●海と島の雑貨屋さん●

ゆんたく!島暮らし

写真・文/植田正恵

248回.魚の方言名

月刊アクアネット2024年1月号

 水族館時代の上司が、はるばる水納島まで遊びに来てくれた。

 実に30年ぶりの再会で、水族館に勤務していた頃の様々な思い出話はもちろんのこと、お互いの近況、共通の知人の消息などなど話は尽きず、懐かしく楽しいひと時を過ごすことができた。

 学生時代からダイビングをしていたこともあって、水族館に入社した当時の私は、水族館が取り扱っている魚の名前ならある程度以上は知っているつもりだった。ところがそれはあくまでも「つもり」でしかなく、実際にはかなり苦労することとなってしまった。水族館用の魚を取り扱う出荷先の商業上の通り名、いわゆるインボイスネームのためである。

 水族館でも展示の際や公的な文書ではもちろん和名や学名を用いるけれど、職員同士や業界内ではこのインボイスネームが中心になることが多く、それゆえ標準和名をいくら知っていようと、業者さんから入荷した魚のリストには謎の名前ばかりということになる。

 今日のようにスマホですぐに調べられるわけではない時代のこと、最も手っ取り早い方法はすぐに上司に訊くこと。

 同じ名前を同じ上司に繰り返し尋ねまくっていたから、ひそかに使えないやつ認定されていたかもしれない私だけれど、上司がこうして島まで訪ねてきてくれるくらいだから、きっとそれを補って余りある活躍をしていたものと信じたい…。

 水納島に越してきてからしばらくの間も、魚の名前ではいささか苦労した。海中で出会う魚ではなく、食卓に出てくる魚たちだ。

ローカルスーパーの鮮魚コーナーでも、やはり方言名が幅を利かせている。ズラリと並ぶお刺身に「チヌマン」「マクブ」と銘打たれていても、ご存知ない方にはまったく正体不明だろう。ちなみに「チヌマン」はテングハギ、「マクブ」はシロクラベラで、マクブは、アカマチ、アカジンと並ぶ、沖縄県が誇る三大高級刺身魚のひとつでもある。その事実は百も承知の県民も、「シロクラベラ」と書かれていたらさっぱりわからないかもしれない。

 今ではお星様になってしまったおじいたちも当時はみなさんお元気だったから酒席も多く、海に囲まれている小さな島の暮らしでは、島の海幸もたいそう活躍していたものだった。

 そういう席で刺身やから揚げになっている魚の名前を誰に伺っても、返ってくる答えはどれも馴染みのないものばかり。それもそのはず、ほぼほぼすべてが方言名なのだ。

 今では本土の観光客にもすっかりお馴染みになっているイラブチャーとかタマン、グルクンといったメジャーな名前ならともかく、カタカシだチヌマンだクチナジだクサホーだヒーフチャーだシジャーだと言われても、いったいどの魚のことなのかさっぱりわからない。煮つけなどのように原形を保っていればまだしも、刺身となるとまったくお手上げだ。

 小さな島に限らず県内では方言名が普通に幅を利かせていて、日本屈指のローカル出版部数を誇る沖縄県内の出版社が刊行している各種図鑑では、方言名もしっかり併記されていることが多い。

 そんな県産図鑑を時には頼ったりしつつも、やはりこういう場合もヒトに尋ねるのが最も手っ取り早いから、魚について漁獲法から調理法まで何でも教えてくれる船員さんをはじめ、島のみなさんにその都度質問を浴びせ続けたものだった。

 その甲斐あって、今では魚に限らず生き物の方言名はたいていわかるようになり、同じ魚の同じ料理でも方言名で呼んだ方がよほど美味しそうに感じられるようにもなっている。

 「スジアラの刺身」よりも「アカジンの刺身」のほうが遥かに美味しそうでしょ? (※個人の感想です)

 だんだん方言名がわかるようになるにつれ、当初は取りつくしまがなかったおじいおばあの方言の会話も、わからないながらも身近に感じられるようになり、島のみなさんとの距離が少しずつ縮まっていくような気がしたものだった。

 たかが方言名、されど方言名。当初意味不明だった魚の方言名は、私にとって島暮らしの基礎中の基礎だったのである。