さらばベテルス…
永遠に静止していて欲しいと願う時間ほど、あっけなく過ぎていくものである。
ここでの滞在も、最後の夜も、そして美しい極北の夜明けも、すべて過去へと通り過ぎていく。
今朝の食事はピートのスペシャルオムレツだった。
玉子焼きの中に、ハム、トマト、マッシュルーム、チーズなどがごそっと入っている豪華版だ。
ただ、いつもと様子が違い、
「SATO、MASAE、オムレツを食べるか?」
とピートが訊く。
もしかして今朝の朝食は別料金なのかと不安になったが、そんなことはなかった。
しからば、今朝の特別オムレツはなんで??
「きっと気が向いたんでしょう」
といってヒサさんは笑った。深く考えるのはよそう。
今日フェアバンクスへ我々を運んでくれる飛行機は午後2時ということだった。我々がどうせ朝までオーロラを見ているだろうから、という配慮もあったのかもしれないが、たとえ我々が前夜9時ごろ寝ていようとも、きっとこの日の飛行機は午後だったろう。
それでも、荷物を片付けることを考えたら、とってもありがたかった。
朝食を終え、最後の散歩を。
最後と思えば思うほど、一歩一歩をしっかり踏みしめたくなる。
なるべくそういうことは考えずに、軽快に歩くことにした。
郵便局に行って絵葉書を出すついでに、ジニーおばあにお別れの挨拶をしておこうと思った。
ところがあいにく彼女は留守で、他の女性が店番をしていた。ジニーおばあに会えなかったのは残念だけど、このあとの散歩の足取りのことを思えば、それでよかったのかもしれない。
この日は風が強かった。
気温はそれほどでもなかったが、風に向かって歩くとすべての体温を奪われてしまいそうだ。
北極圏の寒太郎は、ワールドワイドに強烈である。
そんな風に乗って、1羽のカラスが飛んでいた。 これまでの散歩でもときおり目にしていたが、そのたびに、やっぱり人が住むところにはカラスがいるのか……と、残念がっていた。
すると、そのカラスはまったく意表を突いて、
「ポワッポワッ」
と鳴いた。カラスとは思えない声だった。
水納島で見るカラスよりもずっと大きく見えるそのカラスは、風に乗り、遠くの大地へ飛んでいった。
今まで見ていたカラスたちは、もしかしてワタリガラスだったのか……。
この地のすべてのもとはワタリガラスであるという神話がある。
あらゆるものに魂を吹き込んだのだそうだ。
ワタリガラスにまつわるそういった神話が、この地に住むネイティブの人たちの間で広く伝わっているのはよく知られている。
しかし、そのワタリガラス神話が伝わっているのは、北米大陸だけではなかった。
遥かな昔、ベーリング海峡を渡ってこの地にモンゴロイドがたどり着く以前から、どうやらその神話は存在していたらしい。
そう、極東アジアにもカラスの神話があるのである。
サッカー日本代表チームのユニフォームの胸のエンブレム、日本サッカー協会( JFA)のシンボルマークが、ヤタガラスという3本足のカラスがデザインされているものであることをご存知だろうか。
ヤタガラスとは、古事記、日本書紀の神話に出てくる神々の使いである。東征をする神武天皇を導いたとされている。
そのヤタガラスは、もとをただせばワタリガラスだったのではないか。
そういう話もある。
アジアと北米にまたがるモンゴロイドに深くかかわるその鳥を見て、おそれおおくも僕たちは、銀座でゴミを漁るカラスを見るようなマナザシを向けていたのだ。
ひょっとすると最後に彼が独特の声で鳴いたのは、その間違いを正すためだったのかもしれない……。
 ベテルスロッジの近所にある雑貨店に入ろうとしたら、ドアが開かなかった。外には「OPEN」の看板が出ているのに。ま、そういうことは沖縄でもよくある。休業中と出ているのに営業していることだってある。
スゴスゴと引き上げ、この地でやろうと思ってやりそびれていた最後の作戦をすることにした。
茨城から沖縄に来て、さらにアラスカまで飛んできた日本の干し芋を、アラスカの大地とともに撮ろうと思っていたのだ。
この日ついに敢行。
強風にはためくアメリカ国旗をバックにして、茨城の干し芋はたしかにアラスカの雪の上に立った。
犬のウンコに見えるけど……。
ロッジに戻ってお茶していると、ヒサさんがいたので、雑貨店のドアの件を伝えた。すると、
「あ、あそこのドアはなかなか開けられないんです…」
という。
彼女はちょうどお昼の休憩時間だったので、一緒に行ってチャレンジしてくれることになった。
実は彼女も自力では開けたことがなく、いつも四苦八苦しているうちに中から開けてもらっていたそうだが、はたして今回は……。
細い体で懸命にドアに体当たりするヒサさん……。しかしドアはビクともせず、結局やはり内側から開けてもらった。
それにしても、客がなかなか開けることができないドアっていったい……。
中は駄菓子屋のようだった。
カップヌードルアメリカ版もある。食ったことはないが、話によると日本のものよりも麺が細切れなのだそうだ。箸ではなくフォークかなんかで食べるからだろうか。
わざわざ開けてもらったのに何も買わないのでは申し訳ないので、ポストカードを買うことにした。

そして時計はまわる。いよいよ部屋を片付けねばならない。
発つ鳥あとを濁さぬようにといいながら、使い切れなかった「靴用ホッカイロ」 1パックはヒサさんに託した。
荷物をまとめてロビーに置き、ロッジへ行った。精算をしなければならない。
いちいち何本飲んだか気にしていなかったので、ビール代が天文学的になっていたらどうしようと恐怖していたが、せいぜい考古学的規模だったので安堵した……。
ロッジにあるお土産を買い、精算を済ませれば、あとはもう飛行機が来るまでお茶でも飲んでいるしかない。
すると、コービィさんが来てくれていた。そして、スタッフのみんなも。
いよいよお別れか……。
と思いきや、飛行機は2時50分になった、とピートが告げた。
うーん、こういう微妙な時間はあっさりと過ぎたほうがいいのだが…。
しばらくしてまた無線が入り、応答をしたピートがまたやってきた。
「飛行機は2時30分になった」
行きは飛行機の時間で気をもんだけれど、もう僕たちは飛行機の時間なんていつでもどうでもよくなっていた。
飛行機を待つ間に、コービィさんの三脚を借りてみんなで記念撮影を。
すると、コービィさんもヒサさんも自分たちのカメラでかわるがわる撮った。
「これが日本の普通のスタイルだ」
というと、ピートたちは笑った。

数々のお礼代わりに、というにはあまりにもささやかながら、ピートに水納島海中案内の冊子を渡した。ピートはスクーバダイビングの経験があるので、
「これは君たちが撮ったのか?」
といいつつページをめくり、僕が知る限りの賛辞の言葉を惜しみなく使ってとっても喜んでくれた。うちではまったくの粗品なんだけど……。
冬期よろず雑用係のラッソルにも何か手渡したかったが、彼にはあのアワレンジャーをたらふく飲んでもらうことにしよう。へべれけトミーにも是非味わってもらいたい。
お世話になったコービィ氏には、13年のブランクを終え、是非ダイビングを再開するようオススメしておいた。今は何もお礼ができないけれど、もし水納島で出会うことがあったとしたら、そのときは思う存分恩返しさせてもらおう。
ところで、コービィという名はピートが彼をそう呼んでいたからなのだが、なぜそういうふうに呼ばれるのですか?と素朴に訊くと、
「名前がね……光るに美しいって書いてコウビって言うんですよ、僕。イヤなんだけどね……」
ああ!!ファーストネームだったのか!!
それも、まさにオーロラのような名前。最後の最後に知ったのだった。
これまでタイミングを逸し続けていたのだが、最後にヒサさんにもマサエ工房のビーズアクセサリーをプレゼントした。あらゆる人にお世話になったけれど、異国の地で聞く関西弁まじりの彼女の言葉ほど我々に安堵という力を与えてくれたものはない。そのお礼がこんな小さなアクセサリーでは申し訳ないくらいだ。
彼女にもみんなにも、沖縄に来ることがあったら是非、と言っておいた。
 そして飛行機がやってきた。
この飛行機で、我々と入れ替わりに今日からしばらくここに滞在するゲストもやってくる。
常連さんである彼を迎え、ロッジはまた、これまで同様の日常の日々を送っていくのだろう。
僕らにとってはあまりにも非日常の、魅力溢れる極北での日々を……。
最後はピートまでが飛行機のところまで見送りに来てくれた。
来たばかりの頃には、気恥ずかしくてとても自分たちにはできないと思っていた挨拶、ハグ。でも、これまでの感謝の気持ちが、自然とそんな気恥ずかしさを吹き飛ばす。
毎日毎日、陽気に接してくれたピート。
そして、我々の旅行の勝利の女神、ヒサさん。
感謝を込めて力強くハグすることができたのだった。
ピートとうちの奥さんなんて、まるでグリズリーに襲われているジリスって感じだったけど……。
さあ、飛行機に乗らなければ。
ベテルスよ、北極圏の人々よ、ありがとう!!
また来る日までなどと気安く言える距離ではない。でも僕たちは、遠いところでこの地をいつまでも思い続けることだろう。

北極圏証明書(下)の裏に書いてもらったピートのサイン

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