Maybe・28
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沖縄の米軍基地問題関連の全国ニュースで、よく耳にする飛行場といえば普天間飛行場。 どちらもすでに、知名度の点では全国区の飛行場だ。 ところで本部町内にも、かつて米軍飛行場があったのをご存知だろうか。 沖縄戦が事実上終わった1945年6月に、米軍が本土侵攻作戦のための偵察機用にと建設した飛行場、それが本部飛行場(桃原飛行場)だ。 戦中や終戦直後に設けられていた米軍飛行場の多くは、すでにけっこう返還されている。 また、元は日本軍のものだったものが占領後に米軍のものとなった補助飛行場が読谷や伊江島にあったり、日本ハムが毎年春季キャンプをする名護球場のすぐそばには、宮里飛行場と呼ばれていた米軍の飛行場があった。 沖縄本島は米軍の飛行場だらけだったのだ。 それらのほとんどは、今やまったく痕跡を残していない。 本部飛行場跡も、よくもまぁこんだけ海辺を埋め立てておきながら、ここまで立派な平地を残したままでいるよなぁと呆れ返るほどに、実に広大な平地がそのまま残っている。 その飛行場を見下ろせる位置に通っている道路脇は、これまでは雑草が生い茂っていたため、車を走らせているだけではなかなか目につかなかった。 そこから眺めるこの風景のメイビーなことといったら……。 遠く瀬底島とそこに架かる瀬底大橋を見渡せる眺め。 左に目を転ずれば、本部町が誇る山々が峰を連ねる。 その手前に広がる広大な平地、飛行場跡は、パラティーノの丘から眺めるチルコ・マッシモもかくやというほどに、実に男らしい一直線の見事さだ。 出入りは自由なので、立ち入ってみた。 本部町内でこんなに広い平地なんて、他にはありえない……。 ちなみにこの飛行場跡地、返還されたのはもちろんのこと昨日今日の話ではない。 以後、この飛行場跡地がどの用に利用されてきたのか。 放置!! いやホントに………なにやってんだよ、本部町……って言いたくなるところではある。 でも実は、この飛行場はけっこうしっかり造ってあって、基礎の部分にはかなりの厚さで石灰岩礫が敷き詰められているそうな。 日本復帰後の返還であれば、返還の際には土地を元に戻す義務が米軍に生じるものが、復帰前の返還だったから米軍の義務は微塵もないらしい。 海洋博で大コケにコケた本部町に、この土地を元に戻す予算などあるはずはない。 もちろんこれまでにこの土地を有効利用しようとする案はあった。 が。 結局その計画はポシャッた。 有効かどうかはともかく、誰も近寄らないような場所にドドンと立派な「町民」体育館や陸上競技場を造ってしまう本部町のこと、いずれにしてもやがてここに何かができることになるのだろう。 そのときにこの眺めもちゃんと有効に利用されているかどうかは、甚だ心もとない。 なので今のうちに、しっかり目に焼き付けておくに越したことはないのであった。 |
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