12・萩 へ
ホテルで荷物を受け取り、再び門司港駅に戻ってきた。 ここからまた鉄路になる。 スピードよりも乗りたい路線を重視するオタマサのこと、時短文化真っ盛りの今の世の中では考えられないルートになってしまうのはいつものことで、門司港駅のかつての一等・二等待合室にあるみどりの窓口で購入した切符は……
これをひと目見ただけで、 ハハ~ン、こうしてこう行ってこうだなぁ… …などとすぐにルートがわかる人々とはあまりお近づきにはなりたくないのだけれど、実のところこのテの話は、そういう方々としか楽しさを共有できない、という動かしがたいジジツもある。 門司駅まで我々を運んでくれる列車が、門司港駅に到着した。
このとき、列車の到着を2人の女性職員が待っていて、列車が停止すると、運転席に向かって2人揃ってビシッと敬礼。 なんだかカッコイイ。 この列車に乗るべくガラガラ荷物を引きずっているオタマサに、同じくこの列車に乗ろうとしていた旅行者(日本人)が、ナニゴトか尋ねていた。 「この列車、小倉駅にも停まりますか?」 あのぉ……明らかに旅行者である我々に、そんなローカルクエスチョンをされましても。 停まらぬはずはなかろうとは思いつつも、ウカツなことは言えないので、そういうことは上の写真のおねーさんに尋ねたほうがたしかですよ、と言っておいた。 門司駅で降りて、下関行きの列車に乗り換え。 V字ターンで海峡越えだ。 関門海峡を徒歩で横断し、船で渡り、そして最後は鉄道で。 するとオタマサ、なにやらワクワクしつつ「写真撮らないの?」と一言。 写真を撮るも何も、海峡横断中の窓の向こうはトンネルの暗闇なんですけど……。 あれほど教えてあげたというのに、彼女はまだ山陽本線が鉄橋で海峡を渡るという思い込みから脱していないのだ。 多分今年の夏くらいになると、 「あれ?列車で鉄橋渡った記憶がない??」 とか言いそうでコワイ……。 やがて山口県に入り、港湾地帯にある船舶用ドックで福岡県警と舷側に書かれた大きな船が上架されているのが見えた。 警視庁と神奈川県警の間ではあり得なさそうな、管轄越境ドック……。 門司駅から7分の鉄旅が終了し、列車は下関駅に到着。 門司駅で乗り換える際に想定よりも一本早い列車に乗れたので、下関駅で乗り換えるまでの待ち時間がけっこう長くなった。 我々の切符だとホントはダメらしいんだけど、改札のおねーさんにお願いすると、おねーさんは田舎から来た旅行者にとても優しく、途中下車をOKしてくれた。 おかげで外から……
下関駅。 これまで通過したことはあった下関駅、降りてみたのは初めてだ。 東口から出ると仙台駅のようなぺディストリアン・デッキになっていて、そこはもう都会だ。
西口はどうなんだろう? テケテケ歩いて反対側に行ってみると、駅から出て10歩歩けば漁港ってくらいの、鄙びた駅前広場になっていた。 近くにあった駅周辺の地図を見てみると……
最終職歴が赤間神宮の宮司となった白石正一郎邸跡が、ひと際大きな文字で記されている。 現在は中国電力の敷地内になるらしく、当時は海岸線だったそのあたりはすっかり埋め立てられているから、昔を偲ぶよすがはなさそうだ。 当然ながら豪商の邸宅の名残りなど跡地にあるはずはなく、ただ跡地であることを告げる石碑がポツンと立っているだけという。 神社の宮司として世を去った彼の本音はわからないけれど、ともかくもこうして邸宅跡が地図上に大書されているだけでも、身代を潰した甲斐があったというところか………なぁ。 もう少し先の日和山というところには、病に倒れた高杉晋作終焉の地もある。 しかし外に出て散歩できるほどの時間すらなかったので、再び改札を通って構内に。 構内のコンビニで、車中のお供になるドリンクを買い求めることにした。 そのコンビニにも……
フグ提灯が並んでいる。 そして「獺祭あります」の文字が、ご当地感演出を手伝っていた。 ところが。 他所では見られない地ビールでもないかいな…と酒コーナーを物色していたら、なんとなんとそこに、大手メーカーのビールと一緒に、 オリオンビール いちばん桜 がズラリ。 な……なんでここでオリオンビール?? 発車時刻が近づいてきたのでホームに上がって待っていると、我々が乗る列車が到着した。
夕刊フジのようなオレンジ色のニクイ列車は、どう多めに見積もっても車内はガラ空きであろうことが想像に難くない、山陰本線の2両編成の各駅停車。 飲み鉄俳優六角精児ならすぐさまこの車両の蘊蓄をたれるところだろう。 あいにくそんな知識は持ち合わせていないので、後日そっち系のゲストに教えてもらうこととしよう。 下関まで山陽本線だった線路は、ここから先は昨年も世話になった山陰本線になる。 下関駅が終点の列車が折り返すから、始発でGO。 ~♪ 萩にゃ行きたし 門司港も未練 ここが思案の下関 というわけで、さらば下関!
下関から東萩駅までずっと山陰本線。ただし不便なことに直通列車はなく、途中長門市駅で乗り換えなければならない。 長門市駅までの道のりは、山口県の西側、すなわち本州の西端をずっと北上することになる。 路線図を見ると、途中途中に海が近くなるところがある。 それを見越して進行方向左側の席に陣取っていた我々は、福江駅あたりで早くも望みをかなえることができた。
海が見えるようになったら飲み始めると宣言をしていたオタマサ、さっそく先ほどのコンビニで手に入れた、山口県は岩国の酒、雁木で乾杯。 なぜだかオリオンビールいちばん桜が置いてあった全国区コンビニも、ご当地のお酒のラインナップは多少頑張っており、しかもなんとも気が利いていることに、使い捨てぐい飲みカップが2つセットになっていた。
これは雁木の醸造所八百新さんのアイデアなのか、それともコンビニの工夫なのか? これまで経験したことがなかったので、ちょっぴり感動していたオタマサである。 さて、雁木でしっぽりもいいけれど、ワタシにはふくの河久でテイクアウトしたフクのから揚げが待っている。 から揚げとくればやっぱり炭酸。 梅沢富美男ご推奨の「ど真ん中!」レモンサワーで、から揚げを流し込む。
一方、雁木オタマサは、唐戸市場で手に入れた練り製品でチビチビと。
その名も簀巻き。 そのまま食べるものなのかと思いきや、袋を開けてみるとこういう具合になっていた。
プラスチックを減らそうという世の中の動きに超アンチながら、一本一本独立しているストローのようなもので練り製品をグルリと巻いてあり、このストローを取り払うと、チクワブのように成型された練りものが姿を現す、という寸法だ。 カマボコのような密度の高さはなく、はんぺんのように頼りないわけでもない、ちょうど中間くらいの食感は、雁木でチビチビやっているオタマサにはちょうどよかったらしい。 早くもいいコンコロモチになっていると、列車は梅ケ峠という駅に着いた。
峠は「とうげ」と読まずに「とう」で終わるらしい。 読み方は変わっていても、駅自体はこのあたりにあってはごくごくフツーの素朴な無人駅のように見えたのだけど、ホームには見逃すわけにはいかないポスターがあった。
東経130度54分に位置する梅ヶ峠駅は、本州最西端の駅だったのだ。 ちなみに、日本最南端の鉄道駅はこちら。
たしかにどこかの「端」というのは、旅のロマンを掻き立てる。 世の中には最西端ってだけでこの駅を目指す鉄もたくさんいるんだろうなぁ…。 梅ヶ峠のあたりは一望田園地帯だ。
二毛作的に冬場に麦を育てているらしき区域も多数あったけれど、ほとんどは刈田。 ただ、冬の刈田のはずなのに、子供の頃に実家の近くで観た風景と違い、やけに青々としている。 2月上旬の刈田って、こんな感じでしたっけ? この田園地帯を過ぎ、小串あたりまで来ると、再び窓外は海になった。
ホントに海のキワキワを走っているから、なんとも眺めが素晴らしい。 テレビの乗り鉄撮り鉄番組なら、こういう場合、走っている列車を俯瞰するシーンになるところだ。 あいにくピカチュウ飛行機と一緒で、乗っている人間はけっして目にすることはできないから、頭の中でイメージするしかない。 2両編成のローカル線に乗っている客は、地元の方々がほとんどだ。みなさんこのあたりにお住いの方々のようで、どこか隣町で買い物をしてきた帰りらしい方の姿も見える。 湯玉という駅に着くと、わりと降りるヒトが多かった。 買い物帰りの重い荷物を引きずりながらのおばぁもいて、知り合いの方なのか、一緒に降りるヒトが手伝っていたけれど、降りたホームからその先は……
下までかなりありそうな急階段! 買い物の荷物を携えて降りるのも大変そうだけど、行きはここを登ってきたんですよね?? 過疎問題、高齢化問題を気安く語る政治家は数多けれど、こういう暮らしの中のゲンジツを、はたして彼らはどこまで知っているのだろうか。 湯玉を過ぎると、海辺の田園地帯になった。
やはり刈田が青い。 空も青い。 海も青い。 酒が美味い。 しばらく内陸部を走っていた列車は、再び海辺を走る。
未明から吹き始めた北風が大きなうねりを作っていて、冬の日本海のイメージにピッタリ。 でも…… こんだけ時化てると、今日は魚が獲れてないかも?? 再び内陸に入ると、窓外はまた田園地帯。麦が青々と育っている。
このあたりはすでに長門市になっている。そして長門に入ってから、車窓から見える集落の家々に石州瓦っぽい屋根が目立つようになってきた。
漁港近くの海辺の集落も……
石州瓦率高し。 昨年の温泉津探訪の際に初めて知るところとなった石州瓦、長門の国にもこのように普及していたってことなのだろうか。 意外にルイージで長州瓦って名前だったり?? 気になったので調べてみたところ、江戸時代初期に誕生した石州瓦は凍てつきに強いという特徴があり、「こりゃ素晴らしい!」ってことで、当時の海の高速流通システムである北前船などで、冬期寒さが厳しい日本海沿岸地域にどんどん広まっていったらしい。 そうやってモノが広まる一方で、石見の瓦職人たち自身の移動という伝播もあったようだ。 地元で職を追われたのか職を求めていったのかは知らないけれど、各地に散った石州瓦造りの職人は、その土地その土地の土を使いつつ、本場の石州瓦の品質をキープし続けたのだとか。 日本の自動車産業の人材が流出し、お隣の半島や大陸のメーカーを大成長させたようなものだろうか。 なので長門に石州瓦の集落があっても、何の不思議もないのだ。 温泉津も赤かったけど……
長門も赤い。 そうそう、赤い屋根話のついでに、もうひとつ気がついたことが。 このあたりの立派な瓦屋根には、赤黒問わず、必ずといっていいほど屋根にしゃちほこがついている。
同じ石州瓦でも、温泉津の屋根にしゃちほこなんてあったっけ?? 見た記憶はなかったから、念のために昨年温泉津や沿線で撮った写真をふりかえってみたところ、車窓から見た集落にも温泉津の家々にもしゃちほこはまったく見られず、写真に残している限りではただ一カ所、温泉津の恵珖寺というお寺の門にだけしゃちほこがあった。 ところがこのあと、萩(の城下町ではなく漁村)でも、萩からの帰り山陽方面へ向かう沿道でも、しゃちほこが屋根の上にあった。 山陽本線の広島でも、チラリホラリと目にした記憶がある。 このしゃちほこ、いったいどういう文化でどのように伝播しているものなんだろう? …と、我々の眼は窓外の景色ばかり眺めている一方で、耳は車内側にダンボになっていた。 というのも。 すぐ近くの席に乗り合わせた地元の年配のご婦人2人づれのうちの片方の方が、そんな話をこんな車中で、しかも朗々と響き渡る声でしゃべってていいんですか?という内容の話を、延々語っておられたのだ。 どうやらご主人に先立たれた資産家らしく、その後の一族における墓モンダイからなにから、まるで横溝正史の金田一耕助シリーズでよくある田舎のドロドロ話である。 その話の主要登場人物の一人「ヤスヒラ」さん(おそらく息子さん)、見知らぬ方ながら、思わず「がんばれ!」と心で声援を送っておいた。 話の内容はドロドロでも、旅行者としてはネイティブな山口の言葉を聞けて面白い。 ローカル線って素敵だ。 車窓の景色にワクワクしつつ、車内の話にドキドキしながら、下関から2時間15分ほどの鉄路の果てに、長門市駅に到着。
ここで東萩駅行きの列車に乗り換えねばならない。 東萩行きの列車は…
1両編成。 あ、この路線の車両が赤いのは、ひょっとして石州瓦の家並の風景に合わせてのことなのか?? この東萩行き単行列車が長門市駅を出発するのは16時19分。 ここから40分ほどで東萩駅だから、到着するのは17時頃になる。 沖縄なら冬とはいえまだ明るい時間帯だけど、萩ともなるととっぷり日も暮れて薄暗くなっているのだろうなぁ…。 見知らぬ土地で、さしてにぎやかではなさそうな駅に降りてから、重い荷物をズルズル引きずりながら薄暗い中を歩くのはサビシイ…… …と思っていたら。 門司港駅から4時間20分の鉄旅はついに終了し、東萩駅に到着!!
意外にも萩の17時はまだ明るかった。 まずは今宵の宿を目指そう。
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