●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2006年3月号
最近、風光明媚な景色も楽しめるような場所に、おしゃれな喫茶店やら軽食屋さんが増えてきている。
一応地元情報のチェックとして、我々も時々訪れてみることがある。
そこではもちろん風景だけではなく、ほどほどのお値段で、ほどほどの量の食事を楽しめる。
地元の情報という意味では、沖縄そば屋や食堂のチェックも欠かせない。
もともとは地元の人を対象としていた店も、観光ガイドブックに載ったりして、今では客層は地元と観光客が半々といったところだろうか。
そういう店はおしゃれな喫茶店とは根本的に異なる。そう、量が半端ではないのだ。
水納島にはそば屋も食堂もないけれど、民宿が2軒ある。
どちらにお泊りになった方も、夕食後ダイビングの記録をつけに我が家にやってくるときに、おなかを抱えている。
笑いすぎて困っているわけではない。食べ過ぎてしまうのだ。
なにしろ量が多い。
だけど残すのがもったいない。
すると食べ過ぎる。
…の3段活用。
その状態を見るたびに、私はゲストを脅すことにしている。全部食べきったということは、明日は1.5倍の量ですよ、と。
その脅しはたいてい本当になる。
水納島に越してきた頃、民宿のアルバイトをさせてもらっていた。
そのとき、若い女性の朝食のご飯をどんぶりにてんこ盛りにしているおばあを見て、私は最初冗談だと思った。
当のおばあはいたって真顔で、足りないのが心配だという。
それを聞いたとき、おばあの心の根底にあるものを少しだけ理解したような気がした。
とにかくお客様に食事をお出しする以上は、お腹一杯になってもらいたいのである。
それ以来、どう考えても多すぎるだろう、という量を必ず作るおばあがすごく素敵に見えた。
そういえば何年か前に八重山へ旅行をしたとき、内地出身のお嫁さんが厨房をしている民宿の食事は、おしゃれだけれど量が少ない(一般的に見ると程よい量)、ということに気づいた。
ほどほどの物が形良く、バランス良く料理されて出てくるのだ。
見方によっては、おしゃれで洗練された、ということになるのだろうけれど、考え方によっては、この宿泊料金で出せるのはここまで、と計算されているようでちょっと物足りない気がした。
水納島宿泊初心者は、出された料理はとにかく食べきろうとする。
残したら作った人に申し訳ないからだ。
けれどそうすると宿の人は、もしかしたら足りなかったものかもしれないと考え、翌日は前日を上回る量の食事を用意することになる。
あまりの量にノックダウン状態になってついに悟った水納島宿泊中級者は、ご飯を半分にしてください、と事前に伝えるすべを覚える。
さらに宿泊上級者になると、自分で好きな量だけ盛り付けたり、今日は何々が食べたいなー、なんてちゃっかりリクエストしている。
もちろん繁忙期にすべてのリクエストがかなうわけではないのだけれど、宿の方はできるだけ応えようとしてくれる。
水納島に限らず、沖縄のどこの食堂でも、どう考えても採算が合わないような気がするこの量をみんな平気で出してくれる。
それはみんながもともと持っているもてなしの心の現れだ。それが「てぃーあんだー」、もてなす心を尽くした料理なのだ。
宿でも食堂でも欠かせない、素敵な隠し味なのである。