15・福江島ドライブ・1〜崩れ去るプランA〜
8時になったので、池田レンタカーさんを訪ねた。
五島のレンタカー業界は、電気自動車の貸し出しも精力的に展開している。 五島はその立地条件の関係でガソリンの価格が高いのに対し、電気自動車の充電は定められたいくつかの場所なら無料ということもあって、リーズナブルという利点もあるようだ。
ただ、急速充電であっても約30分かかって80パーセント程度の充電、というところがいささかネックになっている。 走らせている間にエネルギー残量を気にしてハラハラドキドキするのも避けたいし、それだったら充電設備よりもはるかに多いガソリンスタンドを利用できるガソリン車のほうが圧倒的に便利だ。 というわけで、今回我々がレンタルすることにしたのはこの車。
スズキの「Kei」。 普段本島で乗っているプチプチトマト号がホンダのライフだから、車種もメーカーも違っていても、居住性にはほとんど違和感がない。 ちなみに、さも運転手のように車と一緒に写っているオタマサが、2泊3日でレンタルしていた期間中、1ミリも運転していないのは言うまでもない。
さて、当初からレンタカーを利用するつもりでいたこの日は、あいにくの天気になる予報。 もっとも、数日前からそのような予報だったので、この日は特に景勝地を目指すこともなく、とりあえず徒歩ではたどり着けない場所を車でウロウロしてみようという程度のおぼろげな予定にしていた。 池田レンタカーのお母さんから五島の地元の方々のおおらかな運転の仕方を注意事項的にお聞きし、それが本部半島周辺のジモピードライバーとほとんど変わらぬ様子であることを知ってかえって安心した。 福江島は全体的には幹線道路が錯綜しているわけではないから、おおよその見当で走らせていても道に迷うことはまずなさそう。 ざっとこんな感じ。
ただし街中のディテールとなると話は別で、レンタカー利用者の場合、車を借りてからまず市街地を抜けるのに戸惑うこともあるらしい。 その点我々は、福江市街なら相当歩き回ったおかげで、周辺へと続く各幹線道路に出る道順も、かつて知ったる土地のごとくになっている。 この日朝は、まず県道162号線を北上してみることにした。
歩いている間はずっと市街地だった福江地域も、ちょっと車を走らせるだけで、すぐさま自然あふれる山地と海辺の風景になる。 カーナビの使用方法などまったくわからないものの、現在地が勝手に表示されているので、とりあえず現在地がどこなのかくらいはすぐさまわかる。 ほどなく道路沿いに、うっかりすると見過ごしてしまいそうなほどささやかに、「六方ビーチ」という案内があった。 徒歩圏内を大きく逸脱して動き回れるとなると、どこまでもどこにでも行けそうな気分になっているので、目的も無いままに無闇に立ち寄ってしまいたくなる。 なのでここに来るまでその名すら知らなかった六方ビーチを訪ねてみることにし、県道をはずれて脇道に侵入。 するとそこには、なにやらアヤシゲな平家落ち武者伝説的いわくつきの井戸やら祠やらの案内看板が。
たしか五島藩の藩主五島氏はもと宇久姓で、さらに祖をたどると、五島列島に上陸した平家盛であるという史実まがいの伝説があるそうだから、まんざら荒唐無稽な史跡というわけでもないのだろう。 ことの真偽はともかく、↓このような標識があるとちょっと見てみたくもなる。
そこで、矢印が示す場所へ行ってみた。
思いのほか大きな規模で、石垣が円を形作っていた。 伝説では、壇ノ浦の敗戦後にこちらに逃れてきた平家の方々は、源氏の追手接近という誤報を信じてしまい、この地で自刃して果てたのだとか。 そんな人々が葬られた塚も付近にあるらしい。
そういう悲劇がある一方で、なぜに宇久島に流れ着いた家盛はその後五島の領主となれたのか、いささか不思議ではある。 この六方の集落は、福江市街にかなり近いところながらそうとうの僻地的様相で、こじんまりとこしらえられている船着き場がかなり味のある佇まいだった。
小船一隻ごとに、小さな石垣で造られた堤でセパレートされているのだ。 深い入り江なので、外海は時化ていても船着き場にはさざ波程度しか立っておらず、こうして浮かべっ放しにしていてもなんの心配もないのだろう。 凄まじいばかりの寒村とばかり思っていたら、船の管理に関しては水納島の百倍は便利そう………。 この船着き場の先にあるのが、六方ビーチだ。
こういうお天気のもとではなかなかイメージが湧かないけれど、聞くところによると、福江市街に近いこともあって、夏場にはわりと近隣の方々でにぎわう海水浴場なのだとか。 砂浜を間近で観てみると……
わりと原形を留めた色とりどりの多様な貝殻が多いことに気づく。
水納島でも観られる貝殻があれば、いかにも本土の海的な貝殻もある。 この海辺のちょっとした崖の上に、祠のようなものがあった。
何が祀られているのだろう? 拡大してみると……
主の正体はわからないけど、供えられているのはやはり造花なのだった。
なにげに奥深い歴史がありそうな六方。 すると、沿道に突如満開の桜並木が現れた。
え? …と一瞬うろたえかけたものの、どうやらこれは河津桜のようだ。
並木はここだけじゃなく、断続的にこの先ずっと県道沿いに観られたから、緋寒桜以外の桜に飢えていた我々にとっては、久しぶりに味わう本土の桜がとっても素敵な目の保養になった。 こんだけ満開なら、もっと地元で話題になっていてもおかしくないのに…… あ。 今は五島椿まつりの真っ最中。 そんな時期にどんなに満開を誇ろうとも、梅も桜も完全に脇役にしかなれないのである。 花の時期が微妙にずれていれば、主役になれたろうになぁ、河津桜。 この県道162号は、福江島を1日で観光しようという方にとっては完全に脇道になるようなのだけど、もう少し先に五島で最初に建てられたという堂崎天主堂があるから、教会めぐりをする方々は必ず通る道でもあるはず。 でも我々が訪れてみたかったのは堂崎天主堂ではなくて、こちら。
県道162号からお隣の久賀島が見える方向へ続く道の先にある、樫ノ浦という集落に鎮座まします巨大なアコウの木。 アコウというのは沖縄でキジムナーが住まうガジュマルのかなり近い親戚で、もともと熱帯性の樹木だから沖縄でも観られる木ではあるらしい。
ただ、恥ずかしながらこのテの樹はすべてガジュマルだと思い込んだままこれまで生きてきたため、沖縄でアコウの木を認識したことがなかった。 ここ五島市福江島では、そんなアコウの大木がとても大切にされているようで、とりわけ福江島3大アコウはそれぞれ名所になっているという。
そのなかでも最大級なのが、ここ樫ノ浦のアコウだ。
なるほどたしかに巨大だ。
事前に調べていた際に目にした巨大アコウの写真の中には葉をすべて落としているものもあったので、我々が訪れているこの時期も冬枯れの季節かも…と覚悟していた。
冬枯れ皆無の沖縄ほどではないにしろ、さすが対馬海流が育む南国五島列島、冬でも草木が枯れきらない風土なのである。
樫ノ浦は立派な港がある漁村ながら、県道162号からは狭い狭い山道で繋がっているのみなので、また山道をクネクネと走らせて再び県道に戻り、天然の良港だらけの深い入り江をいくつも通過していく。
そんな海沿いの道を走らせている間に、スルーし難い場所に差し掛かる。 聞くところによると、滝の落ちる音が「ドン、ドン」と太鼓をたたくような重低音を響かせるためにこの名があるそうで、滝壺の淵は夏ともなれば多くの家族連れでにぎわうらしい。 駐車場から5分ほど歩けば滝にたどり着くということだから、沖縄本島北部の比地大滝のように駐車場からさんざん歩かなければならないわけでもなさそう。 というわけで、ただでさえ狭い県道から、軽自動車にはやや酷な未舗装の山道へと侵入し、駐車場に到着。 そこにはご丁寧にもこういう看板が。
5分ほど…というわりには、これがまたちょっと歩き始めただけで道がわからなくなりそうなケモノ道状態。 そうこうするうちに、件の滝にたどり着いた。
おお、これが五島最大の滝!! でも対人比にしてみると……
遠近の比率を差し引いても、さほど「巨大」というわけではないことがおわかりいただけよう。 そこで動画でも撮ってみたところ、動画には「ドンドン…」は入っていなかった。 ひょっとしてこれは……スピリチュアルなもの??? 沖縄本島国頭村にある大石林山なら、すかさずパワースポット認定することだろう。 ドンドン…の正体は不明ながら、水量豊富な福江島のこと、この滝も枯渇することはいっさいなく、たえずドンドンドンドンと流れ落ち続けているという。 この場だけを見れば高槻の摂津峡のような雰囲気だけど、摂津峡がかなり限られた範囲だけが渓流、渓谷の環境なのに対し、こちらはこの先もこのあともずっとこのような山深い渓流だから、育まれている生命の量はケタ違いであろうことは想像に難くない。 しばし滝を眺めてマイナスイオンをたっぷり吸収していると、ポツリポツリと空から雨粒が落ちてきた。 わざわざ滝からマイナスイオンを浴びずとも、このあとたっぷりと空から得ることができるのであった……。
ドンドン渕から再び県道に戻り、深く入り組んだ入り江沿いに続く道を走らせていると、やがて国道384号に合流した。
まず岐宿に立ち寄ってみると、カーナビの地図に浜田海水浴場という文字が見えてきた。
小ぶりな海水浴場で、砂浜の周囲はいわゆる親水護岸的な階段状の人工物で囲ってある。 なのでてっきり人工ビーチなのかと思いきや、特にここが人工ビーチであるという説明はその後も目にしていない。 となると、この砂浜の波打ち際にラインを引くように集積しているこれらの貝も、このあたりの天然ものなのだろうか。
先ほどの六方ビーチとはまったく異なり、ピンク色の貝殻がやけに目立っている。 いずれにしろ、他に誰もいないというのは清々しく心地よいとはいっても、雨天の真冬に訪れるべき場所ではなさそうだ。 ちなみにこのあたりは、市町村合併で五島市になる以前は岐宿町だったところで、魚津ヶ崎(と書いてギョウガサキと読む)という土地が歴史的に名が通っているらしい。 というのも、いよいよ唐に向けて舵を切る遣唐使船が最後に立ち寄るここ五島列島、その寄港地が魚津ヶ崎だったそうなのである。 たしかに、深くジグザグに入り組んだ入り江は天然の良港そのもので、これならどんな風浪をも凌げたことだろう。 なにしろこのあたりで吹く風といえば、海岸植物がこんな姿で育ってしまうほど。
季節風でこんなになるくらいだから、ひとたび時化ればとんでもないことになるのだろう。
そんな岐宿地区をあとにし、三井楽方面へと進む。
ついに発見、五島牛!! 五島牛五島牛ともてはやされるようになって久しいようなのに、そのわりには大々的に牛を飼っている牧場は目につかず、結局3日間レンタカーを走らせていた間、ここのほかに2か所くらいで牛小屋を目にした程度にすぎない。 だからこの時に至るまでも、五島牛ってどこにいるんだろう?と思っていただけに、突如現れた牛さんたちの姿は、ひところ流行ったポケモンGO!のレアもの級だった(やったことないけど)。 ちなみに後日飲み屋で伺った話によれば、ブランドとしての狭義の五島牛というのは、未産の牝牛にのみ与えられる称号だそうで、五島で育った黒毛和牛がすなわち五島牛ということではないらしい(真偽のほどは不明)。 そのあと国道384号をはずれて三井楽半島をグルリとめぐり、再び384号に合流して玉之浦方面を目指す。 我々が目指す先は、この日唯一といってもいい最初からの目的地、荒川温泉だ。 現在の福江島にはいくつかある温泉のうち、荒川温泉は最古だそうで、他がすべて現代になってからの温泉施設であるのに対し、荒川温泉は江戸の昔から人々に利用されていたという(現在利用されている温泉源の発見は大正時代とのこと)。 玉之浦は福江市街から見ると福江島の真反対側になり、往時はそれこそひしめき合うほどに漁船がつらなる一大漁業基地だったそうなのだけど、時代とともに漁業が寂びれていくにつれ、隆盛を極めた漁村もそれぞれ、田舎の鄙びた漁村へと変貌を遂げてしまったらしい。
だから、往時は多くの漁師を対象にした一大歓楽温泉街だった荒川も、時代に取り残されつつある寂びれた漁村になりかけている。 そういう次第だから、福江市街のように飲食店が選り取り見取りというわけにはいかず、荒川、玉之浦周辺で食事処を探すのはかなりキビシイものがある。 でも、そんな荒川にあってその名の通り燦然と輝いているのが、お食事処「さんさん」。
なのでこの日は、昼時に温泉に浸かり、さんさんでランチ、という黄金コースを設定していた我々である。
というわけで、やけにトンネルが多い福江島西海岸の道を南下し、到着しました荒川温泉。 ところが。 定休日なのだった。 下調べしたあらゆるネット情報では、定休日は記されていなかったのだけど、店の入り口にはしっかりと水曜定休の札が……。 またやっちまったぜ……。 この日唯一の事前に設定してあったプランは脆くも崩れ去り、さすがに温泉にだけ入ってその後食事処を求めて彷徨うというのも侘しいものがあるから、すごすごと荒川温泉を諦めた。 お昼時を迎えたこの時、何をさておいても重要なのは食事処である。 そうはいっても唯一の選択肢だった食堂にフラれてしまっては、この近辺にいるかぎり飢えて倒れるほかない。 さあてどうしよう?
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