●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2003年10月号
10月も半ばを過ぎると、夏の間あれほどにぎやかだったビーチの人影はまばらになる。
そして、水納島のおじいやおばあたちは忙しそうに畑へ通うようになり、それまで草原だったところは見る見る畑へと変貌を遂げていく。
野菜の季節が始まるのだ。
夏の間の沖縄はあまりにも日差しが強すぎて、露地栽培ではゴーヤーかヘチマぐらいしかできず、本格的農家を除くと野菜類のほとんどは秋から春に作ることになる。
私の出身地埼玉では明らかに夏野菜だったキュウリやトウモロコシは春に、トマトにいたっては冬にできてしまうのだから、沖縄の日差しおそるべし。
9年前私が水納島に越してきたときは2月だった。
2月の水納島は野菜のオンパレードだ。
道を歩いているだけで、島のおじいやおばあたちから両手に抱えきれないほどのダイコン、レタス、ニンジン、ブロッコリーなどをもらってしまい、本来の用事が出来ずに家に帰ることもしばしば。
外出先から帰ってくると、家の前に笠地蔵のように野菜が山盛りになっていることもしょっちゅうだった。
そんな親切に2年ほど甘えた後、ふと、自分でも作ってみようという気になった。
当時はまだガーデニングなどというおしゃれな言葉は聞いたこともなく、今のように家庭菜園的野菜作りがもてはやされていたわけでもなかったので、私が額に汗して一日中土や雑草や肥料と格闘しているのを、島の若い世代の人たちは不思議そうに眺めていたっけ…。
私自身それまでの野菜作りの経験といえば、プランターでシシトウに挑戦しただけの素人だったから、当然ながら1年目は失敗続きで、かけた手間とお金に見合った収穫は望むべくもなかった。
それでも、見事に育った何種類かの野菜たちの美味しさといったら!
普段スーパーで買ってくる野菜とはまったく別物だ。
その後もおじいやおばあにアドバイスをいただきつつ、30坪ほどの借りた畑でせっせと作り続けた結果、今では種類以上の野菜をうんざりするほど収穫できるようになった。
おかげで冬場はスーパーで野菜を買うことなどまずない。
そして、正恵さんが島の中で一番上手に野菜を作るね、とその道のプロのおじいにおだてられ、私はすっかり鼻高々になっていたりする。
そもそも自分で畑をやろうという気になったのは、おいしい野菜を好きなときに好きなだけ食べたかったからだった。
ところが努力の結果、食べきれないので困る、という問題が発生している。
なにしろ島ではみんな同じような種類の野菜を私以上にたくさん作っているので配るに配れない。
かといって本土に送っても、送った野菜よりも送り賃のほうが高くつくからなんだか虚しい。
結局、本島から遊びに来た友人知人に無理矢理お土産として持たせ、それでも残るのでペットの鳥やカメにあげたりしている。
そんなこんなで野菜を作り始めて7年。
私にとっての野菜作りは、野菜自体の美味しさや得られる栄養もさることながら、年配の人たちとの共通の話題が持て、苗や収穫物の交換で交流が深まるなど、心のとっておきの栄養にもなっているのであった。