とら丸旅館

 いまさら言うまでもないことながら、この讃岐の地へ来た目的は、一にも二にも、さぬきうどんを食う!!ということだった。
 だがしかし、そこは田舎者である。せっかく来たのだから、はずせないところははずせない。
 そう、金毘羅さんだ。
 なにしろ海の守り神である。海上安全の本家本元、大御所なのだ。冬に遊び呆けているクロワッサンとはいえ、腐ってもタイ、遊んでいてもダイビングサービスである。金毘羅さんを素通りするわけにはいくまい。

 それを踏まえて宿探しをしていると、なんとなんと、絶妙なロケーションの旅館があった。
 とら丸旅館である。
 ご存知のとおり金毘羅さんの参道は長い長い階段なのだが、その階段の92段目に宿がある。
 92段目だなんてけっこうしんどいんじゃない?と思われた方もいるかもしれない。けれど、金毘羅さんはこの先まだ700段近くも登らなければならないのである。それを思えばふもともふもと、余裕ではないか。〜♪コンピラ船船、追い手に帆かけてシュラシュシュシュ……と歌っているうちに着くはずだ。たぶん…。

 宿の紹介を見ていると、ここもやはり自慢の料理をふんだんに味わえるとのことだった。専用の生け簀を持っていて、いつでも新鮮な魚を一流の板さんがさばいてくれるという。
 食いたい。食ってみたい。
 ああ、しかし……。
 旅の目的を忘れてはならない。なにしろうどんを食いに来たのである。それも、何軒も周って食べ歩きをしよう、というのが目的なのだ。つまり、変な時間に食事をする事になるから、万全の体制で宿の夕食を味わえないことになる。
 握り締めた手の平から血が滴り落ちるほどの断腸の思いで、素泊まりでお願いします、と告げてあった。料理自慢の宿で素泊まりというのは非常に申し訳ないのだが、今回ばかりは仕方がない。

 宿の方が琴平駅まで迎えにきてくれる手はずになっていた。到着後駅から電話すると、5分ほどで来てくれるとのこと。待合所で植田さ〜んと呼んでくれるらしい。ちょっと恥ずかしい。
 しばらく待っていると、茶髪&飾りキラキラ青年が現れた。
 ゲゲッ、あの人!?
 一瞬身構えてしまった。他人のファッションセンスに特に意見は持たないが、宿のイメージにそぐわない。この人だったらどうしよう…、と不安がっていると、その人はまったく関係のない方向へと消えていった。胸をなでおろす。
 数分後、初老の男性が入り口に現れた。まさに想像通り。きっとこの人に違いない……
 「植田さ〜ん……?」
 ビンゴ
!!

 車は階段を上れないので、裏道をクネクネと曲がりながら進む。歩けば宿まで15分ほど、ということを聞き、とりあえず宿〜駅間は大丈夫、と確認。
 たった数分の道のりなのに、送迎の初老紳士はなにかと熱心に、そして親切に琴平の見所を教えてくれる。とってもありがたい。けれど、それらを周っている時間が我々にはなかった。だからといって、せっかく教えてくれているのに
 「僕らはうどんを食い歩くので……」
 というのもなんだか気まずいのだった。

 駐車場からテクテク歩くと、すぐに参道の階段だった。まさに参道沿いに、古風な旅館があった。
 初老の送迎紳士がいう。
 「ほら、あそこに百段目とあるでしょう。そこから8段下なので92段目です」
 なるほど。

 さて、宿の中に……と玄関に立った時、ふと横を見ると宿泊客の羅列が。○○商亊ご一行様、とかいうやつである。何枚も札がかかっていたので、へぇ、団体さん多いんだ、と思ったら、なんとその札の中に
 「沖縄県 植田様」
 という文字が。

 うむむむむむ。なんだか恥ずかしい。こういうのって個人も書くのだっけ?しかもどこから来たかってことまで…。

 今回の旅行でお世話になった3つの宿のうち、予約の際、こちらの電話番号を告げたとき、この番号はどこですか?と訊いてきたのはこの宿だけだった。沖縄です、と応えると、
 「へぇー、沖縄から!」
 という反応がたしかにあった。それがこういうところに活かされていたのだねぇ。

 とら丸旅館は、外観から受けるイメージよりは遥かに大きな宿だった。
 そして、歴史も古い。
 江戸時代から続いているのである。
 高松屋源兵衛という名の旅館だったところを、大正元年に引継ぎ、以来とら丸旅館として現在に至っているという。現女将は3代目なのだそうだ。
 すでに何度も書いているとおり、こじんまりとした旅館を探してたどり着いていたので、頭の中で勝手に「家族だけでまかなっている旅館」というイメージを作っていた。
 ところが入ってみると、キチンとフロントがあって、送迎紳士はもちろん、フロントの方(ご主人らしい)、おかみさん、仲居さんに迎えられてしまった。
 こ、こんな大きなところで、黒砂糖を渡すのは恥ずかしいぞな、もし……。
 と、突然伊予人化しつつ狼狽した。
 けれどさすがに老舗である。
 狼狽する田舎者にもあたたかいもてなしをしてくれた。

 通された部屋は大きかった。テラスのような部分と和室とからなり、やたらと広い。古い宿だからトイレは和式だったけど、それでも手洗い、洗面所付きである。

 そしてなんといっても、宿には温泉がある!

 ここ琴平へも、子供の頃に家族で来たことがあった。
 800段近い階段と聞いても慌てふためかなかったのは、子供の頃に登った、という記憶があったからだ。
 その時の記憶では、琴平町は温泉町というアピールはしていなかったように思うのだが、とにかく現在は、
 「ことひら温泉郷」
 と銘打ち、大々的に温泉宿としての琴平を宣伝している。
 あとで知ったのだが、平成8年に掘り出したのだそうだ。
 火山列島ニッポンは、とにかく掘ればどこでも温泉が出てくるのである。
 そこまでして温泉を掘り出す必要がなぜあったのか、ということについては、いずれ触れることになるだろう。

 その温泉を、我がとら丸旅館でも引いていて、大きな浴場で温泉にたっぷり浸かれるのである。
 このことひら温泉郷に名を連ねている宿の中には、豪勢なホテルも数多い。そういうところでは露天風呂があったり大浴場があったりする。けれど、ビルの屋上でなにが露天風呂だ、レジャー施設のような大浴場のなにが楽しいのだ、と思う。

 この温泉は、ナトリウム・カルシウム塩化物泉であるらしい。
 だからといって、文系の僕にわかるはずはない。あ、僕は理系だった……。でもさっぱりわからない。
 少なくとも、夕方浴場に入ると、プールに投入される消毒薬のような匂いがした。
 ン?掃除したてだからなのかな?でもお風呂でこの匂いはやだなぁ、と思いつつ、もしかしてこれは成分のせい?と冷静に考えた。さすが理系。フフフ。
 脱衣所の壁に貼ってあった成分表を見ると、塩素が断然多い。なるほどなぁ。
 でも、夜入った時はあんまり匂わないのである。もしかしてやっぱり掃除したての匂いなのかな?
 帰ってから調べてみると、ことひら温泉は無臭である、と断定されていた。
 ということはつまり………ムムムム。

 ま、成分や匂いはともかく、他に泊り客がいるというのに、ことごとく貸しきり状態。○○御一行様、というお客さんたちが多いので、宴会時間帯に浴場に行くとガラ空きなのだ。午後は3時から11時まで、朝は6時から9時まで利用可能だったから、あと、夕食前とか寝る前、早朝も楽しんだ。
 他に誰もいない大理石の浴場で、ゴロリと横になったりエビぞったり。至極の贅沢。ああ天国。
 健脚商売の我々にとって、効能のほとんどは関係がない。疲労がとろけ出していくこの快感だけで充分なのである。 

 たいていの浴場がそうであるように、ここも男湯と女湯は壁一つで隔てられているだけ。だから、またしても隣の女湯から
 「ウヒャ〜〜〜」
 というヨロコビの声が聞こえてきた。女湯も貸切状態なのだ。
 互いに貸しきり状態だから、壁越しに会話をしてしまう。
 「気持ちいいねぇ!」
 「ウィー…」
 こういう場合、ずっと貸切状態だったらなにも問題はないが、間の悪いタイミングで人が入ってくることがある。すると、
 「この泥炭石って石鹸面白いよ…」
 「……………」
 「……だんな?」
 「………(人が来た……と念じる)」
 「…………」
 という会話になってしまう。

 風呂から部屋への途中にロビーがあって、讃岐、金毘羅に関するいろんな本が置いてあった。
 そのなかでひときわ目を引いたのが、ほかでもない
 「恐るべきさぬきうどん」
 である。

 現在のさぬきうどんブームの火付け役といっていいこの本、香川県内の郷土本コーナーで売られているものである。香川の人よ、さぬきうどんは全国に誇れるほどの素晴らしさなのである!という郷土愛に満ちた本なのだ。
 それが、そのあまりの面白さ、おいしそうさ(?)のためにあっという間に全国グルメファンに知られるところとなり、その影響を受けて全国区の出版社からさぬきうどん本まで売り出される始末。

 僕たちがこの地へ来るきっかけになったのも、そういった全国区さぬきうどん本なのである。
 「うまひゃひゃさぬきうどん」という。
 その本の中で、この「恐るべきさぬきうどん」という本を是非読むべし、と書かれてあった。

 夜担当のフロントのお兄さんが、部屋に持ってっていいですよ、と言ってくれたので、これ幸いとばかり、布団に潜りこんで読み耽るうちの奥さん。
 ときおり、
 「クス…」
 「ウヒャ……」
 「フフフ……」
 「ハハ…」
 と、不気味な笑い声が聞こえてくると思っていたら、ついに
 「アハ、アハ、ブヒャヒャヒャヒャヒャ………!!」
 壊れてしまった。面白いらしい。