●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2020年5月号
この連載でも学校行事に関する話をたびたび取り上げてきたように、小さな島では地域と学校が密接に繋がっている。
そんな、いわば地域の文化センターといっていい水納小中学校が、この4月からついに休校になってしまった。
今般の新型コロナ騒動で全国的に「休校」は当たり前になっていたけれど、水納小中学校の「休校」は廃校を見据えたもので、児童生徒の不在がその理由だ。
昨年度までは小学6年生と中学3年生がそれぞれ一人ずついて、中学生が卒業してしまってもまだ春から新中学生がいるから、たとえ小学生が不在となって小学校が休校になっても「学校」は存続するし、なおかつ未就学児童が1人いるので、少なくともまだあと11年は学校の継続は大丈夫だ…と安心していた。
ところがその小学6年生が、諸事情あって家族ぐるみで島を出て本島で暮らすこととなり、春から水納中学校に通う生徒がいなくなることになってしまった。
おまけに未就学児童はその6年生の弟だから、数年後に児童が復活する予定も無くなった。
聞くところによると県内離島では、たとえ児童生徒が1人2人いたとしても即廃校が決定されることもあるそうだから、3年ほどの猶予が残された「休校」扱いは、現在の少子化社会では異例のことなのかもしれない。
しかしせっかく残された猶予ながら、超高齢過疎化驀進中の水納島では、許された期限内に就学児童が復活する見込みはまったくない。
学校が無くなったことにより、島の貴重な人口構成員だった学校の先生方8名がいなくなった。先述のとおり新中学生の家族4人も本島に。
4月を迎える前に都合12名もの人々が島からいなくなってしまったのである。
人口500人くらいの島での12名ならともかく、人口30人の島で12名といったら4割減。絶滅の道まっしぐらだ。
島在住が四半世紀を超えた私も学校にはもちろん思い入れはあるものの、ここだけの話、卒業生というわけじゃなし、子供が通学しているわけでもなし、なにかにつけ学校行事が優先される島内事情だったから、学校が無いとむしろ楽になる部分も多かったりする。
でも学校が無くなると、それまで週末ごとの先生の本島と島の行き来や学校行事やために多少の荒天でも何とか頑張ってくれていた連絡船が簡単に欠航を決めちゃうとか、学校の公共工事の資材を運ぶための資材運搬船に便乗して島内各家庭浄化槽用バキュームトラックを載せてもらうことができなくなるなど、いろいろ困ったことが出てきそうではある。
地域に学校が無くなると急速に廃れていくという、どこの過疎地でもお馴染みの典型例にそのままなっていきそうだ。
学校での授業参観や、敬老会、学習発表会、運動会などのイベントを毎年とても楽しみにしていたおばあたちは特に、休校が決まった知らせにがっかりしていたようで、離任される先生方を見送る毎年恒例の離岸式もいよいよ今回で最後ということもあって、別れを告げるべく振る手にも随分思いがこもっていたように見えた。
私にとっても学校行事(とそれに伴う飲食会)は島のおばあや他の方々との大事な社交の場でもあったから、その機会が失われるのが残念と言えば残念。
そこは野菜の苗や収穫物の物々交換の機会を頻繁にして埋め合わせようと考えている。