なぜ東北なのか
昨年の旅行記はモルディブだった。
やせても枯れてもクロワッサンはダイビングサービスである。その旅行記であれば、当然ダイビングの話てんこ盛りであろう。
そのような期待にこたえるべく、昨年は大いに潜り倒した(食い倒れたという説もあるが)。
さて、今回。
発作的に東北に行きたくなったわけだが、当然ながらというか残念ながらというべきか、ダイビングとはいっさい関係がない。みちのく二人旅というタイトルを見、東北のダイビング事情を知ることができるのか、と期待した方は即刻立ち去るがよろしかろう。ダイビングのダの字も出てこないのだから。
それにしても何故東北に行くことになったのか。
多くの方は、テロ事件の関係で海外旅行を自粛したのだろう、と推測されたに違いない。
が、そうではないのである。
世界中がビックリしたあのテロ事件が起こる前から、すでに東北旅行の企画段階に入っていたのだ。
昨年のモルディブ行により、リゾートでダイビングしまくるのに飽きたということが大きい。もちろん今のバカ安国内便のように安ければ話は違うだろうが、大金はたいても結局普段の生活と大して変わらないという、いささか馬鹿らしい事実に気付いてしまったのだ。
それに、同じだけの金額を出したら、かなり豪華な(多分に食事方面での話)国内旅行を2度くらい楽しめるのではないか、と思い至ったのである。
その2度楽しめるかもしれない第1弾が今回の東北行であった。
僕自身が、本州に限って言えば白河の関を越えたことがないからである。東北地方と呼ばれる地域に足を踏み入れたことがなかった。
所沢に住んでいたころ、いつか行きたい、と思ってはいたのだが、当時は休みといえば「海」だったので、その「いつか」はとうとうやってこなかった。そして現在に至っている。
一口に東北といってもその範囲は広大だ。
岩手県一つで四国に匹敵する面積を誇るのである。
「東北に行くぞ!」
と漠然とした話では、まとまるものもまとまらない。
幸いなことに、僕には憧れの地が東北に一つあった。
平泉である。
奥州平泉
平泉、とポツンと単語だけ聞くと、今一つピンと来ないかもしれない。が、
「奥州平泉」
と聞けばどうだろう。たとえ霧の向こうにしろ、悠久の時の流れが醸し出すフシギ的雰囲気が漂ってこないだろうか。東日本の方々はそうでもないかもしれないが、少なくとも生まれ育った大阪では、平泉は霧の向こうだったのである。
小学6年生、および中学2年生くらいで習う日本史。たった1年間で2、3千年間もの歴史を学ぼうというのがどだい無理な話で、随所に魅力的なエピソードが盛りだくさんであるにもかかわらず、どうしても尻切れトンボ的に、単語単語の羅列で終わってしまう。
「奥州藤原氏」というのもまたかなり突然的登場なのである。あら、いつの間にいたの?というくらい唐突なのである。
あまりに唐突に登場しながら、あっという間に(学校で習う歴史の時間で)いなくなる奥州藤原氏、そして平泉。子供心には謎に満ちみちていた。その後読んだ歴史小説などでチラチラと登場するのだが、たとえば義経を扱った物語でもそうであるように、なかなか奥州が主役とはならない。藤原3代の名前は知っていても、謎は謎のままである。
だからといって、その平泉に関して是が非でも調べたい、というほどの宿命的謎であった訳ではなく、ただ茫漠とした意識の中でのミステリアスな存在となっていた。
炎立つ
その謎を、多分に脚色を交えながらも解き明かしてくれたのが、大河ドラマ「炎立つ」であった。
「炎立つ」が放送された年は、どういうわけかNHKの大河は変則的放送で、年度の前半を「琉球の風」、後半を「炎立つ」と、通常なら一年を通して放送する大河が前期後期の2部に分かれていた。
中央から見られがちな歴史を地方から眺め直す、という趣旨があったかのようで、北と南、それぞれ中央から遠く離れた地方の物語が、見方を変え視点を変え、展開していた。
残念ながら、そもそもの中央から見た歴史を知らない世代が増えてしまっているせいか、見方を変えた歴史そのものが、本来のものとどう違うのかが理解されなかったのかもしれない。「炎立つ」などは最後まで低視聴率にあえいでいたようである。
が。
僕にとっては、霧が見る見る晴れ渡るかのように、少年のころからの薄ボンヤリした謎が解けていく物語だったのである。奥州藤原氏が主人公だったのだ。
この大河ドラマによって、記憶の底で眠っていた「奥州平泉」という土地への憧憬が再び呼び起こされたのである。それなのに、せっかく呼び起こされたというのに、グズグズしている間に沖縄の人となってしまった。くしくも同じ年に放映された「琉球の風」側に見を転じたのである。
埼玉からなら
沖縄から東北まで、特にさしたる目的もなく旅行するというのはかなり贅沢である。都内からドライブで出かけるのとはわけが違う。
だから、東北旅行というのは本来であれば夢のまた夢だった。
今年はうちの奥さんの亡き母君の13回忌にあたる。
それが11月に催されるとのことで、いつもなら旅行のついでにしか帰省しないところ、久しぶりに第1目的として埼玉まで行くことになった。
沖縄からは遥かな平泉も、埼玉からなら途端に可視範囲である。この機会を逃すと以後永遠にチャンスはないかもしれない。
そんなわけで、みちのく二人旅は緊急企画されたのであった。これで、甲子園の優勝旗よりも早く白河の関を越えることができる。
ヤケに長々と理由を述べたが、
「なんで東北なの?」
という質問が圧倒的に多いのである。
もしかしてチャボを求めて?
と思っている人もいたかもしれない。
ここにその理由を書いておくにこしたことはないのだ。 |