全長 35cm
昔も今も、図鑑には「普通種」と書かれているヤシャベラ。
ベラ類専門の図鑑では、「水深10m前後の浅いサンゴ礁で普通に見られる」と記されてさえいるほどだ。
かつて訪れたモルディブのリーフ際の浅いところでは、たしかにヤシャベラがそこかしこにいたように記憶している。
ところが昔も今も、水納島周辺では通常のダイビングでヤシャベラになかなか巡り会えない。
過去に一度だけ、リーフ際の水深10m未満あたりを縄張りにしているらしき子がいたくらいだ。
周辺にこの1匹だけしかいないということもあるのだろう、このヤシャベラはメチャクチャ警戒心が強くて、まったく近寄ることができなかった。
水納島ではヤシャベラがこんなところにいるなんてのは極めてレアケースで、そもそも彼らの暮らしに適した場所ではないのだろう。
案の定さほど時を経ずして姿を消してしまった。
砂地の根にいるような魚ではないから、そうなるとダイビング中に出会う機会はほとんどないといっていい。
水納島でヤシャハゼが観られるところといえば、岩場のポイントの水深30mあたりが狙い目だ。
地形的にはそのあたりからもっと深いところへと続く崖になっていて、その崖面をもっぱらの暮らしの場にしているようだ。
とはいえ1匹いるかいないかというヤシャベラのために、そんな深いところにゲストをご案内して時間を費やすわけにもいかない。
畢竟、出会う機会は限られてくる。
水納島では、ヤシャベラはレアな魚なのである。
そんなレアフィッシュ・ヤシャベラが、狭い範囲に3〜4匹集まっていたことがあった。
今年(2020年)7月のことで、普段滅多に行かないわりと深めのところへハナゴンべ目的で訪れたときのこと。
水深30m前後の崖状のところに、これまで観たことがないほど立派に大きく育ったヤシャベラの完熟オスの姿が。
ヤシャベラの完熟オスって、こんなに立派な頭部になるんだ……
…となかば呆気に取られて見とれていると、その周りにはメスらしきヤシャベラが集まっているではないか。
ヤシャベラのハーレム!!
そうか、島のヤシャベラはこういうところでたむろしているのか。
あいにくゲストをご案内中だったため、その様子を撮ることはできず。
でもこんなに集まっているんだもの、日を改めて再訪すれば、きっとまた出会えるはず。
…と期待しつつ後日カメラを携えて訪れてみたのだけれど。
ヤシャベラたち、まるっきりGome。
立派な完熟オスはおろか、メスの姿もどこにも見当たらない。
たまたまこのとき留守だっただけかもしれないから、念のためその後何度か訪れているものの、今に至るも再会は果たせていない。
いたことが「たまたま」だったのだ。
あれは産卵に際しての期間限定セレモニーだったのだろうか……。
それにしても、図鑑では軽く「普通種」扱いのヤシャベラなのに、なぜに水納島ではこれほどレアなんだろうか。
どうやらその秘密は、幼魚が暮らす環境にあるようだ。
図鑑などによると、穏やかな内湾の枝サンゴの下や枝間で暮らしているという。
そういう環境は大きな島の河口域とか湾内ならたっぷり用意されているのだろう。八重山あたりでヤシャベラのオトナがごくごくフツーにいるというのもよくわかる。
残念ながら水納島には、似たような環境はあってもその範囲は極めて狭く、ヤシャベラの幼魚たちが「普通」に住めるほどではまったくない。
チビがいなけりゃ、そりゃオトナも少なくて当然だ。
でも。
ナニゴトにも例外はあるもので、ある年の10月に、水深30mの、例のオトナのヤシャベラに出会うことができる数少ない場所近くで、チビターレに出会った。
5cmほどだったろうか、岩場の深いところだからただでさえ暗いのに、さらに暗闇になる岩陰からチラチラとこちらの様子を伺っていたチビターレ。
ターゲットライトなどなくファインダーの中は暗闇のままだったのだけど、奇跡的に何枚か記録に残せたチビターレ。
ヤシャベラのチビターレに出会ったのは後にも先にもこのときかぎりだから、千載一遇のチャンスだったのだ。
ところ変われば浅い内湾のサンゴの周りでごくごくフツーに観られるというのに、水納島では「珍」魚といってもいいほどの稀種ヤシャベラ。
その幼魚との出会いをスルーしていたら、猫に小判、豚に真珠級のチャンスの持ち腐れなのはいうまでもない。