番外編
2010年 12月9日(木) 曇りのち晴れ
北の風 波あり
えー、観てきました、「 Space Battleship ヤマト」。感想を、例によって誰もわかってくれないであろう一口表現で述べるとすれば、 ターミネーターでスターシップ・トゥルーパーズな、さらば宇宙戦艦ヤマトに完結編も盛り込んだ「宇宙戦艦ヤマト」 だった。 随分昔、「スターシップ・トゥルーパーズ」を劇場で観たときに、ああ、ハリウッドだったら宇宙戦艦ヤマトだって実写版でできるんだろうになぁ……とものすごくうらやんだものだった。 そんな、日本では不可能と思われたことが、まさにゲンジツのものに。 ホントにもう、かつてあなたが子供の頃、「宇宙戦艦ヤマト」というアニメーション作品で心奮わせたことがあるなら、この CGシーンを観るためだけでも木戸銭を払う価値はある。森雪の瞳から入っていく冒頭数分間で、僕はもうシビレ倒しました。どんなに大きな地デジ対応テレビでもこの感動はけっして味わえない。そして、アニメーションとは違って、2作目は絶対にないと断言できるから(それはご覧になれば誰でもわかる)、劇場で観る機会はこの機会をおいてほかにはない。 さあ、劇場へGO!! ちなみに、僕に無理矢理連れて行かれて復活編も今回もどちらも観ることになったうちの奥さん的には、復活編よりはよかったという話。 もっと長く観たかった!! いや、それはもう、キムタクが主演だという時点でわかりきっていたことだった。金がかかる CGシーンを長時間ってのもムツカシイ話だろうし、そもそもキムタク主演でCGシーンのほうが長いなんてことはありえない。でも、せめて3:7くらいはあるかなぁと思っていたんだけど………………甘かった。 キムタクはいいからヤマトを見せてくれ!! …と思ったのは私だけでしょうか。 キムタクというキャスティング自体は、以前にも書いたけど10年くらい前に冗談で宇宙戦艦ヤマトの実写版のキャスティングをイメージしたときに、僕はこの人以外にはありえないだろうと思っていたくらいだからまったく異存はない。 だんだんネタバレ話になるから、未見の方はもうここで終わったほうがいい。観てから読んでね。 以下、マニアックな話。 名曲「真っ赤なスカーフ」を歌いながらご覧ください こちらは映画の最後に出てくるキャスト。 もうお気づきですね。 これをふまえなければ、「宇宙戦艦ヤマト」は語れない。 ところが、キムタク主演ということで主人公を実年齢に沿った設定にしつつも(アニメでは弟だった島次郎が、なんと島大介の子供になってた!)、アニメでもあった古代守戦死に関わる沖田艦長と古代進の確執というエピソードに、物語の中で大きなウェイトを占めさせたものだから、なんというか必要以上に重くなる。 だって、18歳の少年とヒゲオヤジということなら、ヒゲオヤジが少年に薫陶を与えつつ、確執から相互理解、そして尊敬へとつながる単純かつ明るい流れで話を進められるけれど、四十前のいい大人と頑固なシニアとなれば、宇宙戦艦内の話じゃなくとも、実際の職場でだって話はそう単純にはいかないっしょ、普通。 1作目のテレビシリーズの中で僕が大好きなエピソードの一つに、太陽系を離れるに際し、乗組員全員に家族とのプライベートな交信を時間制限つきで沖田艦長が許可する話がある。 じゃあ、家族がいない者同士で酒でも飲むか!! そう沖田艦長が持ちかけ、遠ざかる太陽系に別れを告げながら、艦長室で酒を酌み交わす二人。 ええいうるさい、西暦2199年には法律も変わっているのだ!!by 沖田 でまぁ、アニメではこのエピソードで、当初の確執からほぼ相互理解へと進んだわけである。 実写版にもこのエピソードがあった。 で、このあとはやはり艦長と二人で酒を飲むのかぁ……と安心していたら、肝心のそのシーンはなし。 そのかわりに酒といえば!! その佐渡先生と徳川機関長と古代進がお酒を飲むシーンがあった。個人的にはこの場面が好き。 ともかくそんなこんなで、物語の中で艦長と古代の確執という部分が大きなウェイトを締めてしまって、オリジナルのアニメが本来強く訴えていたテーマが、まったく影を潜めてしまっていた。 アニメーション「宇宙戦艦ヤマト」の主題とはなにか。 愛と冒険とロマン 以外のナニモノでもない。自分で言ってて恥ずかしいけど。 ではこの実写版ヤマトはどうか。 なかったよなぁ。 つまり、それなりのラブシーンはあるものの、冒険とロマンがないスペースオペラなわけである。 その意図がどこにあるのかよくわからないけれど(まさか自己犠牲精神のほうに向いてたりしないよな)、僕はあえて断言してしまおう。 この実写版ヤマトでは、「20年後の山崎直子さん」を絶対に生み出しえない。宇宙へ旅立とう!!って気にはならんぞ、絶対。 というか、今の日本には、5億キロの宇宙の彼方から微粒子とはいえ物質を地球に持ち帰れるテクノロジーがあるのである。子供たちにとって、四十前の大人の人間関係物語と、遥か宇宙の微粒子を持ち帰れる日本の科学と、どっちが夢と希望を抱くことができるか、比べるべくもない。 それは制作者も実はわかっていることであろうと思われる。 もちろん我々世代である。 最新技術で味わうノスタルジィ。 おまけに主演がキムタクとなれば、オッサンだけではなくて同世代のオバハンも取り込めることは間違いない。 劇伴で高らかに響き渡るお馴染みの宇宙戦艦ヤマトのテーマ曲。ナレーターはなんとささきいさお!!これまたビックリ、アナライザーまで本人の声で登場!!おおなんとデスラー総統もスターシアも、ご本人の声で登場!!(人類タイプの宇宙人を出さずに両者に語らせるアイデアはなかなか良かった) ちゃんと「原作 西崎義展」と記してあっただけあって、オリジナルへのオマージュが随所に見え隠れしていて、ノスタルジィという意味では「復活編」を凌駕するほど、サービス精神が旺盛だ。 が。 なので、客観的な冷静さは保ちつつも、熱烈なファンであることは間違いない監督は、おそらく唯一になるであろうこの1作に、宇宙戦艦ヤマトシリーズ全作品のあらゆる名シーンをすべて注ぎ込んでしまった。 だからこその、 「俺はお前を…実の弟のように思っていたよ」 ……ってギバちゃん、この映画のどのシーンからそう思うようになったんすか?? そして徳川機関長も!! 「エンジン出力低下。しかし航行に支障………なし」 などなど、お馴染みの戦死シーンがてんこ盛り。 そしてそして、もちろんこの人も!! 「地球か……何もかもみな懐かしい」 赤い地球を眺めつつ、静かに息を引き取る沖田。 「ありがとう」 というシーンまであった。 モンダイはここからだ。 ……というその時に!! なんでここにきて最大のピンチを迎えるのだ!! この最大級の大ピンチを前に死んでしまった沖田艦長って、結局単なる役立たずだったってことなのか?? やっぱりここらあたりの展開が、キムタク主演映画の限界なのだろうなぁ。 退艦をしぶる若者たちにこれからの地球を託し、自らの作戦指揮で命を落としていった数多の戦士たちの魂とともに、命と引換えに地球を守る沖田艦長。ガミラス最後の巨大ミサイルにさらされた赤い地球を眺めながら、脳裏には青かったころの思い出がよぎる。そしてもちろん 「地球か……なにもかもみな懐かしい」 そして引き金。 ぐわぁッ。<僕の目から溢れる涙。 僕が脚本家なら迷わずこうする。 そんなこんなで、沖田十三=ヤマトという図式が成り立たないから、当然ながら「ヤマト」という船に一人格が宿るはずはなく、劇中ではあくまでも一隻の宇宙戦艦で終始する。だから、自爆させることになんの躊躇もない。 観るものすべての心に一人格として一隻の船が存在していたからこそ、2作目の映画のタイトルは「さらば古代進」ではなく「さらば宇宙戦艦ヤマト」だったのである。 リアリズムを追求した結果か(そのわりには2199年に JIS企画のキーボードはいただけなかったけど)、そもそも最初から宇宙船の擬人化は避ける意図だったのか、「ヤマト」自体を主役に据える見せ方ではなかった。だからせっかくの見事なCG映像だというのに、その雄姿を大画面でたっぷり堪能することはできないのだった(あくまでもワタクシ個人的な「たっぷり」ですが)。 大物俳優がキャスティングされた実写版の限界なのかもしれない。それにもともとそういうことは予想してもいた。 そうすれば、この映像で「アンドロメダ」をはじめとする地球防衛艦隊を観ることができたのに!! 実写版復活編、カモーン!! |