C大内宿〜三澤屋〜(3月8日)

 キジもサルもイヌも見せてくれたマウントビューあらためアニマルビューエクスプレスは、ついに湯野上温泉駅に到着した。鬼怒川温泉駅から約1時間、浅草からなら合計3時間半。いまどき3時間半もあれば、成田からサイパンくらいまで行けるのではなかろうか。
 やはり会津は僻遠の地である。

 でもまた、その遠さがいいのだ。
 その線路の果てに、こんなステキな駅舎があるのだから。

 この湯野上温泉駅の駅舎は、なんと日本で唯一の茅葺き屋根の駅舎なのである。
 その外観同様、駅舎の中も風情たっぷりだ。

 ホンモノの囲炉裏が!!
 駅舎で宴会ができてしまうではないか。

 ちなみに、先月オタマサが下見した際の湯野上温泉駅は、こういう状態だった。


撮影:オタマサ(2月1日)

 たったひと月でこうも変わるのだ。
 とはいえ、本当は3月でもこれくらい雪があるのが普通らしい。このあとしょっちゅう耳にすることになるのだけれど、今年は稀に見る暖冬のために、雪が全然降らず、あろうことか1月には雨すら降ったという。
 このあたりのみなさんにとっての雪はやはり観光資源らしく、あまりの少なさに誰もが戸惑い、困り果てていた。オタマサが目にした美しい雪景色は、ある意味かなりの幸運だったのである。

 …という話を、都会の人々は対岸の火事と思っていてはいけない。
 このあたりの雪が減ると、当然ながら雪解け水も減る。流れ流れてあらゆる地域で飲料水として利用されることもあれば、各地の農作物にだって影響が出るだろう。そしてこのあたりの水力発電は、東京電力が管理していたりするのである(原発も含め、東京が使用している電気の4分の1は福島県内で作られている)。
 まったくもって他人事ではない。

 さて、幸か不幸か雪が少ない駅に降り立った我々は、駅舎を通り抜け、すぐさまタクシーを拾った。
 我々が泊まる宿はこの駅から歩いて10分ほどのところなので、宿に行くならタクシーには乗らない。ではどこに行くかというと………

 大内宿。
 知る人ぞ知る、江戸時代へタイムスリップしたかのような街並みが残るかつての宿場町である。

 ならば、ひとまず宿へ行って旅装を解き、荷物を置いてからのほうがいいのではないかというところだが、宿のチェックインは15時。時刻はまだ11時半だ。
 仕方がないのでコインロッカーでも……

 実際、駅舎にはささやかながらロッカーが備え付けられている。
 ところが、タクシーに乗ろうとするや、運ちゃんが人懐っこい会津弁で、荷物をどうするかと問うてくれるのだ。またここに戻ってくるのなら、すぐそばの営業所で荷物を預かってくれるという。
 田舎には、まだまだ人情溢れる日本が残っている。

 というわけで、駅舎の目の前にある湯野上タクシー営業所で荷物を預かってもらい、我々は急に身軽になってタクシーに乗り込んだ。

 ここから大内宿まではタクシーで10分ほどで、10分程度だと大して話もできないかと思いきや、その10分の最初のうちに、前回のオタマサ下見ツアーにおける彼女の疑問の一つがたちどころに氷解した。

 この地方の家々によく見かける、屋根の上のこの飾り屋根のようなものが、オタマサはいったいなんなのかわからなかったのだ。

 その解決を目指していたのでさっそく訊いてみると、運ちゃんは…

 「囲炉裏の煙っ子逃すンだ」

 おおっ!!
 囲炉裏の煙逃しだったのか!!
 最近は囲炉裏のある家が減ったので、屋根にこの構造があっても囲炉裏がない家が多いという。また、たとえ囲炉裏を備えた茅葺き屋根を作っても、昔と違って長持ちしないらしい。夏になると暑さのために囲炉裏を使わないから、木材が煙で燻される時間が少なすぎ、ひいては建築物の寿命を縮めることになっているそうである。

 なるほどなぁ……。
 我が家でも木材保護のために囲炉裏を設けようかなぁ。<もう手遅れだって。

 紅葉の季節には大渋滞になるという山道を10分ほど走ると、やがて大内宿に到着した。
 聞きしに勝るタイムスリップ感!!
 最近は、「古くさ」かったものが「レトロ」という価値に進化したものが多いけれど、ここはそういったタイムスパンを遥かに凌駕している。
 なんといっても江戸時代なのである。

 さあ、江戸の雰囲気を濃厚に残す街並みをさっそく散策………

 ……するのはまだ早かった。
 時刻は11時45分ほど。お昼にするにはまだ早いから、ちょっと散策してからその辺の蕎麦屋にでも…といきたい時間帯ではある。が、我々にはオタマサ下見ツアーがある。
 彼女は前回そのように考え、ひととおり散策してから目当ての蕎麦屋に立ち寄ったところ、これがとんでもない満員御礼状態で、とてもじゃないけど待っていられる状態ではなかったのだ。

 なので、うちの奥さんにとっては再訪問になる今回の会津行のなかでもこの蕎麦屋攻略は、オタマサリベンジ編とでもいうべきメインイベントだったのだ。そのため今このときの我々の作戦は、大内宿到着早々すぐさま蕎麦屋に立ち寄る、ということになっていたのであった。

 店は、江戸時代の宿場町を形成している建物の一画にある。そう、この大内宿の建物群は、どれもこれも皆現役の建物で、さすがに観光客向けのお店がズラリと並んでいはするものの、人々はここで暮らしており、我々が行こうとしている蕎麦屋もそのうちの一軒なのだ。

 蕎麦屋の名を三澤屋という。
 高遠蕎麦が名物らしい。
 会津なのになんで高遠??
 読者は会津藩の藩祖保科正之の話を思い出さねばならない。ね、予習しておくとよくわかるでしょう?

 で、この三澤屋では、お蕎麦を一本の長ネギを使って食べる、という一風変わった食べ方をウリにしているというので、我々はもちろんその高遠蕎麦を食べてみたかった。

 お昼前のこの時間、はたして空いているだろうか??

 …ほんの少し待っただけで、すぐさま座れた。
 とりあえず、オタマサリベンジは果たせそうだ。

 外観同様雰囲気のある店内は思いのほか広く、趣的には駒形どぜうに似ている(江戸を喰う!コーナー参照)。
 各席は囲炉裏になっていて、それぞれにちゃんと炭が入っていた。

 ちゃんと席につけたことに喜びを噛み締めつつ、さっそく高遠蕎麦を注文。もちろん、ビールも忘れない。
 扇子に書かれたメニューをさらに見ると、なにやら魅惑的なものがたくさん目に飛び込んできた。
 岩魚の塩焼きだ。
 玄関先の囲炉裏で美味そうに焼かれている。

 あと、山女の踊子という、正体不明のものもあったので、仲居さんに尋ねてみると、ヤマメの天麩羅だという。
 おお、美味しそうではないか。
 迷わずそれも注文しようとしたところ、仲居さんが

 「…けっこう量が多いですよぉ」

 と、留めてくれた。
 たしかに、その後その一言が正しい判断だったことがわかった。でも、普通営業的にはどんどん注文をとっちゃえばいいところ、食事の量を気遣ってくれて押し留めるなんて……なんて優しいんだ。

 で、一通りオーダーが済んだ後、真っ先にやってきたのがこれだった。

 お漬け物である。
 どうやら蕎麦を頼むとついてくるらしい。
 はて、大根はわかるにしても、この黄色いフルーツみたいなのはなんだろう??

 「自家製の渋柿の塩漬けです。今の時期しか出せないんですよぉ」

 柿の漬け物!?
 驚きで開いた口がふさがらないまま実食。

 これが………

 美味い!!

 いやあ、ビックリ。
 水納島ではスイカの漬け物ってのがあるけれど、ところ変われば柿も漬け物になるのだ。

 続いて、汁物が出てきた。
 あれ?これ頼んでないけど……。

 「ビールのお通しです」

 え??
 こんな立派なものが??
 というか、蕎麦屋でお通しって………。

 このあと調子に乗った我々は、しょっぱなから日本酒も頼んでしまったのだが、それにもまた、美味しいおからのお通しがついていたのだった。

 ちなみに、もちろん両者ともお通し代として料金につけられているわけではない。どうやら会津地方とは、これでもかというくらいのお通しカメーカメー文化であるらしい……。

 というわけで、我々の囲炉裏端は食べ物で溢れかえってしまった。
 溢れかえっていたのは我々の囲炉裏端だけではない。昼時とあって、お店はやがて大繁盛状態に。入り口の6畳ほどの土間には、席が空くのを待っている客がどんどん増えている。
 そんななかにあって、我々はまるで居酒屋にいるかのように……。
 そのため、通常の客の回転率の3回分くらいを費やしていたのだった。

 でも、実際心地よくなりますぜ。
 ビールの後に一合ずつ頼んだ日本酒なんて、てっきりお銚子で出てくるのかと思いきや、ぐい飲み茶碗とともに、こんな器に注がれて出てくるのだ。


彼女が頼んだどぶろく。

 おまけにお通しのお汁やおから、岩魚の塩焼きも漬け物も美味しい。
 これが飲まずにいられようか。


岩魚の塩焼き。ワタ部分には味噌が詰められていて、これがまた美味い!!

 そしてお待ちかね、高遠蕎麦の登場だ(ちゃんとシメのタイミングになるよう、見計らってくれる)。

 これがまた……………美味い!!
 薬味であるネギを箸代わりに、蕎麦を食べつつときおりネギを齧る、という食べ方をすればいいらしい。
 ただし、客を連れてきて自分も食べていた地元のタクシーの運ちゃんを見ていると、ネギは傍らにおいて、普通に箸で食べていたけど…。
 ちなみにこのネギは、この用途のためにわざと曲がるように作られているそうだ。

 蕎麦湯も出してくれるので、蕎麦のだしに日本酒を少し混ぜ、そこへ蕎麦湯を注ぐという、オリジナル蕎麦湯を勝手に作って飲んでみたら、これがまた美味い。

 いやあ、もう腹一杯。
 このうえさらに山女の踊子という名の天麩羅があったら、すでに我々は白旗を揚げていたことだろう。仲居さん、アドバイスをありがとう……。

 そんなこんなで、ああなんてことだ、まだ肝心の大内宿散策もまだだというのに、すっかりいいコンコロもちになって、どこかそのあたりで寝ていたい……という気分になってしまったではないか。

 今日のメインテーマはなんといってもこの三澤屋だったので、すっかり目的を果たした我々は、すでに大満足の境地になっていたのだった。

 こんな状態で、大内宿を歩き回れるのか??