●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2008年6月号
旅の醍醐味のひとつは、非日常を経験することにある。
普段の生活と違う風景、そしてそこに暮らす人々と出会い、それらを感じることによって、リフレッシュすることができるのだ。
だから日常生活とのギャップが大きければ大きいほど、インパクトは大きい。
場合によってはそれが、普段の生活を大きく変えることになるきっかけになることもある。
旅は普段の生活を客観的に捉えることができる、ともいえる。
何年か前にモルディブへダイビングをしに行った。
モルディブといえばダイバーならずとも一度は行ってみたいと願う世界的なリゾート地のひとつで、100以上もある小さな島のひとつひとつがそれぞれひとつのリゾート施設になっているから、しばらく滞在するだけで、絵に描いたようなビーチリゾートを過ごせるところである。
それら綺羅星のごとく点在する島々のうち、我々夫婦が約一週間滞在したのは、一周歩いて45分ほどの、モルディブ諸島にしては大きな島だった。
そのころの私たち夫婦は水中写真に熱を入れていたこともあって、沖縄の海ではけっして見られないインド洋の魚たちが、花吹雪のように泳いでいる熱帯の海は新鮮そのもの。
まさに非日常とはこのことだ。
と喜んでいたのだが……。
そんな「天国」でダイビング三昧を繰り返しているうちに、私はふと気づいてしまった。
潜って食べて飲んで寝る、三度の食事や掃除は人任せ……
…って、オフシーズンのだんなの生活そのものではないか!
高い旅費を払ってはるばるインド洋までやってきて、日常を過ごしてどうするのだ。
翌年以降旅行先の候補地から「南の小島でダイビング」が排除されたのはいうまでもない。
水納島に何度も訪れてくださる観光客にとっては、島でご滞在中の何が「シアワセの非日常」なのだろうか。
一応サービス業のはしくれとして検証してみた結果、そこにはひとつのキーワードがあることに気がついた。
「島時間」だ。
日常生活に戻られたゲストが、ややもすればうっとりと、あるいは遠い目をしつつ懐かしげによく口にする言葉である。
そのシチュエーションはさまざまなのだが、圧倒的に多いのが、海を楽しんだあと、明るいうちからお酒を飲むひとときだ。
同じ日本でも西の端なので、夏ともなれば日はかなり長い。
一方で、その時間だったらビーチスタッフも船員さんも一仕事終えているから、どこかしらでゆんたくしながらビールを飲んでいたりする。
するとお客さんも普通に島の人たちに混じって話しついでに一杯……ということになる。
風に吹かれながら、徐々に日が暮れていくのを感じながらの宴席には、誰かがついさっき海から獲ってきた肴までついてくることもある。
そして日が暮れて人の顔が見えなくなったらお開き、という実に心地よい夕刻のひととき。
1日が同じ24時間とは思えないほどに、ゆったりと時が流れていく……。
越してきた当初の我々も、こんなことがあっていいの?というくらいにものすごく感動したものだった。
ところがいつしかそれがあまりにも日常のことになってしまい、意識しなければゲストと同じ視点で味わうことが難しくなっていたりする。
ただでさえ「のんびり」とした時間を過ごしているにもかかわらず、もっとのんびりしたいと思っているのだ。
「日常」とは、本来の価値を忘れさせてしまうものなのかもしれない……。