなりの少数派なのだろう。
それを思えば、水納島の裏浜のシオマネキたちを気に掛けているヒトが多数派になるとはとても思えない現代ニッポン。
観られるうちに観ておかないと、近い将来誰も気がつかないうちに居なくなってしまうかもしれない。
今ならまだ、干潮時の裏浜に行けば必ず会えるシオマネキたち。
陸上には鳥をはじめとする外敵が多いこともあって彼らの警戒心は強く、何かが動く気配を察知するやたちまち巣穴に逃げ込むから、ウカツに近寄ればその存在に気がつかないかもしれない。
そこで何も見えないからといってすぐさまその場を去らず、その場でジッとしていると、いったん巣穴に逃げ込んだ彼らがそこかしこから再び表に出てくる。
近づいてじっくり観たいのをグッとこらえ、なおもジッとしてれば、安心しきったシオマネキたちがワラワラワラと活動し始め、やがて周りじゅうシオマネキだらけになるだろう。
※真夏の炎天下では、くれぐれも熱中症にご注意ください。