其之三十四
水納島の桟橋に横付けされたボートから乗り降りしたことがある方なら、岸壁に張りついている4~5cmの草鞋のようなクリーチャーを誰しも1度はご覧になったことがあるはず。
貝ではなさそうだし、サンゴの仲間でもなさそうだし…
いったいなんじゃこりゃ!?
これは、ヒザラガイという動物だ。
海のダンゴムシとも呼ばれることもあるようながら、ヒザラガイは軟体動物なので貝やイカやタコやウミウシの親戚筋。節足動物であるダンゴムシとはまったく異なるグループの生き物だ。
ヒザラガイたちは海中と陸上を隔てる境界線、すなわち水面近くがどういうわけだか大好きで、完全に空気中にいることもよくある。
そういう意味では、「海の」というよりも「海辺の」といったほうがいいかもしれない。
体が完全に空気中にいるものはジッ………としているのに対し(やがて満ちてくると潮のほうから近づいてきてくれる)、チョロチョロと海水がかかるところにいるヤツをよく観ると、ジワジワジワジワジワ……と這い進んでいるのがわかる。
ヒザラガイがジワジワ進んでいるのをご覧になったことがある、という方は、そろそろ変態社会人としての自覚をお持ちになった方がよろしかろう。
世の中には、つぶさに観るだけに留まらず、研究対象にした方もいらっしゃる。
その昔、神戸の女子大生をたくさん連れてスノーケリング、というイベントを何年か当店で続けてくださっていた、とある女子大のセンセイがまさにそのヒザラガイラブな方で、好きが高じてとうとうご自身でヒザラガイTシャツまで作り、胸に実物の10倍はあるヒザラガイの写真がドンッと印刷されているそのTシャツを、夏の海で嬉々として着こなしておられた。
今考えてみると、彼は時代をかなり先取りしたアカデミック変態社会人だったのだろう……。
ちなみにセンセイはその大学の教養課程で教鞭をとっておられた方だから、女子大生たちは理系というわけでも生物学系でもなんでもなく、いわゆるひとつの「ジョシダイセイ」のみなさんだったけど、彼女たちは実際にヒザラガイを目にしても、けっして忌み嫌いはしなかった。
まだまだ「いい時代」だったのだ。
未知なる異形を忌避する文化を作り上げてしまった現代ニッポンの学生たちだったら、「キモイ」のひとことで片づけられていたことだろう。
ヒザラガイ類はものすごく種類が多く、水納島の桟橋で見られるものはいったい何ヒザラガイなのか、昔その先生に伺ったことがある気がするんだけど、完全に失念してしまった。
種類は不明ながら冒頭の写真のヒザラガイは、ピッタリしっかりはり付いているように見えても剥がすのはわりと簡単らしく(素手では無理)、引っくり返せばアワビのような体を見ることができる。
そこまでは楽チンでも、この王蟲の甲羅のような8枚の板を剥がすのが大変だという。
そんな苦行をものともせず、手軽にゲットできる海幸としていただいたのが、こちら。
水納島ではグジマと呼ばれるヒザラガイを茹で、酢味噌で和えたもの。
他の軟体動物に比べてスペシャル級の味、というわけではないけれど、モノが無かったその昔の小さな島では貴重なタンパク源のひとつだったことは間違いなく、我々世代以上の方々はよく召し上がっていたと思われる。
我々も前世紀末に、「懐かしの味」的に学習発表会の一品だか何かで食べたことがあるくらいで、実に四半世紀ぶりにいただくとっても懐かしい味だった。
調べてみると、グジマという名は沖縄限定ではなく、高知県の柏島あたりでも同じくグジマと呼ばれており、すぐ近所の四国のツノダシの背ビレ的伊方町あたりではグズマという地方名なのだそうだ(名前の黒潮伝播だろうか)。
面白いのは萩の地方名。
ゲットするとクルリと背を丸める様子がお年寄りの背中に似ているということで、「ジイノセ(爺の背)」「バアノセ(婆の背)」なんていう名前で呼ばれているそうだ。
てっきり沖縄だけの食文化かと思ってたら、日本各地の海辺で水産資源として活躍してきた歴史があるヒザラガイなのである。