水納島の魚たち

クギベラ

全長 20cm

 熱帯魚を飼っていた子供の頃、どんな飼育図鑑にも必ず載っている魚のひとつに、エレファントノーズフィッシュがいた。

 「熱帯魚」という言葉のイメージとは真逆のかなり地味な体色ながら、その名のとおり象の鼻のような長い吻が印象的な魚だ。

 そんなエレファントノーズフィッシュのような魚が海にもいた!

 ……って、似ているのは吻が長いということだけなんだけど、綺羅星のごとくいるベラの仲間たちのなかにあって、こんな口をしているのは太平洋ではクギベラの他にいない(インド洋に同じ属の仲間がいる)。

 いわばそのフォルムは、ギチベラの口と同じく唯一無二といっていい。

 もっとも、ベラの中の種類としては唯一無二でも、リーフエッジ付近にいれば、いつでもフツーに出会えるベラでもある。

 20cmくらいあるオスは、ストロボを当てた写真で見るとこのように緑〜青色をしているけれど、海中で観た記憶はもっと緑色というイメージのほうが強い。

 一方メスはオスよりも2〜3周り小さく、体色も全く異なっている。

 オトナのクギベラはその長い吻が特徴的なのに対し、1cmほどの幼魚はフツーのベラにしか見えない。

 このチビターレが少し成長すると、吻に兆しが出てくる。

 2cmに満たないサイズから4cmほどになる頃には、吻はもう少し伸びつつ、ほんのり色づいてくる。

 体後半部がメスのように黒くなり始めるのには個体差があるようながら、吻は成長とともに上側がだんだん赤くなってくる。

 そして10cm弱ほどになると、かなりメスの体色っぽくなってくる。

 クギベラのオトナたちは、複数のメスをオスが縄張り内に囲って暮らしているようだ。

 エサは細い隙間に潜む小動物らしく、サンゴの周辺がもっぱらの生活の場だ。

 その長い吻は、↓こういう場合に役に立つのだろう。

 エサを物色しながら悠々と泳いでいるオスは、デバスズメダイが気持ちよさげに群れているところにやってきては、デバスズメダイをビビらせながら、枝間に潜む何かを探すこともある。

 気持ちよく群れていたいデバスズメにとっても、その様子を撮影しようと傍で観ているワタシにとっても、どう見てもイヤガラセにしか見えないけど。

 オスがこのようにわりと悠々と泳いでいるのに対し、メスはリーフ上のサンゴに寄り添いながら、目立たぬように暮らしているフシがある。

 でも繁殖シーズンとなると話は別だ。

 他の多くのベラ類同様、満潮を少し過ぎたくらいから数時間が産卵時間帯で、やる気モードになったオスはメスがいるリーフエッジ付近の中層で、胸ビレを小刻みにブルブル動かしながら、同じところをクルクル回るようにしてアピールする。

 するとメスたちのほうもだんだん盛り上がってくるらしく、普段はそんなに目立たないのに、ふと気がつくと集合している。

 これらのメスにハーレム内の序列があるのかどうかは不明ながら、全員が一斉に産卵するわけではなく、1匹ずつオスのもとへ赴き、中層に向けて一気に上昇する。

 その一連の様子は、やはり動画のほうがわかりやすい。

 1回1回の産卵は瞬時とはいえ、写真だけでも7匹もいるメスをそれぞれ産卵に導いては放精するオスって……かなり大変かも。

 オスは傘下のメスがそこかしこで勝手にオスにならないよう、日々ハレム管理に勤しんでいるはずなんだけど、度重なる繁殖行動の負担が大きいあまり、なかなか隅々にまでは目が届かなくもなるのだろう。

 オスがアピールをしている姿が見えないのに、メスたちが集まってお祭り状態になっていることもあった。

 体が大きくなるとメスでいるよりもオスになったほうが己一個の繁殖戦略としては便利ということもあって、オスの目が届かなくなると、メスからオスに性転換するものも出てくる。

 他の多くのベラ類同様にクギベラもメスからオスへ性転換するのだ。

 上の写真のようなメスからオスへの中間段階を初めて確認した際にはやたらと珍しい気がしたものだったけど、その後注意していると見かける機会はけっこう多い。

 ハレム状態だからこそのオスにとって過酷な繁殖行動は、己の地位失墜と表裏一体でもあるらしい……。