ポンプハウスでバカは白旗を揚げた
酒を購入することができた。
とりあえず部屋でひと心地つけることもできた。
時刻は午後6時を回っていた。
さて、食事である。
フランス料理、イタリア料理、地中海料理、タイ料理、中華料理………数々あれど、アラスカ料理の有名店なんてものにはこれまでお目にかかったことはない。
ま、お国柄、かなり大雑把そうな、食えりゃいいじゃねぇか的大胆な料理であることは想像に難くない。料理記者歴400年の岸朝子が「おいしゅうございます」と言いそうな繊細な味を期待するのは、まったくもっておかどちがいというものだろう。
とはいえアラスカ第2の街であるくらいだから、フェアバンクスには食事をする場所は豊富にある。泊まっているホテルにだってレストランはある。でも、せっかくここまできて中華やイタ飯やシーフードやアメリカンステーキを食ってもなんかつまらない気がする。
アラスカではまず何を食うべきか?
その答えはすぐに見つかった。
カリブーだ!
いにしえよりネイティブの人々の重要な食料であり続けたカリブーをアラスカで味わわずしてなんとする!!
ところが、思いのほかそういった伝統的な食材を使った店というのは、僕が調べた範囲では、ホテルから可視範囲の距離にはほとんどなかった。地元の人はあまり食べたがらないのだろうか?
そんななかにあって、そのカリブー料理をドドンと名物料理にしている孤高のレストランがあった。
ポンプハウスである。
超有名なのである。
なにしろ、自身のホームページに、日本語ページすら設けているくらいなのである。
そこに、カリブーのシチューというメニューがあった。
く、食ってみたい……。
ただし、このポンプハウスはホテルから随分遠いところにある。タクシーで行かねばならない。
一言二言の質問をたびたび繰り返してきた僕は、その英会話によりすでにかなり疲労していた。うちの奥さんはといえば、英会話に関する限り完全にオタマサなので、誰かに質問をするなんてことはできない。
ああ、またタクシーを呼んでレストランへ行って、レストランでもすべて英語なんだよなぁ…
と思うと、飯を食いに行くだけのことがとてつもない苦難の道のようになってしまう。
それに、成田を発って以来、とりたてて運動していないのに定期的に腹に詰め込んできたから、ここにきてあまり腹が空いていない。食うぞ!という熱意が湧いてこない…。
しかし、すべては話のタネのためである。迷わず行けよ、行けばわかるさ!!
フロントでタクシーを呼んでもらおうと思ったら、玄関にすでにタクシーが一台泊まっていた。コイツはラッキー。運ちゃんに訊くと、
「オー、今先客が途中下車してホテルで用を済ませているのを待っているところなのだ。もう一台無線で呼んでみる」
といった。待っていると、
「アー、もう一台のタクシーは45分後になるといっている」
「45分!?それは困った、困ったぞ」
ということをボディランゲージで伝えると、
「よし、先客に相乗りできるかどうか聞いてみるからしばらく待っていてくれ」
と運ちゃんは言ったようだった。僕には聞き取れないのだが、傍らにいたうちの奥さんがそういうのだ。彼女も僕も、面と向かって喋るとヒアリングできないのに、傍らにいるとその内容がおぼろげにわかるようだった。
すると、ホテルから戻ってきたミスター先客がタクシーに乗り込むや否や、運ちゃんは彼に話し始めた。なんて言っているのかわからなかったが、とにかくうちの奥さんのヒアリングはあっていたようだ。
我々のすがるようなマナザシのせいか、ミスター先客は快諾してくれた。
サンキューベリーマッチ。
ミスター先客をショッピングモールで降ろしたあと、一路ポンプハウスに向かった。向かったはいいが、やや不安があった。
「ポンプハウスは予約が必要なのか?」
「オー、金曜や土曜だったらけっこう混むけど、今日は木曜だから大丈夫だ。ポンプハウスはいいところだぞ。美味いぞ」
「そうか、サンキュー」
文字にするとぶっきらぼうだが、これでも笑いとペーソスに溢れたトークをしていたのだ。
チップも含めて18ドルほどで目的地ポンプハウスについた。
このレストランはチェナ川のほとりにある。ゴールドラッシュの頃は掘削に必要な大量の水を川からポンプで汲み上げていたという歴史的な建物を、レストランに改装してあるのだそうだ。昨年行った小樽にあったような、由緒ある建物の2次利用というヤツである。
シーズン中は、ここまで船でやってくることもできるし、川で離着水するフロート付きの飛行機などを眺めながら食事できるのだそうである。
が。
氷と雪の下で密かに眠っているのであろうチェナ川は、いったいどこにあるのかさえわからないほどに、あたりは森と雪の世界でしかなかった。
運ちゃんの言うとおり、木曜日の店内は思いのほか空いていた。まだ時間が早かったせいもあるかもしれない。
店内はやはりホテルと同様ロッジのような趣で、テーブルそれぞれにキャンドルライトが灯っていて、あらゆる調度がアンティークで整えられている。ディナーというムードたっぷりの心地良い雰囲気だ。

席に案内され、メニューを渡された。
もちろん英語だけだ。
が、フランス語やイタリア語だと見当も付かないけど、英語や中国語だったら文字を見て料理の見当は付く。
それに食いたいのはカリブーのシチューだ。
僕はそれ一本のつもりでいた。
ところが。
ここに困った人がいた。我が妻マサエである。
賢明なる読者はとっくにご承知のとおり、うちの奥さんは夕飯が皿1品だとちゃぶ台返しをするヤツであった。シチュー一品でおさまるわけがないではないか…。
メニューを見ているうちに彼女はいろいろ食べてみたくなったらしい。
「ねぇ、ねぇ、これおいしそうじゃない?」
「あ、これってどんなのだろう?」
おいおい、さっきまであんまりお腹は空いていないといっていたのではなかったのか?
ま、食事をしにきたというよりも、飲みにきたのだと思えばいいか……。
とはいえここは飲み屋じゃなくてレストランである。キラ星のごとく並ぶメニューはどれもこれも一人前一食分の量であるに違いない。念のためウェイターに訊いてみることにした。
ハワイに行ったときにかなり実感したことだが、この国でサービス業に従事している人はみんなプロである。ウェイターという仕事も、日本とは違ってキチンとした職業としての市民権がある。みんな「プロ」なのだ。
だからたいがいそうなのだろうけれど、このウェイター氏も飛び切り陽気なアメリカンだった。映画「ジョーズ」に出ていたリチャード・ドレイファスのような面持ち、ヒゲ面だったので、勝手にリチャードと呼ぶことにしよう。
で、リチャードに尋ねてみた。
「リチャード、このカリブーのシチューってのはいったいどれくらいの量なんだい?」
「オー、だいたいこれくらいですよ」
といって手を広げて示してくれたサイズは、日本人にはやはり大量だ。
「そうか、それは大きいね…。では、そういった品を二人で分けながら食べるってことはできるのかい?」
「もちろんできますよ。お腹の減り具合はいかがですか?」
「そうだなぁ、それほど減ってはいないんだよね……」
「でしたら、メニューによってはスモールサイズも用意してありますが…」
「そうか、では…」
といって頼んだのが以下の品である。
シーフードチャウダー
スモークサーモンのサラダ スモールサイズ
マッシュポテト
ハリバットのチーズ焼き
カリブーのシチュー
 もう一度言うが、僕はただただカリブーのシチューだけでよかったのである。それにはガーリックトーストがついているから、他にライスやパンなども必要なかったのだ。そして、さほど腹が空いているわけでもないからもちろんそれだけでたっぷりの量なのである。
それがなんでこういうことになってしまうのだ……。
注文するときに、リチャードは料理の選択をいろいろ迫った。ハリバットはどうやって料理いたしましょう?という具合に。ハリバットが巨大なヒラメであることは知っているけど、どうやってっていったってわかんない。そういうときには決まり文句がある。
「オススメは?」
ってやつだ。
するとリチャードは、
「もしチーズがお好きでしたら、チーズと一緒に焼くのが美味しいですよ」
迷わずそれに決めた。
また、何かとのセットメニューなのか、あとでレシートを見たらたったの2ドルだったので驚いたチャウダーも、中身の具を選ぶことができた。とりあえずシーフードってことで。
そしてリチャードは、
「これらメニューは一度に出しましょうか、それともコースで出しましょうか」
と訊いてきた。
あ、ホントだ、スープ、サラダ、魚料理、肉料理と、まるでコース料理になってるじゃないか。順番に出してもらうようお願いした。
そして忘れてはいけない、ビールである。
他のいかなる重要なことを見落とす僕ではあっても、アラスカにアラスカンアンバーという人生のヨロコビ的ビールがあることは心得ていた。もちろんそれの生を頼んだ。
いやはやこのアラスカンアンバーの美味いこと。
いみじくも出発前の成田で飲んだビールは「琥珀の時間」という銘柄だったが、我々はこの日以降、ずーっとずーっと琥珀の時間を過ごすことになった。
さぁ、コース料理がやってきた。
まず最初はシーフードチャウダーである。
たったの2ドルである。ああ、それなのに…
メチャクチャ量が多い!!
そして具だくさん!!
魚介類をふんだんに盛り込んだこのスープ、はっきりいってこの夜食ったメニューの中ではダントツで美味かった。
全部一品ずつ頼んでそれを分けて食べるよう頼んでいたのに、なぜこのチャウダースープだけ2人前出てきたのだろう??と思ったら、実は注文するときにうちの奥さんが勢いで
「あたしも…」
などと口走っていたのである。何を考えているのか………いや、何も考えていないのだ。
なんかもう、これだけで腹いっぱい……。
カリブーを食いにきたというのに、カリブーの出番がやってきた頃には我々は力尽きて倒れているのではなかろうか。こんなことならドドンと一度に持ってきてもらえばよかった…。
スープはよろこびの一品だったが、続くサラダはダウーンって感じ。フレッシュサーモンのナントカサラダの主人公たるべきサーモンが冴えないのである。やはりこの時期にフレッシュを求めるのは酷というものか。スモールサイズにしておいた良かった。それでも多かったけど……。
なんだかリチャードは、
「ほらほら、多いぞ多いぞぉ、食べられるものなら食べてみな!」
と言わんばかりに、挑戦的に次々に料理を運んでくる。
スープの時点で早くもテキの思う壺にはまっている我々には、どこからでもかかって来い、というような迫力はもはや出せないのだった。
ハリバットは噂にたがわず巨大だ。
いったい体のどの部分の切り身なのかわからないが、その厚みといったらもう……。アマミウシノシタを5枚くらい重ねたようなものだった。
マッシュポテトとブロッコリーの小皿はレシートに載っていなかったから、おそらくハリバットのオマケだったのだろう。が、おまけのクセに量が多い。
そしてカリブーのシチュー!!
けっして絶賛するほど特別美味いものではない。けれど、カリブー!!という高揚感が絶妙な味付けになる。やや濃い目のシチューの味は、添えられたガーリックトーストと抜群にマッチした。
肝心の肉はというと、けっこうアッサリしていたので驚いた。ダチョウほどではないけれど、牛肉に比べれば随分脂肪分が少なそうである。これなら、たとえカリブーばかり食っていたとしても、コレステロールが溜まりすぎる事はなかったのだろう。
いやはや、テーブルを埋め尽くす皿の数々。
腹はそれほど減っていないと言っておきながら、こんなにも注文してしまった我々に対するリチャードのこれでもかという大量攻撃により、我々はついに矢尽き刀折れ、白旗を揚げざるを得なかった。
たびたび通りかかっては
「いかがですかな?」
という彼に、満腹を示す腹太鼓を打つと、
「そりゃそうでしょう。私のお腹みたいになりますよ(笑)」
と、彼は突き出た自分のお腹を目一杯膨らませてみせるのだった。
白旗を揚げたあと、中途半端に残った数々のメニュー。日本だったらそのまま残飯になるところだろう。しかし欧米では持ち帰りたいといってもおかしなことではない。そんなときに便利な単語が
ドギーバッグ
である。
犬の箱。もともとは持ち帰って犬の餌にするというような意味からなのだろうが、今では持ち帰り用の箱という意味になっている。
早速それを使おうと思ったら、頼むよりも前にリチャードが提案してくれた。思わず知ったかぶりして
「ドギーバッグ?」
と訊くと、
「イエス!」
こうして、白旗を揚げた我々には、リターンマッチのチャンスが残された。
さて、食事を楽しんだ……というか食事と12ラウンドを戦った我々は、帰りにまたタクシーを呼ばねばならない。
さっきホテル前で運ちゃんが無線で問うた時は、45分後になるなんてことを言っていた。恒常的にそれくらいかかるのであれば、清算を済ませてからタクシーを呼んだのでは、手持ち無沙汰のまま店内でタクシーを待つことになるかもしれない。
今さらながら明かすと、レストランでのリチャードとのやり取りは、実は
「レストランでの会話」
という虎の巻コピーをカンニングペーパーにしていたからスムーズっぽく見えるトークになっているのだ。しかしそのコピーには応用編は載っていない。
再び、体力と精神力を要する会話をしなければならなかった。
「リチャード、私は一つ質問があります。質問してもいいでしょうか…」
「はい、もちろん。なんでしょう?」
「我々はホテルに帰らなければならない。タクシーを呼んで。タクシーを呼ぶ、食事中、食事後。待っているここで。どっちがいいのでしょう?」
それを聞いて意味を理解できるリチャードはすごいが、答えてくれるリチャードの言葉がいまいちわからない。わからないので、ついでに、
「タクシーを呼んでください?」
と訊ねると、リチャードは万事承知して、
「かしこまりました。それでは私がタイミングを見計らってタクシーをお呼びいたしましょう」
おー、それそれ、それを最初からお願いしたかったわけよ。
こうして、ポンプハウスでの食事は終わった。
腹以外の体の隅々までビールと食べ物が充満している気がするほどに、腹いっぱい体いっぱい食べた。満腹を通り越したこの状態は満体とでも呼ぶのだろうか。ま、ひもじさと寒さに震えるよりは、苦悶の腹いっぱいのほうがシアワセというものか……?
リチャードへのチップも忘れてはいけない。
二人合わせてしめて61ドルの10〜15パーセントというと……。
バカのように食うと、チップはバカにならないことがわかった。 |