余録5・まさかの連続焼肉

 

 弟が家族とともにやってきてくれた賑やかな晩を過ごした翌日。
 
 特になんの予定も入れていなかったので、散歩ついでに祖母の墓参りに行くことにした。

 墓参りを済ませたあともまだたっぷり時間があったから、今回はこれまでオタマサが一度も歩いたことがない方面に行ってみよう。

 テーマは、「昔ながらの農家を見る」。

 その昔のこのあたりは見渡す限りの水田地帯で、古い家といえば農家ばかりだったのだ。

 しかし時代とともに田んぼの面積はどんどん減少し、趣のある古い家も次々に姿を変えていく。

 でもまだ、こんな感じの景色がところどころに残っている。

 以前紹介したパン屋さんの271(フナイ)さんからもう少し西に行ったところ。

 子供の頃はどこにでもあった風景も、今ではイリオモテヤマネコなみにすっかり絶滅危惧種になっているのだ。
 ベッドタウンとして発展するしかなかった街には、ありがちな話ではある。

 このあたりは高槻市と茨木市の市境付近で、もう少し西に行くとすぐ茨木市になる。
 茨木市に入ってからちょっと南下すると、こんもりと緑が茂った小丘が見えてくる。

 これ。

 こういうお堀、金沢だったらお城につきものだったけど、このあたりでお堀といったら……

 そう、古墳!

 日々改まる考古学的見地を顧みず、「ここは継体天皇陵である」といまだに宮内庁が頑なに言い続けている古墳だ。

 僕が子供の頃は御陵さんと親しまれ、誰もが継体天皇の古墳だと信じていたこの古墳は、今城塚古墳の調査が進めば進むほど、ここにはいったい誰が葬られているのかわからなくなってしまった。
 でも継体天皇陵であると言い続けている手前、いまだに宮内庁が管理している。

 そのため今城塚古墳のように自由に出入りすることができず、江戸時代の辻の高札のようなこういう札があるのだ。

 それにしても、生きものを獲るなとか木々を伐採するなというのはわかるんだけど、

 「みだりに域内に立ち入らぬこと」

 って……。

 我々がここから先に行くのは、「みだり」になるんでしょうか。

 わかんないので、気にせず奥に行ってみる。

 京都御苑とはいかずとも、実に手入れが行き届いた参道(?)。

 その先には……

 いかにも「天皇陵」ってな雰囲気の神域が。

 さらにその先には、我々凡百の民が足を踏み入れることかなわぬゾーンがあって、まるで枯山水のような手入れの行きとどきようだった。

 ここで大の字に……………

 ……なる勇気もさせる勇気もさすがにない。
 いや、勇気の問題じゃないって。

 こういう古墳が散歩の範囲にポコポコある生活ってのは、一部の方にとってはとってもうらやましいことなのだろう。

 でもそれが当たり前のヒトにとっては、今も昔もそこにあるのが当たり前の御陵さんなのである。

 この日のランチは、なにやら父がご馳走してくれるという。

 ホントは散歩ついでに271さんでパンなど買って、前日梅田で買ってきたモッツァレラチーズや生ハムをランチワインとともにみんなでいただこうと画策していたんだけど、この朝急遽父が思い立ったらしい。

 その時刻に合わせ、散歩を終了した。 

 で、そのご馳走の場所とは……

 え゛ッ!?

 や……焼肉っすか???

 やって来たのは、実家から歩いて10分ほどの、国道171号線沿いに最近できたという焼肉八苑。 

 前日鶴橋まで焼肉を食べに行っていることは百も承知のはずなのに???

 ひょっとして我々って、いつもいつも肉肉肉!!的な脂ぎってギラギラした肉食モードと思われているのだろうか。

 というか、一般的に2日連続で焼肉屋には行かんですよね。

 でもまぁ、これもすべては、普段焼肉屋で焼肉を食べたいけど食べられなくてプスプス青い焔を燃やしている母の不完全燃焼的情念を鎮めるための、父の決意の配慮なのかもしれない。

 そして判明したことは。

 やはり母も肉食系大阪のおばちゃんなのであった。

 2日続けて焼肉という、普段じゃ考えられないゼータクをした我々も、「焼肉」の素晴らしさにちょっと開眼してしまったりもする。

 とにかくホルモン系は美味いッ!!

 次回は両親とともに鶴橋へ行くことにしよう。

 さて。

 長きに渡って綴られた本編のあとに、さらにグダグダとしつこく続いた余録もこれにて終了。

 ここまで読み進めてくださった方は、よほどの暇人であると断言していいだろう。

 しかし我がクロワッサンは、そんな暇人の皆様のおかげで成り立っているといってもいい。

 暇人とは、すなわち粋人。

 東京から金沢まで2時間半になった!なんてことに群がるヒトが、わざわざ那覇からさらに2時間3時間もかかる水納島まで来るはずはないのだから。

 水納島まではるばるお越しくださる皆様に、あらためて感謝を捧げつつ。