全長 25cm
トサヤッコという名前を初めて耳にしたのは、大学4年生の夏(1989年)だった。
ウドゥイと呼んでいたポイントに数人で潜ったあと、野生児そのものといった感じの友人が
「トサヤッコがいた」
ポツリとそうつぶやいた。
それを聞いても、その場にいた数人は「エーッ!」と驚けるほどサカナについて詳しくなかったので、野生児は静かに告げたあと、一人で悦に入っていた。
トサヤッコという魚が沖縄本島ビーチエントリーポイントでいかに珍しいものであるか、ということを知ったのは、卒業後随分経ってからのこと。
ああ、あのとき知っていてやれば、かの野生児はもっと充実した自慢をすることができたろうになぁ、などと思ったりもする。
もっとも、珍しいといっても稀種というわけではない。
ヒレナガやヤイト同様、本島西海岸のドロップオフ環境になると、住んでいる水深が深いため、30mよりも深く行かないかぎり観られないのだ。
ところが昔八丈島で潜ったとき、水深15m前後のいたるところにこのトサヤッコがいたのにはたいそう驚いた。
それこそ沖縄でのタテジマヤッコなみに、ウジャウジャいるではないか(むしろタテジマヤッコは八丈では珍しい)。
しかもサイズがでかい。
我が物顔で泳いでいる様子は、沖縄で細々と暮らしているトサヤッコと同種だなんてとても思えないほどだった。
彼らも本来は、浅いところのほうが住み心地がいいのだろう。
沖縄本島西海岸では深いところにいるトサヤッコだけど、ヒレナガヤッコの稿で述べたように、水納島周辺のとあるポイントでは、このトサヤッコも水深20m以浅で見られるのである。
なぜか。
そこでは地形的に浅いところよりも深いところのほうが、プランクトン食の彼らにとっては便利らしいのだ。
だからそのポイントでは、タテジマヤッコの方が深いところでブイブイいわしている。
浅いところに居てくれれば我々にとっては便利なのだけれど、彼らにとってはやはり不便なところに住まわされているだけなので、やはりマイノリティとして追いやられている状態に変わりはないらしい。
同じくタテジマヤッコに追いやられているヒレナガヤッコとツーショット。
事情はどうあれ、このテの魚が好きなヒトには、なにげに豪華な顔ぶれが、浅い水深で観られるのはありがたい。
タテジマヤッコには引き続き頑張ってもらおう。
ちなみに、このトサヤッコもオスと↓メスではまったく体色が異なる。
で、あまりにも違うから以前は別種と考えられていて、メスに付けられていた名前はクマドリヤッコ。
ある研究者がこのクマドリヤッコを水槽飼育していたある日、ふと水槽を見やるとあら不思議、体色が変化していた!(おそらく↓このように)
ああっ、これはトサヤッコじゃないか!
ということで、めでたく同種ということに落ち着いたのであった。
そう、タテジマヤッコの仲間たちは、メスからオスへ性転換するのである。
なのでトサヤッコのチビターレは、メスと同じ体色をしている。
水納島では個体数が少ないトサヤッコではあるけれど、年によってはチビターレが複数集まっていることもあった。
このチビたちがまずメスとなり、選ばれしものがやがてオスになる。
その事実をまだ誰も知らなかった頃にこういう中間段階の個体を観れば、体中に稲妻が走るくらいの衝撃だろうなぁ…。
その時代を経験した方が、ある意味うらやましい。
もっとも、トサヤッコがメスからオスへ性転換している最中の個体に出会うというのも随分稀なことで、上の写真の子と出会った時には、またそれはそれで衝撃ではあった。
まだフィルムで写真を撮っていた頃のことで、その後十数年、中間段階の個体は目にしていない……
…と思っていたら、すっかり忘れていたけど2014年にまた別の子に出会っていた。
まだストライプが発現していないから、性転換の段階的には初期なのだろう。
なのでその立場はまだ「メス」のままなのか、ここを仕切っているオスの統御下にあるようだった。
かつてこのトサヤッコがウジャウジャいるのを観た八丈島の海では、このような中間段階の子はいつでも観られるのだろうか、それとも逆に、群れがしっかりしているとなかなか性転換するチャンスは無いのだろうか。