全長 50cm
顔が全体の90パーセントを占めているかのような極端な体形が圧倒的な迫力を持つ、通称「砂底の大魔人」キヘリモンガラ。
広く砂底が広がる環境が大好きなので、砂地のポイントで潜っていると、砂中に潜む餌を探している姿をちょくちょく目にする。
口から砂底に水流を吹きかけて砂を除去し、現れてくる二枚貝やゴカイ類などを食べているようだ。
ときには砂地の根に立ち寄り、ホンソメクリーニングを受けていることもある。
けっこう大きなモンガラなので、出会い頭にこういうシーンを目の当たりにすると、こちらも相当ビックリする。
ビックリするのは彼らも同様だ。
普段の彼らは見かけによらず気弱で、クリーニング中でも、ダイバーが近づくとスゴスゴとその場を去ることが多い。
ただし繁殖期となると話は別。
初夏から夏にかけての繁殖期になると、彼らが暮らす砂底には、まるで空爆でも受けたかのような、直径1m〜2mほどのすり鉢状の窪みがそこかしこにボコボコ観られるようになる。
そのひとつひとつに注目してみると……
すり鉢状の中央付近には、瓦礫が積まれている。
これらはすべてキヘリモンガラが自分でこしらえた産卵床で、中央の瓦礫にもこだわりがあるらしく、時には随分きれいな貝殻が添えられていることもある。
その近くにいるキヘリモンガラは、
「近づいたら死なぁ〜す!」
とばかり、全身で威圧オーラを放っている。
そういう空気(水?)を読まずにうっかりそのまま近寄ってしまうと……
…大魔人が怒りの猛ダッシュで突進して来ることだろう。
どうして彼らは怒っているのか。
それは、このすり鉢状の構造物が大魔人たちの産卵床だから。
すり鉢状の産卵床があるからといって、すべてにいつもいつも卵があるわけではないけれど、すり鉢の中央付近にいるキヘリモンガラが口先を近づけてなにやら怪しげな動きをしている場合は、たいてい卵のケアをしている。
その口の先を覗いてみると……
スポンジ状の黄色っぽい卵がある。
中央に積まれた瓦礫は、卵をセットする際の重要な構造物であるようだ。
卵はそれぞれがくっついた塊状で、一粒一粒はかなり小さい。
また、午前中は黄色っぽかった卵が、午後になると発生が進むためか、赤くなっている(写真は同一の卵ではありません)。
この卵を守るため、彼女は周囲に睨みをきかせているのだ。
そうやってメスが卵をケアしている周りには、複数のメスを縄張り内に擁する大きなオスもいて、両者の逆鱗に触れると大変なことになる。
もっとも、ダイバーが多く訪れる場所とそうでない場所で、キヘリモンガラの対応には違いがある。
ダイバーにあまり慣れていないキヘリモンガラは、たとえ卵を守っている時であっても、卵の防衛と自身の警戒とのバランスが取れている。
そのためダイバーに遮二無二突進してくるということはなく、場合によっては卵にギリギリまで近寄ることもできたりする。
ところがダイバーが多く訪れるポイントでは、すでにキヘリモンガラがダイバー慣れしており、しかも昨今のダイバーは襲われれば無抵抗に逃げるのみというヒトが多いこともあって、完全にダイバーを見下している。
そういう場所には、異常なほどに執拗に攻撃してくるオスがいることもある。
あまりにもしょっちゅうダイバーが訪れるものだから、相当苛立っているのかもしれない。
それも、特に卵を観察したくて近寄ってしまったわけでもなんでもなく、近づかないよう気をつけながら遠目に通りかかっただけだというのに、振り返ると……
ロックオン。
こうなるともはや覚悟を決めるしかない。
以下は、怒りに任せて迫りくるキヘリモンガラに対し、恐怖のあまりストロボで撃退すべく、パシャパシャ光らせた結果だ。
ああ、迫り来るキヘリモンガラ……。
夢に出てきそうな恐怖体験だった。
なにしろこんな歯を剥き出して迫って来るんだから……。
ウカツに近寄るとそんな目に遭うということは、今では広く周知されている。
となれば、君子危うきに近寄らず。
卵を観てみたいけどコワイ、コワイけど観てみたい……という葛藤が、微妙な距離感を作っている巨匠コスゲさんであった。
気にせず近づいたワタシは……
…キヘリモンママのお叱りを受けた。
魚類行動学の神様、桑村哲夫大先生によると、キヘリモンガラは早朝に産卵し、その日の夕刻には孵化するという(どうやら他のモンガラ類も同様らしい)。
同じ日の午前と午後で卵の色が早くも変わるのは、きっとそのためだろう。
保護期間が短く済むので次の産卵に備えるべきメスにとって負担が少なく、そのため直接卵をケアするのはメス、というのがモンガラ類の通常パターンのようである。
一回の産卵につきたった一日しか卵を持っていないとはいえ、夏場はかなりの頻度で見ることができる卵たち。
……ってことは、ひと夏のうちにいったいどれくらいたくさんのキヘリモンガラが誕生しているんだろうか。
とはいえ厳しいサバイバルを生き残れるチビターレはわずかに違いなく、過去キヘリモンガラの幼魚には数えるほどしか出会っていない。
これはわずか3〜4cmほどのチビターレ。
こうしてヒレを閉じているとおとなしげに見えるけれど、全開にすると将来の猛々しさの片鱗がうかがえる(別個体です)。
もっとも、いくら将来は大魔神になろうとも、チビターレの頃はビビリだから、ウカツに近寄るとすぐさま穴に隠れてしまう。
穴といっても、キヘリモンガラのチビターレが拠り所にするのは、たいていの場合なんてことはない小さな死サンゴ石だ。
3〜4cmほどのチビならこれくらいの石で事足りるだろうけど、10pくらいになるとどうしているんだろう?
そういえば、少ないとはいえチビターレには会えるし、オトナにはいつでもフツーに会えるけど、20cm前後のキヘリモンガラって観たことがないなぁ…。
その頃の彼らはもっと深いところに潜んでいるんだろうか。
ところで、小さな石を拠り所にしていることが多いキヘリモンガラチビターレなのに、昨年(2020年)はこんなところを住処にしているチビに出会った。
ここは水深20mちょいの砂底にポツンとあるとても大きく成長しているテーブルサンゴで、大きいから2段重ねになっている部分があったり、裏に通じる穴が開いているから、チビターレが隠れ家にするのにおあつらえ向きだったらしい。
周りでスズメダイたちがにぎやかに泳ぎ回っているからか、小石に開いた穴に隠れてしまう場合と違って、すぐに出てきてくれるチビターレ。
この際とばかりにじっくり観てみると、その体表には特徴的な皮弁がやたらとたくさんついていることを知った。
滅多にない機会なので、チビターレの迷惑を顧みずしつこく観続けていると、なんとなく背後にイヤな気配が。
振り返ってみると…
繁殖期真っ只中で、殺気を漲らせるキヘリモンガラの姿が。
ひょっとしてこのチビターレの母ちゃんとか??
こんな視線で至近距離から見つめられれば、三十六計逃げるに如かず。
ちなみにこのサンゴの上のチビターレは1週間ほど居てくれたけど、その後は姿を消してしまった。
こんな小さなチビチビがあんな巨大な大魔神になるまで、いったい何年かかるんだろう。
長いサバイバルの果てに、見事現在の生活を手にしたキヘリモンガラたち。
たとえどれほど襲われようとも、サバイバーに対しては、やはりしっかり敬意を表さねばなりますまい。