Lさらば人情の国、会津(3月10日)

 鮎の塩焼きを美味しい美味しいとムシャムシャ食べながら歩いていると、ほどなく塔のへつり駅入り口にたどり着いた。

 へ?これが駅??

 ってくらいの、ししゃものような一本の細いホームの端に、どこかの高校のラグビー部の部室のような小屋がチョコンとあるだけ。無論、駅員などいるはずもない。

 その入り口で写真を撮ろうとしていると、タクシーが一台停まった。
 途方に暮れた旅行者と思われたのだろうか?

 すると、タクシーのドアが開き、運ちゃんが降りてきた。

 「帰るんだったら載せてくよ!どうせこれから帰るとこだからさ」

 なんと、その運ちゃんは初日に大内宿まで連れて行ってくれた運ちゃんだったのだ。
 わざわざ降りてきて誘ってくれているわけである。それも、どう話を聞いても、どうせ帰るとこだから、ついでにタダで乗っけてくよ、というニュアンスである。

 そういえば大内宿に行くときも、この運ちゃんはタクシーを停める随分前からメーターを切り、その時点での料金でいいと言ってくれたのだった。
 あのときといい今回といい、この世知辛い世の中にあって、まだまだ日本も捨てたモンじゃないと思わせてくれるこの田舎の人情。

 運ちゃんに載せてもらうのも面白そうだったのだが、我々はこの部室のような塔のへつり駅を湯野上温泉行きの列車が来るまで見て回りたかったので、お礼を言いつつ丁重に辞退した。
 で、記念写真。

 うーむ、なんだか島のリョウセイさんに似ている……。

 心しみじみのほっこりした暖かさをありがとう。みなさん、湯野上温泉へお越しの際は、是非湯野上タクシーをご利用ください!!

 さて、塔のへつり駅。
 部室のような駅舎とはこれだ。

 ね。「えっ!?」って感じでしょ。
 ここも、ひと月前はこんな感じだった。


撮影:オタマサ

 こんな雪の中を湯野上温泉から歩いてきたオタマサは、凍える思いで再び歩いて湯野上温泉に戻ったのだという。今回もその予定でいた彼女へ、僕がごくごく普通に

 「帰りは列車でってわけにはいかないの??」

 そう訊ねてみると、

 「おっ!ちょうどいい時間に一本ある。そうか、その手があったか!!」

 ……って、普通先にそっちを考えるでしょう??
 フォレスト・ガンプの思考方法は、我ら凡百の徒には理解不能なのである。

 シシャモのように細いホームでしばらく待っていると、列車がやってきた。
 湯野上温泉は隣の駅なので、すぐに到着。

 例の萱葺き屋根の駅舎を出て、ふと沿線の工事現場らしきところを見ると、先ほどのリョウセイさんが現場の人とゆんたくしていた。
 目が合ったので手を振ると、彼は深々とお辞儀してくれたのだった。

 その後、前回からうちの奥さんが目をつけていた、地元農協直売店で買い物。今回のお土産はほぼここで揃えた。もちろんあの凍み大根も(製法をうかがったのは、実はこの店)。

 その後、宿へ。
 荷物を受け取って、宿の皆さんにお別れをする。
 我々が沖縄から来ていることはご存知なので、宿で会うたびに「遠いところからありがとうございます…」といってくれたおばあちゃん。もう少しゆっくりこの宿のおばあちゃんともお話したかったのだけれど……。

 挨拶をすると、おばあちゃんがお土産をくれた。

 

 この地方名産の赤ベコだ。
 素朴で優雅な昔の玩具が、この会津によく似合っている。沖縄の我が家ではどうだろうか?

 清水屋旅館さんとお別れした後、我々はテクテク歩き、「じゅうねん村」という、どうやら地域興しの3セク事業らしい飲食店を訪れた。
 同じ敷地内のすぐそばにきらびやかなセブンイレブンがあるのに対し、じゅうねん村はこんな感じ。

 セブンイレブンの駐車場はアスファルトなのに、まるで野球グランドの内野と外野のごとくクッキリと分かれてこうなっていた。おまけにトイレはといえば、建設現場に設置されているような簡易便所が裏にポツンと……。

 交通量の多い国道脇に店舗を構えているのだから、当然車でふと立ち寄る客を見込んでいるのだろう。でも、多くの車はセブンイレブンへ……。
 3セク事業のさらなる奮起に期待しよう。

 3セク事業主のやる気はともかくとして、ひとたびお店に入ると、それはそれは、セブンイレブンなんぞでは絶対に味わえないであろう「会津」に触れることができた。

 ここでは、地元名産の「しんごろう」とか「けんちんうどん」とか、さらに「つめっこやき」とネーミングされた、蕎麦粉を蒸したもので具を包んだ食べ物を食べさしてくれるのだ。

 もちろん、ビールも♪

 このしんごろうというのがなかなかいける食べ物で、蒸したうるち米の上にじゅうねん、すなわちえごまの味噌を塗ったくってある。それを炭火でちょろっと炙ると、これがまたえもいわれぬ絶妙な味に。

 我々のあとに、栃木からいらしたらしい年配のご夫婦も来店してきた。彼らはどうやらそのあたりを散策して、蕗の薹などを物色していたらしい。
 なかなか見つからなかったそうなのだが、この店の入り口に、わんさか蕗の薹が入っている籠が無造作に置かれているのを見てビックリしたご主人は、それらをどこで採ってきたのかと店のご婦人に問うていた。


玄関先に無造作に置いてあった蕗の薹の山盛り

 そういうのはやっぱり企業秘密なのかなぁ、となにげに聞き耳を立てていると、なんとも普通に、どこそこの田圃の畦にたくさんありますよぉ、といともたやすくヒミツの場所を明かしていた。
 ま、このへんじゃ蕗の薹が生えている場所なんてヒミツでもなんでもないんだろうけど、他所から来た人にも普通に教えるあたり、自然のものは人々のもの、という認識で生活しているのだろう。
 その場所はご自身の畑なのかうかがってみると、彼女もやはり、全然関係ない他人の田圃の畦道を物色しているのだった。

 ちなみに、先ほどご紹介したJAの売店とか塔のへつりの土産物コーナーなどでは、この蕗の薹が大量に詰まったパックが100円〜200円で普通に売られていた。

 腹も満ち、ビールのおかげでいい心地になったし、そろそろお店を出ようとするときのこと。荷物を置かせてもらっていたテーブルの上にたくさんのりんごが入った箱があった。訊くと、この辺で作っているものだという。
 そして、そのりんごを2つほど選んで手にした店のご婦人が、それを我々に渡すのである。どうぞって。

 旅人にちょっとした食べ物を手土産がわりにそっと渡すという文化が……
 ……まだ日本にあった。

 その昔、民宿大城にお泊りだった年配のゲストがお帰りの際、宿のおばあから、帰り道に食べて、とバナナやお饅頭を手渡されていた。彼女はその際、

 「あらまぁ、昔の日本みたい……いいわねぇ」

 60過ぎのご婦人は、日本の古き良き時代をご存知なわけで、沖縄の田舎では普通に見られるそういったもてなしを、懐かしく思い出されていたのである。

 今回会津をちょこっと回ってみて、どんな店でも出てくるお通しのカメーカメー攻撃にしろ、タクシーの運ちゃんにしろ、宿のおばあにしろ、ここ会津には、古き良き日本がまだまだ濃厚に残っていることを、これでもかというくらいに実感した。

 近年の沖縄ブームでは、なにかというと「沖縄の人たちは優しい」などという旅行者が多い。彼らの普段の身の周りには見られない優しさがあるのだとか。
 でもそれって、単に身の周りに目を向けていないだけなんじゃないだろうか。
 生き馬の目を抜くような都会で生活されている方だとたしかに難しいのかもしれないけれど、彼らが言う沖縄の「優しさ」なんて、わざわざ沖縄に来ずともちょっと田舎に行けば、どこにだって色濃く残っているのではないか。

 ところが、ちょっとした田舎には足を運ばない代わりに、沖縄にはリゾートにやってくる。そこで初めて出会う人情の世界。他人に優しくされるということ自体が感動的なのだとしたら、彼らにとっては、そりゃ沖縄は「優しい」ということになるのだろう。

 でも。
 同じ感覚で、もっともっと日本の田舎にも足を運んでみてはどうだろう。
 観光地じゃないと閉鎖的な場合もあるだろうけれど、それは沖縄でも同じだ。少なくとも客を迎え入れる場所だったら、きっと素敵な体験ができることだろう。

 じゅうねん村にいる間に、晴れていた空はにわかにかき曇り、ついには雨も降り出した。
 会津に来て初めて雨にたたられた。
 というか、本来なら雪になるところなのだそうだ。

 もうこの地を後にしなければならない我々の涙雨かもしれなかった。

 茅葺き屋根の駅舎で待っていると、やがて我々が乗るマウンテンビューエクスプレスという名の2両編成の快速が到着した。
 いよいよ会津ともお別れだ。
 気高き山々の国よ、ありがとう。
 小雨降る中、列車は湯野上温泉を後にした…………。

 

 

 

 ……で、終わりになれば美しいのだが。

 会津旅行を終え、じっくり余韻に浸りながら東京での最後の一夜を過ごしたかった我々を、こういうメンツが待っていたのだった。

 なんであの大方洋二さんが?
 どうしてミスター杉森が?
 あ、コスゲさんも、ごっくん隊も!!

 そしてそして………

 キノッピーも!!

 なんでなんで??
 どうしてどうして??
 そして、いったい…………ここはどこ??

 それを語ると長くなる。
 できることなら清く正しく一切合財を割愛したいところだったのだが、そういうわけにもいかないので、話は3月1日まで遡る………。