伊勢から京都を経由し、実家へたどり着いたのは夕刻6時過ぎだった。
日曜日ということもあって弟夫婦も遊びに来てくれていた実家は、久しぶりの賑わい。我が愚弟は体質的に酒を飲めないので、お土産に飛騨の酒というわけにはいかない。だからとびっきりのお土産を渡しておいた。
もちろん、赤影スナック。
つまり僕は中身を賞味していない……。どんな味なんだろう?だれか教えて……。赤影カードとか入ってないのかなぁ……?
翌24日。
築36年の実家は、あと100年もすれば重要文化財になりそうな高度成長期時代の家屋である。アルミサッシの家に比べると室内気温は格段に下がる。だからこれまでの旅程中最も寒さを覚悟していたのだが、思いのほか寒さはそれほどでもなかった。
何気に着続けている極寒地仕様の登山用下着の威力であろう。
朝食後、二人で散歩することにした。
実家の近所は、僕が家を出た18の頃と比べても随分様変わりしている。虫や魚を追い掛け回した子供の頃と比べたら、まるで別の土地のようですらある。
高山も京都も日本人にとっていつまでも残していたい風景であることはたしかだが、僕にとって最も残しておいてもらいたかった風景は今はもうない…。
それでも、田んぼのあぜ道を歩きながら、冬の晴れた日の、なんともいえぬピリッとした空気を吸うと、懐かしいあの頃の記憶がよみがえる。
ときおり鼻腔をくすぐる懐かしい感覚だけを頼りに、近所を散策していた。
原形の面影を残しつつもすっかり変わっているので、家から1、2キロ離れるともうよくわからなくなる。適当に歩くと記憶にある通りや建物に出るから迷わずに済んでいるだけだ。数えるほどしかここに滞在したことがないうちの奥さんに道がわかるはずもない。
そんな我々が進む先で、老紳士がなにやら途方に暮れて立ち尽くしていた。
さては……
案の定、その老紳士は
「あのぉ、すみませんがねぇ、氷室町○丁目の23っていうたらどのへんですか?」
やはり……。
うちの実家は土室町にある。古来埴輪を大量生産していた場所であることに由来するらしい。
氷室町はそのお隣である。氷を作っていたのかどうかは知らない。
今我々がいるところがその氷室町○丁目であることは僕も知っている。でも23番ってのがどこかまでは……。
「すみません、我々観光客みたいなものなので……」
「はぁ、そうですか…」
肩を落とす老紳士を放っておけなくなってしまった。
聞けば、昔一、二度来たことがあるものの、記憶に残っている目印のほとんどが消え失せてしまっているらしい。この場から先がどうやっても思い出せないでいるようだ。
近くの電柱に貼ってある住所表示を見ると、氷室町○―10とあった。23はどっちだろう?
どうせ暇なので一緒に探そうと歩き始めると、ママチャリに乗ったちょっとよそ行きの小柄なおばあちゃんが、通りかかってきた。
どうしよう、呼び止めたらその場でこけちゃったりして……。
そう思いつつも、ほかに人が見あたらなかったので「すみませ〜ん」と一声かけてみると、素早く停車し、アラヨイショッと軽快な身のこなしでおばあちゃんは自転車から降りてくれた。
「すみません、氷室町○丁目の23番って言うたらどのへんですか?」
なんで僕が訊いているのかよくわからないけど、行きがかり上しょうがない。
するとおばあちゃん、
「23?23っていうたらもう少し上やな。あんた、誰とこ行くの?」
「あ、僕じゃなくてこの方なんですけど……」
選手交代。
「クボタさんを探してるんですけどね、昔と変わってしまって……」
「クボタ?クボタの誰?」
「はぁ、クボタ○○さんですわ」
「あぁ、あぁ、○○な、それやったらあっちやわ」
そういうが早いか、おばあちゃん、クルッと自転車を回頭させてもと来た道を引き返し始めた。
そのまま歩き始める老紳士とおばあちゃん。乗りかかった船である。互いに顔を見合わせた僕たち夫婦は、こうなったらたどりつけるまでお付き合いすることに決めた。
語らう老紳士とおばあちゃんのやりとりを聞くともなく聞いていると、どうやら老紳士は兵庫からいらっしゃっていることがわかった。
「あー、○○さんとこの嫁さんは兵庫から来てたなぁ、あそこかいな」
おばあちゃんはなんでも知っている。
ふと、おばあちゃんの押す自転車のタイヤカバーの裏に書かれた名前を見ると、そこには
クボタ
とあった……。
あとで母に聞いたところによると、この辺はクボタさんだらけであるらしい。なるほど、だからおばあちゃんは、どのクボタさん?て訊いていたのか。
しばらく……いや、しばらくというにはけっこうな時間をトコトコ歩いていると、ついに老紳士は捜し求めていた家にたどり着けた。相手のことはわからないけど、老紳士にとってはすごく久しぶりだったのだろう、おばあちゃんへお礼する間も惜しい様子で、そのままクボタさんの誰かと再会を祝していた。
大役を果たしたおばあちゃんが、そばにいる我々を見て言った。
「あんたらも早く入ったらいいのに」
どうやら僕たちを老紳士の連れだと思っていたらしい。
事情を話し、ただ散歩していただけだというと、
「あんたら家どこ?」
「土室町です」
「土室?名前はなんていいなさるん?」
「植田といいます」
「んー、最近越してきた人やな……私わからんわ」
すでに37年近く住んでいるのだけれど、おばあちゃんにとっては最近なのだろう。たしかに実家は当時の新興住宅地で、土着の農家の人たちに比べれば圧倒的に最近の人である。
まったくの傍観者でしかなかった僕らは、なんだかとってもいいものを見せてもらった気がして、とってもありがたかった。先ほどの老紳士はもうおばあちゃんは眼中にない様子だったので、僕たちから丁重にお礼を言っておいた。
せっかく進んだ道をほぼ振り出しに戻ってしまったおばあちゃん、再び自転車に乗り、何事もなかったように颯爽と家々の間に消えていった。
今思い返すと、まるで夢だったかのような素敵な出来事だった。
単なるベッドタウンに成り下がってしまったと思っていた高槻市にも、まだまだ残す努力をすべき無形重要文化財があった。こういう暮らしぶりは今の日本ではなにより素敵な財産なのだから。頑張れ、高槻市。
すっかりいい気分になり、そのまま散歩を続けていると、携帯電話が鳴った。
当サイト掲示板にときおり登場してくださるり☆ようこさんからだった。
彼女のおうちはご住所こそ隣の市なのだが、実は直線距離にすれば僕の実家から歩いてものの数分のところなのである。しかも、かつて何度か散歩をしたコースだったりする。
旅行前、実家滞在中は確実に散歩をするという話になって、それだったら是非うちに!と招待してくださっていたのだ。
でも平日だしなぁ……。
会社を休んでいただくわけにはいかないし、万一散歩ができなくなったら申し訳ないので確たる約束はしていなかったのだが……
なんとそのお電話は、お昼にベーグルを用意して待ってます!って話だったのである!!
2つ返事でお邪魔する旨告げた。
いったん実家に戻り、り☆ようこさんのお宅へ。
もともと散歩コースだし、おうちの概観を写真で拝見していたので迷うことなくたどり着いた。聞きしに勝る豪邸である。
ピンポーン……
あッ!!
手ぶらで来てしまった我々。玄関先で事の重大さに気づいてしまった。
しかし時すでに遅し。そのまま案内してもらい………
ヨロコビのお昼タイム!!
ついに、ああついに!!
ベーグルがぁ!!
この日のために、わざわざご主人に大阪の専門店で買ってきてもらったという。ベーグルは好きではないご主人いわく、
「こんな重いパンがいいの?」
いいんですぅ!!
いやあ、さすが専門店。美味しいのなんの。
後刻、お土産にと渡してもらったものを食べたうちの父までが美味しいといったくらいだから、きっとあらゆる世代にも通用するはずである。
思えば……。
所沢で千載一遇のチャンスを逃してしまったときは、もう二度とこんな機会はないだろうとあきらめていたのに……ああ、神様仏様り☆ようこ様、ありがとう!!
うちの奥さんも満足そうに食べていた。
お気遣いいただくと申し訳なさ過ぎるので内緒にしておいたのだが、実はこの日はうちの奥さんの誕生日。このうえないバースデーケーキ代わりになったのだった。
特製サラダとチーズで味わうベーグルタイムのあとは、いよいよこの日のテーマである。
とんぼ玉だ。
今うちの奥さんがとんぼ玉作りにはまっているのをご存知の方も多いだろう。実は、このり☆ようこさんが昨年初めて水納島にいらっしゃった際に、ビーズ細工をしているうちの奥さんへのお土産として、ご自身で作られたとんぼ玉を持ってきてくださったのがきっかけなのだ。
とんぼ玉というものをテレビで見て、ちょっと興味を抱いていたうちの奥さん。
とんぼ玉という名前を初めて聞き、もちろん見るのも初めてだった僕。
ともに心の琴線に触れた。
とんぼ玉を作る!そう誓ううちの奥さん。
とんぼ玉を作れ!そう願う僕。
それ以来り☆ようこさんはクロワッサンのとんぼ玉師匠となり、今日に至る。
で、この日は実演を見せていただく、ということになっていたのである。
これが凄い。
先ほどまで美味しいベーグルを食べていたこのリビングは、実はとんぼ玉工房だったのだ!!
ようやく「とんぼ玉」っぽい形を作れるようになりかけていたうちの奥さんは、キラ星のごとくコレクションされたり☆ようこさん作のとんぼ玉を見て、己の前に立ちはだかるハードルが1つや2つではないことを痛感していく。
しかしすべては基本から。
教室などで体験や講習をしたことがないうちの奥さんは、人が作るのを間近で見たことがない。もちろん、直接アドバイスをしてもらったこともない。この即席とんぼ玉教室は、うちの奥さんにとって願ってもない時間だったのである。
そうやってひととおり基本中の基本を教えてもらい、さっそく実演にとりかかるうちの奥さん。とんぼ玉製作歴4日間、しかもブランク10日間。
師匠の前で緊張しつつ、これまで作ったことのない大きな玉の形を整え、ではワンステップアップの模様入れを……
そのときだった。
プチッという音がしたかと思うと、間髪いれず
パキッ!!
……割れてしまった。
ゲームオーバー。
というわけでこの日の成果を形として残すことはできなかったものの、この日教えていただいた「秘技」の数々(基本中の基本ともいうらしい)は、もちろん現在とても役立っていることはいうまでもない。
食べるだけ食べ、教わるだけ教わってすっかり長居してしまった。
ありがとうございました、り☆ようこさん、今度は水納島でお会いしましょう!
3時のおやつにバースデーケーキを用意して待ってくれていた母へ、お土産を渡した。
り☆ようこさんの素敵な作品の中からひとつネックレスを購入させてもらったのだ。やや照れつつも気に入ってくれたようで、翌日京都に出かけたときにも着けてくれていた。
骨董・古道具市では、母がやたらそこかしこで何かをチェックしていた。何を見ているんだろう?
いちいちとんぼ玉関連の商品をチェックしていたのだった……。
人は、興味を持って初めて、その世界が思いのほか広く深いことを知る。