E清水屋旅館

 大内宿を堪能した我々は、湯野上タクシーに迎えに来てもらい、再び湯野上温泉駅に戻ってきた。
 営業所に預けておいた荷物を受け取り、宿を目指す。

 駅から歩いて10分ほどのところにある、清水屋旅館である。

 この清水屋旅館はなんと明治23年(1890年)の創業で、この湯野上温泉でも指折りの老舗旅館なのだ。明治23年といえば、西郷はんが鹿児島の地で死んだ西南戦争からまだ13年しか経っていないわけで、この湯野上温泉自体の歴史の古さもそれでうかがい知れようというものだ。

 ただし、江戸時代の姿を今に残している大内宿とは違い、宿はさすがに明治の面影を今に残しているというわけではない。もう少し離れたところに次々とできている新しい温泉旅館が今出来の和風感漂う建物であるのに対し、当地で最も古くからあるといっていい清水屋旅館は、明治創業という特色を外観に出すことなく、静かに佇んでいた。

 また、最近できた温泉宿が幹線道路から離れた静かな集落に集中しているのに対し、清水屋旅館さんは、昔からそこにあるということが逆に仇になっているのだろう、わりと交通量の多い国道にピッタリ面している。

 駅からここまで歩くには、この国道も歩かなければならないのだけれど、その脇にある歩道が途中で突然こういうことになる。

 おわりって言われても……。
 仕方がないので、ここから先100メートルほどは、白線で区切られただけの路側帯を歩くことになる。
 40キロ制限の道にもかかわらず、通り過ぎる車は軽く80キロくらいは出していて、ときおり大型車も通るのでこの道がけっこうコワい。

 宿の玄関側が国道であるのに対し、前述のとおりすぐ背後には川がある。大川と地元で呼ばれる阿賀川で、その川と宿との間はこうなっている。

 我々が午前中に通過した会津鉄道の線路が通っているのだ。
 ちなみに上の写真は我々が泊まった部屋からの眺めで、手前の赤い屋根はこの宿の露天風呂の屋根。面白いことに、露天風呂にいると、衝立越しながら列車と我々とは同じ目線になるのだ。
 なので、列車から見るとこうなる。


左側の高い柵の向こうが露天風呂で、
右上隅にチラッと窓の一部が写っているところが我々の部屋(のはず)。

 列車が通るというと、都会の線路沿いの喧騒を想像されるかもしれないけれど、傍を通るこの列車がまたいい感じなのだ。
 なにしろ、1時間に1本あるかないか、それも1両か2両編成なので、すぐ背後を通っているというのに、列車が通過する音がとてつもなく素朴なのである。

 部屋にいれば川のせせらぎが聞こえ、ときおり列車の素朴な響き。ここで録音したものをヘッドフォンで聞けば、都会で過ごす方々にとってはこのうえないヒーリングアイテムとなることだろう。
 ちなみに、先月はこういう景色だった。


撮影:オタマサ

 景色に与える雪の力ってすごい。

 さて、テクテクと歩いてついに旅館に到着し、玄関の自動ドアが開くと、宿の方が迎えてくれた。到着が15時過ぎくらいになることをあらかじめ告げてあったのだ。
 オタマサ下見ツアーのときにも受け付けでお世話になった女性スタッフさんで、さすがにうちの奥さんのことを覚えてくれていた。
 で、案内してくれた部屋も、使い慣れたところに、と配慮してくださったのだろう、前回と同じ部屋。

 これがメチャクチャ広い。


窓側からの眺め


居間の奥からの眺め

 さらに、この宿には露天風呂も館内の大浴場もあるというのに、部屋にもお風呂がある(もちろん出てくるお湯は温泉)。


露天風呂が心地よかったので、
結局、洗濯以外で一度も使わなかった…。

 ここに1人で泊まっていたなんて、なんてゼータクなんだ、オタマサ。

 また、ワイドビューの窓外の景色が素敵だ。冬枯れのお山が雄大な景色を見せてくれる。
 常緑の木々が生い茂る沖縄の山ばかり見ている僕たちにはもちろんのこと、内地の山でも花粉症の元凶である杉林だらけの山だとこうはならないから、こうして冬になると葉が落ちてハゲハゲになる落葉樹林の山というのがとっても珍しい。

 今回会津に来てみて、なんとも印象深いのはこの「山」で、四方のどこを見渡しても必ず存在感のある「山」があり、ときにはそれらが長く連なってもいる。2000m級にもなれば真っ白い雪を戴いており、それらが作り出す空との境界線は、海に囲まれた平たい島で暮らす我々には、やけに気高く崇高なものに見えた。山伏に代表されるような山岳宗教が日本で育ったのもよくわかる。

 そんな山を間近に眺めることができる露天風呂がまた心地いい。
 館内の大浴場は男女で分けられているのだけれど、露天風呂は基本的に混浴。このご時勢に混浴だなんてところがすごい。
 ただし、16時から18時までは女性専用タイムと設定されている。
 夕食前の一番いい時間帯なのに……。
 悔しいけれどしょうがないので僕は18時から夕食までの間にかけるしかないと覚悟していたところ、さすが閑散期、少し期待していたとおり、女性客はうちの奥さん以外にはいないから、日帰り入浴の受付が終了する5時以降ならご利用いただいて大丈夫ですよ、との宿の方の話。

 ラッキー♪

 旅装を解き、ひとごこちつけたあと、いい時間になったので露天風呂へ行ってみた。
 4つほどある浴槽はそれぞれ温度をビミョウに変えてあり、下は40度から上は44度まであって、好みで使い分けられるようになっている。
 温泉は弱アルカリ単純泉ながらウレシイ源泉かけ流しで、シルクのようになめらかなお湯が湯船から溢れていた。なんとこの湯はこの宿独自の自家源泉だそうで、文字通り湯水のようにお湯を使えるのである。
 この地域の他の温泉宿群がみな共同で他の源泉を使用しているのに比べれば、さすが明治23年創業。
 おかげで、湯船に浸かると湯がザザザーッと溢れ出す、というのが大好きな僕は、満々と湯を湛えたこのお風呂で、それを存分に堪能することができたのだった。<何度も繰り返したバカ。

 

 夕刻から日暮れ時にかけて入っていたところ、お山の頂を茜色に染めていた陽が沈むと、薄暮の空にお山から月が出てきた。
 十二夜のお月様だ。
 これでお酒でもあればそれこそ極楽浄土ですよね、観音様。

 この観音様が左手にお持ちの蓮の花から湯が出てくる仕組みになっているのだけれど、知らずにこれを真横から見た僕は、

 おお??小便観音??

 と、なんとも罰当たりな勘違いをしてしまった。
 観音様の背後の枝は露天風呂の敷地内にある桜の老木で、毎年春になると満開になるらしい。
 お向かいの山は、秋になれば全山燃えるように赤く色づくという。

 温泉に浸かりながら、花見をしたり、紅葉を愛でたり、雪見風呂だったりだなんて……。
 いろんな季節に来てみたいなぁ。

 ……でも混んでるんだろうなぁ。

 滞在中、この露天風呂には、朝夕合わせてそれぞれ2回ずつ入った。
 毎日歩き回っていたから、夕方は一日の疲労がジワリ…と湯に溶け出していく。
 朝は朝で山の向こうから差す陽が山の頂の木々をクッキリと浮かび上がらせ、肌を刺すような冷たい空気のおかげで、湯面には温泉情緒あふれる湯気が満ち、夕刻とはまた違ったお浄土を演出してくれていた。

 さあてさて、風呂に入れば腹が減る、というのが旅の法則である。
 お待ちかね、いよいよお食事の時間だ!

 オタマサ下見ツアーのおかげで話には聞いていたけれど、いやはや、これがもう完全に超豪華特別版。くだらないバラエティ番組の「超豪華出演者!!」なんていうと、たいてい豪華じゃないのが定番だけれど、この清水屋旅館の食事は天下一品。
 そりゃ天井知らずでお金を出せばいくらでも豪華になるだろうけど、少なくとも一泊12600円という料金ではありえないほどの絢爛豪華な食事だ。

 なんといっても岩魚のお刺身。
 昼間に三澤屋でいただいた塩焼きでその実力を知った僕は、その刺身がこれまたすこぶる上質の白身であることを初めて知った。海産高級白身魚といわれればそのまま信じてしまうところだ。

 そのほか、ウグイの甘露煮、鯉のうま煮などなど、淡水産の魚が美味しいこと美味しいこと。これらの魚が食べられるのなら、周りに海がなくとも生きていけるかも……と僕は思った。
 魚だけではなく、お肉も素晴らしい。米沢牛なのだろうか、霜降りの上等な肉が、初日はしゃぶしゃぶ風に、2日目は一口ステーキ大のものがサラダになっていた。
 若い頃ならいざ知らず、老いた体には霜降り肉は脂が多すぎるのだけれど、この懐石風の適度かつ上品な量のおかげで、キチンと賞味することができた。
 さらに馬刺しも登場。

 その他、様々な料理が入った小鉢が食卓を春の花畑のように彩る夕食は、当然のようにビールもお酒も進んでいくのであった。

 ところで、これらの配膳はすべてスタッフが1人でやってくださっているのだけれど、2泊したところ1日ごとに人が変わっていた。オタマサ下見ツアーのときは、さらに別の方だったという。
 スタッフが大勢いるわけではなさそうなこの閑散期に、どういうことになっているのだろう?

 初日の夕食と2日目の朝食を担当してくれた若いお兄さんは、こういった温泉宿にしてはやたらとあか抜けた供応の仕方だなぁ…と思っていたところ、朝食後の朝の散歩でその理由がわかった。


清水屋での勤めを終え、橋を渡って藤龍館へ戻るお兄さん。<会津田島出身。
 ちなみに傍らにある紅白のポールは、北海道でおなじみの積雪時の道幅指標ポール。
本来はこれが必要なほどに降り積もるのだが………。

 散歩中に彼とすれ違ったこの橋のこちら側の袂に、藤龍館という高級温泉旅館がある。彼はそこのスタッフだったのだ。藤龍館はこの清水屋旅館の姉妹館で、グレードがいささか……いや、かなりアップして宿泊料金も倍増以上なのだが、そちらのスタッフが清水屋に手伝いに来る、ということもあるらしい。

 つまり彼は普段は高級ハイグレード温泉宿でゲストをもてなしているわけで、我々は清水屋旅館の料金でありながら藤龍館レベルのスタッフのもてなしを受けたわけだ。

 …なんだか得した気分。

 それにしても彼以外にも何名かお会いしたスタッフの方々は、受付ならびに案内の人、掃除の人、配膳の人、厨房の人、という具合にいろいろいらっしゃる。このあたりも民宿とは一味違う。
 でも、客と言えば我々以外に男性が1人いるだけなんだけど、こんなにスタッフがいていいのだろうか??
 というより、交代で働いているのだろうか。だとしたら、モルディブのリゾートで働く現地スタッフのように、ワークシェアリングが完成しているに違いない。
 雇用危機に直面した今になって騒がれ始めているこのワークシェアリング、かつてのモルディブ・ヴィラメンドゥ記でも触れた気がするけど、これこそが黄昏時代に入った日本の、将来的なシアワセの姿ではなかろうかと僕は常々思っている。

 宿のフロント奥の番所のような一室には、毎日おばあちゃんがいる。
 80を越えて体が昔のようには動かなくなってねぇ…なんておっしゃりながらもお元気そうなこのおばあちゃんは、どうやらこの旅館の先代女将らしい。
 80過ぎってことは、明治23年創業のこの宿からすれば、おそらく二代目か三代目なのだろう。いわば、ここ湯野上温泉の生き字引に違いない。

 あと一日でも長く滞在できれば、もう少しゆっくりお話もで来たろうに、今回は宿にいる時間といえば食事と風呂くらいのものだったので、そういうわけにもいかなかった。これまた、数少ない心残りのひとつだ。

 都合2泊お世話になったこの清水屋旅館、真新しい最近の温泉宿に比べれば、さすがにその「古さ感」は否めないかもしれない。
 湯船に観音様という発想は、おそらく今出来の旅館ではありえないだろう。
 しかし最近では、そのビミョウな古さ感が、「昭和」という意味を持ってきている。10年前までなら古くさいといわれていた様々なものが、

 懐かしい昭和

 という新しい価値に変わってきているのだ。
 そういう目で見てみると、我々の部屋のコタツもテレビも、パナソニックって何?リモコンて何?って時代の「懐かしい昭和」そのもので、よくよく考えてみるとわざとそれらを備品にしているようだ。
 たしかに型式の古さのわりにはテレビもコタツもかなり手入れが行き届いているし、食事の間に置いてあったテレビで僕などは、かなり久しぶりにチャンネルを「ガチャガチャ」と回した。
 そしてさらに思い出した。
 露天風呂に備え付けられていた洗面器はすべて………

 ケロリンの黄色い洗面器だった!!

 なんてことだ、ひょっとして力の限りわざと「古く」していたのか??

 これを書いていて気づき、今慌てて調べてみれば、はたして、絶対にあるはずがないと思っていた清水屋旅館さんのサイトがちゃんとあり、そこでは見事にこの「昭和」をウリにしていたのであった。

 莫大な予算をかけて今の時代に合わせて完全リニューアルするよりも、くたびれつつある「古さ」を逆に「価値」に変えてウリにしたほうが、経費は圧倒的に少なくて済む。

 どこかの役場に教えてやりたいくらいの逆転の発想だ。
 うーむ、さすが老舗、明治23年創業も伊達ではない……。

 ともかく、平成生まれのキャピキャピギャル(死語?)でもない我々世代以上の方々ならば、今出来の真新しい「古風な」旅館よりも、ある意味よっぽどノスタルジィに浸れる宿であるのは間違いない。
 付け加えるなら、車を使って東北自動車道郡山経由で来るよりも、会津鉄道でたどり着けば、さらに効果がアップすることだろう。