さあ、いよいよ喜多方ラーメンへの道だ。
冒頭で触れたとおり、学生時代に喜多方出身のヤツがいたので、喜多方ラーメンというものがこの世にあることを知る遥か以前から、僕は喜多方という地名を知っていた。
件の友人は、福島県立喜多方高校で野球部だったのだが、何を血迷ったのか彼は琉球大学理学部海洋学科に入学し、ダイビングクラブに入った。
学科でもクラブでも、日本全国津々浦々から来ている人たちばかりだったから(僕が入学した海洋学科なんて、同級生45名のうち、沖縄県民は11名しかいなかった)、互いの出身地を知るというのは、かなり最初の段階での会話だった。東京あたりの大学では、出会ったばかりの頃に出身地の話ってします??
で、いろんな人の出身地のなかの喜多方である。
横浜とか札幌とか鹿児島とかだったら、どんなに遠くても、その後の人生でもしかしたら一度は足を運ぶこともあるだろうって気もするけれど、喜多方と聞いたそのとき、まさかその後に自分が訪れることになろうとは夢にも思わなかった。
それほど、僕の中では福島県の会津地方というのは僻遠の地だったのだ。
そして実際、遠かった……。
だって、湯野上温泉駅の時刻表がこれ。
※記事中に赤文字が書かれている便はこの季節は動いてない。
喜多方駅ではこれ。
特定の列車についての時刻表ではなく、どちらも一日のすべてですぜ。
しかも会津鉄道が JR磐越西線に乗り入れる形になっているのは便利なんだけど(同じ路線なのに、JRの駅になる西若松駅から造りがやたらと豪華になるのが笑えた)、我々が乗った10時15分湯野上温泉駅発の普通列車は会津若松駅止まりなので、そこからまた乗り換えて喜多方駅まで行くことになるのだ。
遠い。
ま、そのあたりはツアコンマサエ略してコンマサがちゃんと時刻表をチェックしているので、乗り換え時間も5分そこそこというスムーズさで、僕はただただ言われた時間に間に合わせればいいだけだった。
ただ、なにぶん列車の本数が少なすぎる。このあと再び湯野上温泉に戻ることを考えると、喜多方、会津若松それぞれの滞在時間がものすごく限定されることになる。
丸一日ある中日だから時間がないわけじゃないのに時間に追われるのは悔しい。けど、こればかりは仕方がない。
そのあたりのこともコンマサはちゃんとチェックしていた。いわく、
喜多方にいられる時間は1時間20分。
会津若松には3時間。
この制限時間内ですべてをこなさなければならないのだ。日帰りで水納島にお越しになる方々の気持ちが少し味わえた。
ただし問題が。
喜多方での最大にして唯一の目的であるラーメンを食べるのに要する時間は、どれほど特盛りであろうとも30分もあればお釣りが来る。友人が勧めてくれたいくつかの店も、駅からそれほど遠くはない範囲にあるようなので、往復に時間をとられることもないだろう。
が。
店が混んでいたら??
それどころか、休みだったら??
不安材料を抱えつつ、湯野上温泉駅発会津若松行きの列車……いや、単車に乗った。
※会津若松駅にて撮影
だって、一両なんだもの……。
なんで野口英世車両なのかというと、彼の生家が猪苗代湖近くで、彼は青春時代を会津若松で過ごしたからである。その後故郷を離れて幾久しい息子にひと目会いたいと願うあまり、文盲の母シカが苦心して書いた超有名な手紙を、そのままデザインして描いている車両もあった。
猫駅長で有名な芦ノ牧温泉を過ぎ、トンネルをいくつか越えるといつしか窓外は会津盆地の景色に。深い山間だった湯野上温泉あたりと違い、会津盆地はなるほど盆地といえば盆地なのだろうけれど、とにかく広い。そして遠く四方を気高い山々が囲んでいる。
東に見えるのが有名な磐梯山だ。
〜♪会津磐梯山はぁ……
……そこしか知らない。
それにつけてもこの山々の見事さはどうだ。
湯野上温泉でも山々はたしかに厳かだったけれど、会津盆地を包む周囲の山々は、遥かに遠く、遥かに高い。凡百の徒に過ぎない僕が眺めても、ナニゴトのおわしますやは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる……思いがするほどである。< BY 西行
西若松駅あたりで、その磐梯山を背後にしてお城が見えた。
矢印の先がお城
鶴ヶ城だ!!
会津藩のお城である。会津藩士たちはみな、この風景を見て育ったのだ。
こういうところだからこそ、保科正之の残した家訓が300年もの間行き続けたのだろうなぁ。
列車に乗っていた人たちの多くは、七日町駅で降りた。地図を見てみると、会津若松駅よりも七日町駅のほうが、会津若松市の中心に近い。
我々は会津若松駅で JR磐越西線に乗り換える。
この間、すべて4日間有効のフリーパス券を購入していたので、いちいち切符を買わなくて済んだのはよかった。コンマサもなかなかやるのである。
ところでこのJR磐越西線、シーズン中にはなんとSL機関車が会津若松〜新潟の区間で運行しているという。
C57形式のSLは、かつて201両も量産された「高性能マシン」で、磐越西線を走るのは180号機だという。
だからといってこの180号機が、SL時代終焉後ずっと走り続けていたわけではなく、様々な支援団体の保存活動を受けながら小学校の校庭でずっと保存されていたおかげで、動態復帰可能と判断され、現在の「SLばんえつ物語」号の活躍に至っているのだ。
キチンと残しておけばいつかは価値観が変わり、新たな価値へと生まれ変わるというのは、町の景観だけの話ではないようだ。
この神々の山を縫って走るSL列車………。
想像するだけで美しい。
石炭を動力にして走る機関車なんて、地球温暖化がどうのこうの……という人もこのエコエコアザラク教社会にはいるかもしれないけれど、SLのスピードでモノゴトが動いていることに満足する社会であれば、世の中にCO2など溢れたりはしない。
我々も是非SL体験をしてみたいところではあるものの、残念ながらこの季節には望むべくもなく、普通の車両である。
普通とはいえ、山手線とは一味違う。
ま、かつて東北行の際には、電車にドアの開閉ボタンがついていることにドギマギした我々だったが、すでにそのあたりは SUICAと同じくらい常識として認識している。車内にバスのような運賃ボックスがあってももう驚かないのである。フフフ。
やがて電車は発進した。
喜多方駅は会津若松から6つ目の駅だった。
さすが蔵の町といわれる喜多方の駅、駅舎も蔵風だ。
……などとのんびり駅舎を撮っている場合ではない(上の写真は帰りに撮った)。なにしろ我々に許された滞在時間は1時間20分なのだ。すでに列車到着から5分は過ぎている。
時刻表に基づいた鉄道手配はすべてコンマサがやってくれたが、着いてからのことは喜多方行を希望した僕にすべて委ねられていた。
なので、迷わずタクシーを。
距離的にも普段なら歩いていくところながら、実はもう一つ目的地があったので、そのためにはラーメンにたどり着くまでの時間は極力短縮したかった。
はたして喜多方駅前にタクシーは止まっているか??
西部池袋線元加治駅とは一味違い、ズラリとタクシーが並んでいる。さすが観光地。
迷わず小型タクシーを選び、乗り込むと同時に
あべ食堂までお願いします!
住所も何も知らなかったのだが、さすが喜多方ラーメンの本場喜多方、店の名前だけで OKだった。
ここ喜多方出身の友人に教えてもらったという話をすると、運ちゃんは
「私もラーメンっていったらそこしか行かないよ。先代ン時のほうがもっとよかったけどね」
おお、地元出身者にくわえ、地元のタクシーの運ちゃん御用達。
これははずすはずがない。
湯野上温泉でもそうだったけど、このタクシーの運ちゃんの言葉が素晴らしい。コッテコテの会津弁が妙に懐かしかった。
というのも、学生時代、件の友人は通常はほぼ東京言葉を使っていたのだけれど(他者に伝わらないから)、時にはわざと会津言葉も口にすることがあって、運ちゃんが話すイントネーションがまったくそれと同じだったのだ。
言葉が地方ごとに違うというのは、日本の素晴らしい財産だ。
本来歩いていけるほどの距離をタクシーで行ったわけだから、お店にはすぐ着いた。ふれあい通りを右に入った緑町にそのお店はあった。
あべ食堂!!
夢にまで見た喜多方ラーメンの店が、今、目の前に!!
時刻は11時半。はたして店内の混み具合は??
空いてた!!
混みあうのはやはり12時過ぎかららしい。
さっそくビールを頼むと、驚いたことにここでもやはりお通しが。
それも、チャーシューとキャベツの千切りにソースという、それだけで充分つまみになるでしょうというべきお通し。たしかにチャーシューもキャベツの千切りも、メニューにある料理に使うとはいえ(メニューには、餃子はないのにソースカツ丼はある)、これをサービスで出すだなんて。
やはり会津はお通しカメーカメー文化であるに違いない。
そして僕はチャーシュー麺、うちの奥さんは中華そばを頼んだ。
面白いことに、メニューにはちゃんと「中華そば」と書かれてあるんだけど、そのとおりに頼むと、食堂のおねーさんは厨房に
「ラーメン一丁!!」
という。名称にあまりこだわりはないようである。
そしていよいよ、待ちに待った喜多方ラーメン!!
チャーシュー麺 中華そば
そうそう、このチャーシューで麺が見えないのが喜多方ラーメンのチャーシュー麺だった!!
ま、具はともかく、なんといっても太縮れ麺。知っていたはずなのに一口すすったうちの奥さんは、思わず目を見開いた。
「沖縄ソバみたい!!」
麺の食感に意表をつかれたらしい。太いといって驚いている。見りゃわかるだろ?というのは、この人の場合には通用しない。
この太縮れ麺に醤油だしが絶妙にからみついて美味しいのなんの。
実はここのところすっかりラーメンづいていて、醤油だしの美味しさがつくづく身に染みている。ラーメンといえばとんこつ!!とかつて固く信じていた僕は、今しみじみと醤油だしの奥深さに感動している。
この喜多方ラーメンは、そういう意味では決定的なダメ押しとなった。
僕は今後、醤油ラーメンの道を行く。もちろんチャーシュー麺で♪
そうこうするうちに、続々とお客さんが来店してきた。
観光客っぽい人が多いところをみると、やはり何かの本にはフツーに載っているのかもしれない。でも運ちゃんは言っていた。
「美味しいところもたくさんあるけど、カップ麺食べたほうがいいってくらいのとこもけっこうあるよ」
知らずに来てカップ麺以下に当たるよりは、こうして美味しい店を地元の人に紹介してもらったほうが、喜多方ラーメン自身もきっと喜んでくれるに違いない。
ラーメンについてウンチクを熱く語れるほどの知識も経験もないけれど、これだけははっきり言える。
喜多方ラーメンは、喜多方で食べてこそ!!
都心で食べて満足している場合ではない。みなさん、すぐに喜多方へ GO!!
さてさて、お腹も店も一杯になったことだし、そろそろ出るとするか。
もう一つの目的地を目指さねばならない。
その目的地のため、結局、喜多方駅からあべ食堂へ行くよりも遥かに長い道のりを歩いて駅まで帰ることになったのだけれど、メインストリートが南北に貫かれた喜多方の町は、実は酒どころでもあった。
酒造所だらけなのだ。
通りにはこういう場所もある。
酒造に使っている名水を表で試飲できるようになっているのだ。
ああ、水だけではなく、酒造所という酒造所を巡って試飲しまくりたい………。
蔵も酒造所も素晴らしい喜多方だけれど、時間のせいでどれも味わえなかった僕にとって、ラーメン以外で最も印象深かったのが、喜多方の町の背後で神々しいほどの稜線を見せている連山の姿だった。
飯豊連山になるのだろうか。山形県や新潟県との県境をなすかつての「国境の山脈」が、雪を戴いて美しく鎮座している。
美しい山々を見てふと思った。
こういう景色を毎日見て育つ子供たちと、青い海を毎日見て育つ子供たちとが、同じ精神構造で育っていくとはとても思えない。そこに優劣などもちろんあるはずはないけれど、間違いなく「違い」はあるはずだ。
少なくとも僕だったら、毎日青い海を見ていて「勉強しなきゃッ!!」とは絶対に思わない。逆に、この神々しい山々を見ていたら、それらに対して恥ずかしいことはできないというか、何か己を高めなければならないような気になるような気がする。
我が身を照らし出すお天道様がふたつあるようなものだ。
学校教育は、単に全国共通テストの点数による違いなんかじゃなく、そういった大いなる環境の違いをも加味したものであってほしいと切に願う。
ところで、喜多方ラーメン以外の僕の喜多方での目的地とはいったいどこだったのかというと……
ここだ!!
福島県立喜多方高校。
件の友人の出身校である。
彼はこんな荘厳な山々の世界で少年時代を過ごし、海の世界へやってきたのだ。>そして今はビルの世界にいる………。
それにしても、うちの奥さんの出身校にすら行ったことがないというのに、なぜにわざわざ友人の高校に…って言われそうだけど、だって、何度も言うようだけど、学生のときにこの高校の名を彼から聞いたとき、まさか自分がその校門前に立つ日がやって来ようなんて、1ミリの可能性も想像しなかったんだもの。
そういうかつての「ありえない」を実現するってのも、それはそれで面白いのである。
後日、ラーメン屋を教えてくれたお礼かたがた、ここに立ち寄ったことをその友人に伝えると、
「23年前に、同じ場所で野球部仲間と写真撮った気がする。。。なつかしぃー!」
とのことだった。
23年前の彼も、まさかその後に出会う埼玉と大阪生まれの友人夫婦が、ラーメンを食べにこの地を訪れ、この校門前で写真を撮ろうとは夢にも思わなかったことだろう。
正門かどうか自信がなかったところへ、平日午後なのに自転車に乗った学生服の兄ちゃんが登校してきた。ここが正門ですかと尋ねてみると、やや戸惑いながらも彼は「ハイ」と答えてくれた。
彼は20年後、どこで何をしているだろう?
四方が青い海の世界にいたりして。
ひょっとしたら、今は九州の果てにいるかもしれない彼の未来の友人が、ラーメンを食べるついでにここを訪れるかもしれない。 |