坂出駅から、マリンライナーという快速電車に乗った。瀬戸大橋を渡って岡山駅まで行く。
瀬戸内の海は、日を浴びて美しく輝いていた。
通いなれている人たちなのか、窓辺に座っている人たちの多くがブラインドを下ろして寝ていた。でも僕らには新鮮な景色だ。左右を眺めて瀬戸の島々を見渡してみた。
古より、水軍の根拠地として栄えた塩飽の島々が並ぶ。この海は船乗りのものだったのである。
それが今や、何本も橋が架かるにおよび、いったいどれだけ多くの船員さんが職を失ったことだろう。
水納島のような離島に来る議員さんとかエライさんは、リップサービスでたいてい
「将来、橋ができればナンノカンノ……」
などと軽く言うけれど、橋ができたら連絡船はどうなるのか、船員さんたちの職は?家族は?地域社会は?ということまでは誰も思いを馳せてはくれない。
はたして瀬戸大橋をはじめとする本州四国連絡橋の数々は、地域にとってどうなのだろうか。橋桁しかなく、交通機関は素通りするだけ、という島の人たちはどう思っているのだろうか。僕らにとってははなはだ便利ではあるけれど、得られた便利と失ったものと、いったいどっちが大きいのだろう……。
岡山から新幹線に乗り、あっという間に新大阪へ。
当たり前だが、同じ時間でも、歩くのとでは移動距離が全然違う。世の中変わるはずである。
1年ぶりに実家に帰った。
高校を卒業するまでの18年間住んでいたところだ。
僕にとっての住みなれた地域、という意味では、ここ高槻市を筆頭に、沖縄の宜野湾市、那覇市、埼玉の入間市、所沢市、そして水納島ということになる。ところが、「地域」ということで住んでいる土地を意識し始めるようになったのは、何を隠そう水納島に来てからで、せっかく住んでいたそれらの地域が持つ、歴史なり沿革史なり人々の暮らしなりというものについて、僕はまったく知らないといってもいい。
なんだかとてももったいない気がするのである。
日本は小さな島国だけど、ちょっと場所を変えるだけで異国に来たかのような驚きもあれば、思いも寄らぬ類似点を見出すこともある。今では誰もが忘れた歴史があったり、画期的な変革があったり………。その地で暮らす一つ一つの事柄が、小さな驚きになり、大きなヨロコビになるのである。そんな思いを日本各地で味わってみたい……。
できることなら日本各地の様々な場所で、数年ずつ暮らしてみたいところだけれど、残念ながら先立つものも無ければ、人生半ばを過ぎた今、残された時間にもおのずと限界がある。
旅行で我慢するしかない。
そんな趣旨の下、このオフから国内旅行を見直したわけである。
そして前回の東北旅行があり、今回の旅行があったのだ。
しかし今回の旅行記をご覧いただければ一目瞭然。結局のところ、我々がどうあがこうとも、柳田国男のような文化人類学的民俗学的考察など微塵もできるはずはない。
鉄輪の湯けむりは感動地獄であった。
道後温泉はまさしく道後温泉だった。
そして金刀比羅さんは霊験あらたかであり、うどんはタダモノではなかった。
そんなことしか書けないんですぅぅ(ああ、要約すれば3行で終わってしまうなんて……)。
ま、とりあえずは堅苦しいことは置いておいて、