全長 30cm前後
たびたび他の魚の稿で触れているように、我々が学生の頃(80年代後半)のポータブルな魚類図鑑といえば、東海大学出版会刊のフィールド図鑑くらいのものだった。
故・益田一御大の手によるこの図鑑は、色鮮やかな魚たちがオールカラーの生態写真で紹介されるようになった先駆け的存在で、パラパラめくるだけで未知の世界を覗けるようで、とってもワクワクする図鑑だった。
その図鑑のフサカサゴ科が載っているあたりを見ると、オニカサゴの仲間といえばザ・オニカサゴだけ。
しかもその説明には
分布 日本の中部以南
伊豆海洋公園など中部太平洋のものは赤っぽいが、サンゴ礁域のものは白っぽい。沿岸の岩礁帯やサンゴ礁で普通に見られる。
とあった。
となれば、自分たちが本島各地の海でちょくちょく見かけるこのテの魚は、「オニカサゴ」でOK!
ということになる。
ところが90年代になると、「ウルマカサゴ」という名前がフツーに世に出てくるようになっていた。
オニカサゴとウルマカサゴ、どこをどう見分けるんだかなんだかよくわからないまま、とにかくもう「オニカサゴ」で沁みついてしまっている体では今さらリセットできない。
99年に同じく東海大学出版会から刊行された、これまた益田一氏の手による「海洋生物ハンドブック」においても、オニカサゴの掲載はほぼ以前のままになっていて、ウルマカサゴのウの字も見当たらない。
となれば、我々がウルマだオニだと気にすることはないに違いない。
なので今世紀になってからも、ゲストにこのテの魚をご案内する時には、フツーにオニカサゴと紹介してきた我々。
ところが。
それ以前に世に出ていたヤマケイの「日本の海水魚(でっかいほう)」のオニカサゴの解説には、オニカサゴの分布域として
琉球列島を除く南日本
と明記されているではないか。
え゛――――ッ!?
これまでずっとオニカサゴと信じてきたものたちはすべて、他のカサゴだったのか!!
みんなウルマカサゴだったのだろうか…
…と思いきや。
カサゴの研究はさらに進み、みんなオニカサゴのようなナリをしながらも、
などなど、いつの間にやらオニカサゴ界はえらいことになってしまっているのだ。
ちなみに。
鳥羽水族館で今や押しも押されもしない魚類部門の責任者になっているタコ主任(実際の肩書はもっと上なんでしょうけど)の学生時代の卒論は、当時分類に手をつけられていなかったこれらオニカサゴ属のカサゴたちだった。
とりたててカサゴラブで研究室に入ったわけではなかった彼ではあるけれど、指導教官である魚類分類学の大家Y先生の「お題」に応えるべく、沖縄本島中のカサゴというカサゴを採集しまくる日々を送ることになる。
ひと目で明らかに見分けがつかないそっくりさんを分類学的に区別するためには、統計学的に「有意な差」というものが必要になる。
1匹や2匹を計測したところで、単に個体差、誤差の範囲かもしれない。しかしそれが100匹、200匹を計測した結果導き出された数値であれば、話は俄然説得力を持つ。
そのためには、星の数ほどの無辜なる命の犠牲を必要とするのだ。
自身が手をかけた尊い命の重みに耐えかねたタコ主任、彼の頭髪がすっかりズル剥けになってしまった背景には、夜な夜な空耳で聴こえてくるカサゴたちの命の叫び的大合唱があったからにほかならない。
しかしそんな尊い犠牲のおかげで完成した彼の卒論は、後年になって魚類分類学という名の変態社会で大活躍することになる。
いつの間にやらボコボコ種類が増えているオニカサゴ属の魚たちの多くは、タコ主任が統計的に導き出した「有意な差」のデータが元になっているのである。
そのため今世紀初頭に続々と繰り出された新種記載や新和名提唱の論文には、漏れなく彼の名前が併記されている。
頭部に毛髪は残らなかったかわりに、この世に名を遺したタコ主任なのである。
とはいえ。
それはもちろんアカデミズムの分野では大きな仕事なんだろうけれど、我々にとっては
まったく余計なことをしやがって!!
と言いたくもなるというもの。
なにしろ専門家がヒレの鰭条の数だなんだを目を皿のようにして数えて初めて他と区別できるような「差」を、我々シロウトが海中の姿や写真で見分けられるはずがない。
おかげで冒頭の写真も、昔なら「オニカサゴかウルマカサゴ」で済んでいたのに、今ではもう「オニカサゴの仲間」としか紹介できないではないか。
でまた同じ種類でも変異が多いこのテのカサゴたち、撮っても撮ってもどれが同じでどれが違うのかさっぱりわからない。
わからないので有識者に頼るしかない。
以下、撮影年月日などまったく順不同で、オニカサゴの仲間の写真をツラツラ並べてみる。
↑これは105mmマクロレンズで撮っているようだから、10cm前後の若魚と思われる。
↑コイツは撮っている時点で、妙にズングリむっくりしているなぁとは思った。
このようにソフトコーラルをベッドのようにしてチョコンと載っていることがよくあるんだけど、その場合はたいてい体の色がピンクっぽくなっている。
これは周囲の環境に合わせて体色をある程度変えられるということなのだろう。
そうかと思えば固いサンゴの枝間にいることもあるし…
…上に載っていることもある。
サンゴの上にいれば黒っぽい方が目立たない。
でも白い砂地にいると……
体色は薄いほうが目立たない。
といったパターンが多いから、たまに↓こういうシチュエーションだとちょっと驚く。
これは珍しく活発に岩陰から岩陰へ移動している最中で、そんな短時間のためにいちいち体色を薄くはしないということだろうか。
↑このカサゴと比べると、同じ砂上にいてもフォルムが随分違って見えるのが……
2番と同じ種類だろうか。
たしかにこれくらいフォルムが違って見えると、同種内の個性とか個体差というわけではなさそうだ。
体形はともかく、ある程度自在に体色を変えられる彼らなので、どんなに巨大になっていようと、エサとなる小魚相手には完璧なカモフラージュ作戦で姿を消してしまう。
どこにカサゴがいるか、わかりますか?
コイツは相当ジャイアントで、優に30cm超はあったはず。
30cmあれば、海中では実感45cmくらいに見えるから相当デカい。
別個体ながら、実測でどれほどでっかいかというと……
今では珍しくなったフィルムケースとの比較。
フィルムケースは長さ5cmだから、楽勝30cmオーバーだ。
これほどでっかいジャイアンカサゴは、おそらくオオウルマカサゴだと思うんだけど、どうだろう…。
オトナでお手上げなのだから、若魚やチビチビとなると両手両足を上げて降参せねばなるまい。
1番目の写真の若魚のほか、これまたツラツラ並べてみると……
10cmよりは大きいけれど、オトナに比べれば遥かに小さな若魚。
コイツの目の上には何も無いけれど……
10cmほどの若魚のこの子の目の上には、ピンと突き出た角のような皮弁がある。
一番最初の「1」番の写真の若魚にも角が見える。
もっともっと小さい頃でも、「角」の相対的なサイズは変わらない。
このチビターレがどれくらいチビチビかというと…
お馴染みの対人差し指比、左隅の白っぽい部分がワタシの人差し指の先っちょの一部だから、相当な激チビ。
10cmほどでも激チビでも「角」がこの程度のチビがいる一方で、際立って長いこんな子もいる。
まるでトリケラトプスのように、雄々しく前にビシッと突き出ている。
コイツはおそらくトウヨウウルマカサゴであろうと思われる。
そして冒頭の写真は、これのオトナの姿なのではないか……とも思っている。
だからといって思うだけで何の根拠もないので、ワタシの能力では「オニカサゴの仲間」としか紹介できない。
かくなるうえは、オニカサゴの仲間たちをこんなにも複雑にしてしまった元凶であるタコ主任に、どれが何カサゴなのか、ひとつハッキリさせてもらうしかない。
忙しくない時でも人一倍忙しそうにしているタコ主任のこと、こんな余興に付き合っている時間は当面ないかもしれないけれど、むしり取った衣笠…じゃなかった、むかし取った杵柄、カサゴのことならホイホイとアカデミズムの光を当コーナーに投げかけてくれるに違いない。
写真にいちいち番号をふっているのはそのためである、というのは言うまでもない。
※追記(2020年12月)
この「オニカサゴの仲間」の稿をアップしてすぐに、元凶タコ主任にも見てもらい、それぞれの写真が何カサゴなのか、「専門家」の意見を乞うてみた。
すると、忙しいなかさっそく作業に取り掛かってくれたタコ主任は、頭から白い煙をモクモクたてながらも、あくまでも写真鑑定としての暫定的見解を教示してくれた。
その結果を、この項に掲載している写真順に、みなさんにもおすそ分け。
若1番、2番そして幼1番についてはすべて「?」
最後のはそのままトウヨウウルマカサゴであっているらしい。
いずれにせよ写真だけで同定しろというのがそもそも無茶な話なので、あくまでもタコ博士暫定同定ってことで(「?」マークの数は自信の無さ度を表しています)。
ただ、ひとつだけ明らかになったのは……
沖縄にもオニカサゴはいる!
どうやらこれは間違いないらしい。
じゃあとりあえずこのテのカサゴは、「オニカサゴ」と言っておけば、打率3割くらいでヒットするかもってことか。
たとえはずれていたって、専門家ですらわからないものについてとやかく言えるヒトはいるまい……。