H鶴ヶ城〜ああ、会津藩〜(3月9日)
なんとか時間どおりに喜多方駅に戻ってきた我々は、再び電車に乗り、会津若松駅を目指した。 会津に来る前から、うちの奥さんお気に入りのキャラなのだ。
鶴ヶ城に行くなら西若松駅が最も近い。 会津盆地は広い。 鶴ヶ城。 加藤嘉明といえば、はて、どこかで見た覚えが……。 ここ鶴ヶ城公園では、この天守閣が博物館代わりになっていて、最上階の展望フロアまでの各階に、会津藩と会津の歴史にまつわる様々なものが展示されている。 さて、入場料500円を払ってこの天守閣に入ってみると…… さすがというかやはりというか、現在放送中の NHK大河ドラマ「天地人」にちなんだ展示が、今年の旬のようだった。3月現在の「天地人」では越後にいる上杉氏は、やがて秀吉によって会津に置かれることになる。 そしてこの地にあって、家康を迎え撃とうとするのが直江兼続なのである(石田三成の動きに呼応してという説もある)。 ま、上杉家は2年そこそこで米沢に行ってしまうし、そもそも上杉氏が会津に入ったときにすでにあった若松城はもっと小さいお城で、別の場所に巨大城郭を築こうとしていたくらいだから、この鶴ヶ城とはあまり縁が無いんだけど…… 余談ながら、「なせばなる なさねばならぬ なにごとも ならぬはひとの なさぬなりけり」という有名な言葉を残した人は、米沢に移封された上杉氏の9代目の藩主上杉鷹山。ケネディ大統領やクリントン大統領が、最も尊敬する日本の政治家として名前をあげた人である(クリントンの場合ははケネディのパクリと思うけど…)。 とにかく、そんなテレビの流行り廃りに関係なく、会津がここを訪れる人々に見てもらうべきは、やはり圧倒的に幕末の歴史でなければならない。 2ページ目で書いた僕の拙い会津幕末史の主人公、松平容保とはこの人である。 松平容保といえばこの写真、というくらい有名な写真だから、ご存知の方も多いだろう。京都守護職時代に撮影されている。 鶴ヶ城は、この容保の居城だ。 会津盆地は広く、雛を抱える親鳥のように、山々が優しく盆地を囲んでいる。 幕末当時、ここで暮らす者たちにとっての京都なんて、あまりに世界が違いすぎる。大してよく思わないことには「よろしおすなぁ」といい、ご飯をおかわりしたいときにはわざとらしく茶碗を裏返して「どこの焼き物どす?」などという京の都人を相手に、こんな雄大な自然に抱かれて育った人々が丁々発止と立ち回れるはずがない。 展望フロアの天井には、その方向に見える景色の説明が描かれてあって、磐梯山の方角の小さな丘に、有名な山の名が記されていた。 飯盛山だ。 この会津若松ではまず真っ先に鶴ヶ城に来てみたかった僕には、それに加えてもうひとつ希望があった。 飯盛山から鶴ヶ城を見てみたい……。 うちの奥さんにも出発前からそう伝えてあって、彼女はその点僕の趣味に付きあってくれるので、快く了承してくれていた…… ……のだが。 「だからダンナは飯盛山から鶴ヶ城を見てみたいって言ってたのかぁ!」 え゛ッ!? なにはともあれ、理由をわかってもらえたのは鶴ヶ城天守閣の展示物のおかげである……。 というわけで、このあと我々は飯盛山を目指した。 |