●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2019年9月号
ひと口に外国人旅行者といっても、この小さな島を訪れる目的は日本人観光客同様様々で、夏のにぎやかな海を求め、海水浴や各種マリンスポーツこそが最大の目的という方々が多い一方、なかには少数ながら「鄙」を求めてお越しになっている方々もいる。
我々夫婦がダイビングサービスとともに併営している雑貨屋さんは、邦人外国人を問わず、そういった「鄙」を求めて足を運んでくださる方々がいらっしゃらなければ成り立たないといっても過言ではない。
その他の方々にとっては当店など、ド田舎に店を構えるあか抜けなく胡散臭い店以外の何物でもないから、特に水納島に対して思い入れがあるわけではない方々なら、華やかな国際通りで沖縄土産を買うほうがよっぽど安心して楽しめることだろう。
面白いことに、大陸や半島方面からお越しのツアー客のみなさんはそういった方々が圧倒的に多いのに対し、台湾や香港あたりから個人旅行で来る方たちは、むしろ多くの日本人日帰り海水浴客よりもよほど「日本の離島情緒」を求めているように見える。
そのような方々にこそ島に訪れていただきたいのはやまやまながら、島の観光産業の発展の結果、ハイシーズンの連絡船は海辺のレジャーを求めるお客さんで連日常時満員になる。
そのため本島に滞在しているお客さんが気ままに連絡船に乗ることすらできなくなっている今、「鄙」を求めている方々の足は、残念ながら近年ますます遠のいているようだ。
当店にダイビング目的でお越しくださるゲストをはじめ、島内の民宿に宿泊されるリピーターの方々の多くは、しばしゲンジツから離れたゆったり流れる時間の中に身を置きつつ、のんびり過ごすことを滞在の最大の目的にしている。
そんな方々にとっても、限度を超えた日帰り観光客による喧騒は、旅先に求めているものとは真逆の世界だ。
国を挙げて訪日外国人旅行者数を増やそうと血道をあげ始めて久しい。
それにともなって市民生活に支障が出てくるほどになる地域も各地で増えているようで、なかには盛夏の水納島のように、鄙が鄙でなくなってしまっているところもあることだろう。
失われたものと引き換えに得たものもあることは間違いないにせよ、長い目で見るとどうしても「明日のシアワセよりも今日の100円」を求めているようにしか見えない。
水納島だけを見ても、薄利多売でいろんな業者が利益を得てはいても、訪れる人とていなかった時代から通い続けている人々をウンザリさせ、鄙を求めて訪れた方々をガッカリさせ、小さな離島の「鄙」の魅力をこそげ落としながらの現在のにぎわいは、やがて資源が枯渇する鉱山の、束の間の繁栄のようなものでしかないのかもしれない。
近頃ではオーバーツーリズムや観光公害という言葉も生まれ、政府が成長産業と位置付ける観光が、実は必ずしも広くあまねく人々を幸せにするものではないと多くの方が気付き始めている。
しかしこれは、訪日外国人旅行者増のみに起因することなのだろうか。
たしかに文化の違いがもたらす「常識」の違いが問題になることも多々あるにせよ、日本におけるSNSを使ったいわゆる「不適切投稿」はそのほとんどが日本人だし、ハロウィーンの夜に渋谷でバカ騒ぎしているのもまた、そのほとんどが日本人だという悲しい現実がある。
訪日外国人旅行者のマナーの悪さをあげつらうほど、はたして日本人旅行客のマナーは素晴らしいものなのだろうか?
(つづく)