●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2023年5月号
お天気が良ければ、ちょっとハイキングや散歩でも…と心ウキウキになる新緑の季節。
でも同じ季節でも沖縄では、すでに春にして殺人的日差しを浴びることになるから、むしろ日が高いうちはなるべく屋内に引っ込んでいたくなる季節の到来ともいえる。
私の大好きなお散歩も、さすがに暑すぎて苦行になってしまうため、毎年この季節から11月くらいまではお預けになる。散歩はオフシーズン限定の日課なのだ。
散歩といっても周囲約4キロと小さい水納島のこと、コースがいくつもあるわけではないので、毎日違う景色が観られるわけではない。そのかわり数日おきに同じところを通りかかるから、他人様の畑の様子を鑑賞したり、特定の植物や動物に注目して、その成長や変化を愛でることができる。
それはそれで楽しいことながら、たまに本島で散歩してみると、普段とは異なる景色でかなり新鮮な気分を味わえる。なにしろそこかしこに野良猫がいるということだけでも、島とは大きな違いなのだから。
まだシーズンには早い4月のある日、若い女性二人連れの日帰り客が島内を散歩していた。ただし二人とも、それぞれのスマホ画面をじっと見つめつつ、黙々と歩いている。
彼女たちにとっての散歩はいったいどういった位置づけなのだろう?どこにいても見ることができるスマホ画面のほうが、そこに居なければ見ることができない現地の景色よりも大切なのであれば、そもそも旅行なんてしなくてもいいのに…。
人それぞれ楽しみ方はいろいろだし、大きなお世話なのは百も承知ながら、つくづくもったいないと思ってしまう。
春先に小さな花をたくさん咲かせるセンダンは、湿度の高い日などは特に、なんともかぐわしい花の香りを周辺にはなっている。野鳥由来なのか、近年になって沿道に繁茂し始めたもので、昔の水納島では観られなかったということだから、島の方々はひょっとするとその香りを知らないかもしれない。なにしろ小さな島とはいえ、ここを通りかかる際はみなさんたいてい車に乗っているから。散歩をしていて初めて、自然が放つ素敵な春の香りを堪能することができるのだ。
コロナ禍以前はオフシーズンごとに国内のどこかを旅し、訪れた土地ではなるべく2泊以上して、見知らぬ地域での散歩を楽しんでいた。
ある年2月の蔵王に2泊し、温泉街周辺をさんざん歩き回っていた際、スキーをする予定はまったくないと伝えると、宿の女将さんは不思議な地球外生物でも見るかのようにあっけに取られていたっけ…。
今考えると、女将さんもまた、つくづく「もったいない…」と思っていたに違いない。
そこまでして散歩をするのは、歩いてこそ見えて楽しめるものが必ずあるから。それは小さな路傍の花や、現地の人々の何気ない会話など、ひとつひとつは取るに足らないものながら、水納島にいたら間違いなく出会えない何か、そしてレンタカーでドライブしていたら間違いなくスルーしてしまう何かでもある。
そういったものを見たり聞いたり感じたりしたいから、私は散歩をやめられない。
散歩には他にも重要な意味がある。
人生もすでに半世紀を過ぎてはいても、仕事柄世間一般の同年代の方々に比べるとわりと持久力があるし、体もまだまだ動く(気がする)私ではあるけれど、ヘタをすると1日平均千歩未満で十分事足りてしまう冬場の水納島で体力をキープするためには、意図的に体を鍛えたり積極的に歩いたりしなければ、たちまち機能減衰の道をたどることになる。
バリアフリーな街の暮らしに比べればバリアーだらけ、ただ買い物をするだけでも連絡船の乗り降りで重い荷物をいくつも抱えなきゃならない不便な僻地で、体が自由に動かせなくなれば暮らしが成り立たなくなってしまう。
散歩は趣味であると同時に、暮らしに欠かせない足腰の機能を維持するための大事な運動でもあるのだ。
ひょっとすると二人連れの日帰り客も、実は足腰の鍛錬のために歩いていたのかも?