2001年11月に、人生で初めて東北の地を踏んだ。 その流れで松島や塩釜を訪ね、最後の夜は仙台で過ごした。 その際、我々の旅程に合わせ、仙台の夜を案内してくださったのが、元祖仙台チームだ(その模様は こちら)。当初某海洋写真家のおっかけついでに水納島に辿り着いたお2人の美女から始まった仙台チームは、やがて北のマスターを加えて3名になっていて、かの地で我々を案内してくださったのもこの方々である。 そしてその仙台の夜のフィナーレを飾ったのが、ほかでもない、杜の都にこの店ありと謳われている「Bar KOSHI」。 デスラー総統の御前に侍れば、即座にポチッとボタンを押され、地下へまっさかさまに落とされるであろう下世話な我々夫婦が、ノコノコダハダハとお邪魔するのは申し訳なくなるほどにオシャレなお店。 我々が訪れた際はちょうど開店2周年の頃だった。 あれから十年余が過ぎた今に至るまで、宣伝にまったく力を入れていらっしゃらないにもかかわらず、Bar KOSHIは素敵なお店として広くあまねく認知され、常連さんをはじめとするホンモノのお酒好きが訪れるオトナの隠れ家的名店になっている。 しかし、その道のりには思いもよらぬ試練もあったのだ。 地震である。 最初の地震で甚大な被害を蒙った北のマスターのお店は、その轍を踏まじと備えていたおかげで、以後の大きな地震の際は、それほどの被害を出さずに済んでいたという。 しかし。 2011年の東日本大震災は、その備えをも凌駕する圧倒的なパワーで襲い掛かってきたのだった。 幸い建物自体には被害がなかったものの、ワレモノの数々は元には戻らない。 チーム結成以来、ほぼ毎年島を訪れてくださっている北のマスターである。そのお店は、すでに「Z(ゼータ)」、「別働隊」すら生まれている仙台チームの皆様が集う場所でもある。 イタリア旅行から帰ってきた直後、そしてシーズンインがもうそこまで迫っている時期だったから、震災直後におっとり刀で駆けつけるわけにはいかなかったものの、100の激励よりも1個の売り上げ、せめて次のオフには、甚だ微力ながらもBar KOSHIの売り上げに貢献すべく、再び仙台へ行こう!! ……と決めていた。 その年の8月に、我が家の屋根が吹っ飛んだ。 規模は違えど我々も被災者の仲間入り。とても旅行どころではなくなってしまった。 ……と決めていた。 この年の10月に、うちのボートが転覆した。 うーむ………。 現状、呑気に旅行などしている場合ではないのかもしれない。 すなわち、本来今回の旅行の主たる目的は、Bar KOSHIで飲む、ただそれだけだった。 が。 とはいえ隠れ家的名店である北のマスターのお店は、オシャレなカウンターのほかにテーブル席がひとつある、こじんまりとしたたたずまい。大勢で押しかけるようなお店ではない。 この話をすでに温めていたそんなおり、シーズン初めの4月に島にお越しになったゲスト、ウロコムシ武田さんに計画を持ちかけてみた。 なので、北のマスターの店へ飲みに行きましょう計画のお触れはすべてウロコムシ氏に一任し、我々は自分たちの都合で勝手に日程を決め、その日程で参加可能な方だけで行こう、ということになった。 すると…… 思いがけず……というか当然ながら、というか、本隊、Z、別働隊と次々にユニットが生まれていく仙台チームの皆様も、都合がつくかぎり参戦してくださる、という運びに。 とてもじゃないけど、北のマスターの店に収納できる人数ではなさそう……。 そこで新たなオプショナルプランが生まれた。 一晩はBar Koshiでしっぽりと。 なんであれ、こういうイベントというものは、話がどんどんどんどん膨れ上がっていくものなのである。 以上を踏まえ、ならばいっそのこと仙台には3泊!! ……と決めていた。 「せっかくだから蔵王にも行ってみたい♪」 うちの奥さんが目を輝かせて言うのである。 しかしここ数年は本格的な雪を目の当たりにしていないので、雪がある!樹氷がある!温泉がある!そういわれると、蔵王がどこにあるのか知らなかった僕ですら、いつの間にやら行ってみたいと思うようになっていた。 そんなわけで、仙台で3泊、蔵王で3泊、その後埼玉の実家で2泊、という予定に落ち着いたのは、シーズンオフに入って随分経った頃のことだった。 出発は2月9日。 さあてさあて、出発前から珍道中が予想されるこの旅行、はたしてどうなりますことやら………。 |