16・福江島ドライブ・2〜雨中のプランB〜
荒川温泉からさらに先、玉之浦漁港方面に行けば、また一軒名の知れた食事処があることは知っていた。 しかしさらに先まで行って、そこがまた定休日や臨時休業だったらいよいよ取り返しがつかなくなる。 というわけで、ここはひとまず来た道を引き返し、先にその所在を確認してあったお店に寄ってみることにした。 三井楽半島の付け根付近にある、その名も「軽食弁天」。
母屋である釣具屋に、文字どおりとってつけたように併設されている店舗だ。 目の前には道路を挟んで遠浅の海岸が広がっており、おりからの強い南風に吹きつけられている。 夏ともなれば涼しげなオープンカフェ風になるのだろうけど、さすがに冬場は屋内オンリーのようだ。 地元の方の姿も見える店内は沖縄でいうところのパーラーのようで、食事メニューのほかに肴メニューも用意されている。
ドライブや海水浴で訪れる観光客だけを相手にしているわけではなく、気軽に食事、もしくは軽く一杯ひっかけにくる地元の方々も重要な客層になっているのかもしれない。 そのあたり、水納島の夏の夕方のパーラー・ティーダを想像するとイメージを掴みやすい。 食事メニューで興味深かったのが、五島うどんとは別に「うどん」も用意されているところ。
観光客がまさかここで「うどん」を選ぶとは思えないけれど、地元の方々には「うどん」という選択肢があるというのは意外だった。 でも考えてみると、讃岐の方々だってときには素麺も冷麦も食べるだろうし(食べませんか?)、五島の方々だってたまには太いうどんを食べたくなるのだろう。 そんな三井楽のパーラー・ティーダこと弁天さんでオタマサは…
もちろん昼ビール。 ドライバーであるがためにアルコールを摂取するわけにはいかないワタシのガマンに対する遠慮は微塵……くらいはあったかもしれないけれど、当然ながら躊躇はない。 メニューにあった生ビールはどうやら夏場限定のようで、この季節は瓶ビールのみ。 なんとも気の利いたことにビールにはサービスでお通しがついていて、妙に家庭的な懐かしい味がするホウレンソウとエノキ茸を炊いたもの。
かつて訪れた福島でもそうだったように、有難いことに日本の地方には、お通しをタダで饗する慣習がある。 そしてなにげに魅惑的なメニューが並ぶ酒のアテから、ひとつ選んだのがこちら。
キビナ(ゴ)のから揚げ@450円。 想像どおり、「ここはもちろんビールでしょう!!」という味だった……。 メインディッシュはもちろんこちら。
五島うどん@500円。 生シイタケに昆布、揚げ、竹輪に揚げ玉などなど、それぞれことさらスペシャルな具ではないにせよ、なにしろたった500円でこの量、そしてこんなに具だくさんでいいんでしょうか的な陣容だ。 オタマサもゴキゲンである。
ま、ビールを飲みながら五島うどんを食えりゃあ、そりゃゴキゲンにもなるだろう。 ワタシは黙ってお茶をすするのであった。
……と書くといかにもガマンしている雰囲気に思われるかもしれない。 旅行といえば昼から酒だ、と固く信じていたこれまでの人生はいったいなんだったのだ。 同じく台風休みのときはランチビールだ!と固く信じて生きてきたけど、ひょっとして飲まなくても平気かも?? プランAの崩壊で一時は空腹のあまり絶望の淵に立たされかけた我々だったのに、腹もくちると心も穏やかになり、路傍の花を愛でる気持ちも芽生えてくる。 弁天さんの駐車場の傍らで特に印象的だったのがこの花。
水納島でもよく似た花を見かけるような気も……とオボロゲに思っていたら、オタマサは唐突に 「シチリアで観た花に似ている!」
と言いだした。 ……と思いながら過日シチリアで撮った写真をたしかめてみたら、
タオルミーナのイゾラ・ベッラに降りていく階段の傍らで撮った花の写真を見てビックリ。 どちらの花も、そもそも自生しているものなのか園芸用のものが野生化したのか由来は不明ながら、五島とシチリア、言われてみればなんとなく似たところがある気候風土、同じ花が育っていても不思議ではないのかもしれない。
調べてみると、この花はオオキバナカタバミというカタバミの一種で、南アフリカ原産の帰化植物らしい。 在来の春の草花の棲息を脅かす存在になりつつあるようなので、シチリアで観たのと同じ花だ!なんて喜んでいる場合ではなかったかも……。 さて、満腹になって穏やかになった心で思いついた次なる作戦は、デザートを食べよう計画。 この弁天さんからほど近いところにある遣唐使ふるさと館という、ようするに税金投入型施設道の駅で、五島牛乳のソフトクリームを売っているパーラーがあるというのだ。 その昔八丈島で食べたことがある牧場直行系ソフトクリームも美味かったし、今帰仁村のおっぱ牛乳直営おっぱソフトクリームも大好きなワタシだから、五島牛乳でできているというソフトクリームなんていったら、脳内スイーツ中枢直撃系の味に違いない。 と、心をウキウキさせながら遣唐使ふるさと館に来てみると……
ソフトクリームの「ソ」の字も無い。 夏に比べれば観光客が激減する冬の五島のこと、待てど暮らせど訪れる人とてないほどに閑散としている道の駅で、屋外パーラーを出しているほどソフトクリーム屋さんもヒマではないということか。 冬に食べるソフトクリームがまた格別! という方向で売り出せば、冬でもわりと食べに来る人がいると思うんだけどなぁ……。 ……なんてエラソーなことを、オフシーズンになると飲食店のひとつもなくなる島の住人には言えた義理ではないんですけどね。 それにしても素朴な田舎道にやや唐突に思えるほど遣唐使ふるさと館、その見事なまでのハコモノぶりはともかく、その名と周辺観光情報を見て初めて遣唐使と五島列島との深い関わりを知った、という方もきっと多いことだろう(少なくとも我々は、五島旅行を企図するまでまったく知りませんでした……汗)。 「五島=遣唐使」であるかのような観光情報だけを見ると、まるで当時の五島に居た人々が唐に使いを出していたかと誤解してしまいそうになるけれど、もちろんのことそんなわけではなく、あくまでも当時の日本政府が送り出した使節の船団にとって、この五島列島、とりわけ福江島のこのあたりが重要な寄港地だったという縁である。 遣隋使の時代から、大陸を目指す日本の使節船団のルートは、福岡博多を過ぎた後は壱岐、対馬、そして朝鮮半島沿岸経由で大陸を目指すもので、海難を最小限に抑えるべき航路だった。 ところがその後、当時の国際情勢は俄に風雲急を告げ始め、ついに日本・百済連合軍対唐・新羅連合軍の戦いの火ぶたが切って落とされた。 そして有名な白村江の戦いで大敗北を喫した日本は、国際情勢にも起因する国内事変などもあった関係で、唐への遣使自体も長らく中断する。 それでも、唐との関係は修復しようという政権になった日本は、そのための遣使として遣唐使を再開し、以後再び恒常化する。 ただしその後唐とも対立して朝鮮半島を治めた新羅との関係は悪化したままなので、従来の海難回避最適ルートである「朝鮮半島に身を寄せるコース」を船団が航行するわけにはいかない。 そこで試行錯誤が繰り返されたあとにようやく確立したのが、五島経由ルートなのだという。 五島は良港が多いうえに水が豊富なこともあって、船団が立ち寄って飲料水を補給するには最適で、そこから意を決して真西に進み、大陸に到達するという航路が選ばれたのだそうだ。 わかりやすく地図で見るとこういう感じらしい。
これを見ると、一定期間は沖縄も無縁ではなかったらしいことがわかる。 ちなみに、奈良の唐招提寺の鑑真さんが、何度目かのチャレンジの果てにようやく日本にやってきたのはこの赤航路時代のことで、その航海の途中、彼は沖縄本島にもひと月弱ほど滞在しているそうな。
この図の青線にあたる五島経由ルートが確立した状態で遣唐使が派遣されたのは773年から838年。 ただ、そのわずかな回数の中に、空海と最澄がともに乗り合わせていたという、各主人公総登場の水島新司野球マンガのような話は、現在の観光地五島にとってとても大切な歴史的事実である。 なので五島市の観光情報的には「五島=遣唐使=空海」という様相になっており、空海に由来する観光地は多く(最澄の名はなぜかわずかしか出てこない)、うどんは空海が唐から五島経由で日本にもたらしたもの!?という話まであるほどだ(実際、うどんは遣唐使ルートで日本に伝わったといわれている)。 ところが前述のとおり我々は、遣唐使と五島列島には深い関わりがあったなんて、今回五島旅行を企図するまでまったく知らなかった。 それを考えると、我々のような者にその歴史を知らしめてくれる施設なり情報なりというのは、有難くも大切なことなのだろう。 でも……それにしたってでっかすぎるぜ、道の駅。 遣唐使ふるさと館と名付けているわりには、建物が多目的過ぎて肝心要の歴史のアピールがおざなりになっているような気もした。 そんな巨大な道の駅にはあっと驚くものが無かったかわりに、そのはす向かいにあるバス停には驚かされた。
バス停の待合所(の屋根)が遣唐使船になっているのだ。 そんな衝撃的バス停のすぐ裏にあるのが、こちら。
すでに五島で二晩を過ごし、すっかりお世話になっている五島芋のふるさと、五島列島酒造。 ここで銘酒五島芋と五島麦が作られているのである。
島でうまれて、島でそだてる。 誇りに満ちた、なんとも気高きキャッチコピー。 巨大な建築物を造っても有効利用できていなさそうな行政とは一線を画す、たしかなものがそこにある。 敷地内には販売コーナーもあって、気さくなにぃにぃにいろいろ教えてもらいつつ、自分のお土産用に五島芋を一本ゲット。 こちらの焼酎には、市外流通用のボトルと市内流通限定のボトルの2種類があって、もちろん地元でしか買えないの900ミリリットルボトルを選んだ。
おかげで帰宅後しばらくの間は、味覚で旅の記憶を楽しめた。 さて、プランA崩壊後に急遽変更したプランBでは、このあと荒川温泉とはまた別の温泉に浸かりに行く予定にしていた。 ただしその温泉は利用可能時間が午後2時からということでまだ間があったため、ちょっとばかし寄り道をしてみよう。 訪れたのはこちら。
貝津教会。 五島の教会らしい、木造の教会だ。 慎ましやかなたたずまいながら、大正時代に建てられた元の姿とは随分変わって立派になっているそうだ。 五島といえばキリシタンの教会というほどに有名にもかかわらず、我々が滞在中に訪れたのは、ついにこの貝津教会ただ一ヵ所のみ。
潜伏キリシタンの歴史にはけっして興味がないわけではないし、ご禁制の世が長く続きながらも信仰を絶やさずにいつづけた信者のみなさんには素直に頭が垂れる思いがする。 でもカトリックでもなんでもない我々が、それも昼間に酒を飲みながらウロウロしている我々が、どうしてそのような『聖地』にお邪魔することができようか。
…というある種の負い目もあってここまで教会に寄らずに済ませていた。 なぜに我々のオンリーワンがこのどちらかというとマイナーな貝津教会になったのかというと、ほかでもない、いろいろな案内に載っているこの教会のステンドグラスの写真が、とってもきれいだったから。 そうはいってもこの雨がパラつくお天気で、ステンドグラスは光に満ちてくれるのだろうか。 駐車場に車を停め、さっそく教会の入り口に向かうと、ドアはしっかりと閉ざされたままだった。
ローマやパレルモで通りかかったり立ち寄ったカトリックの教会は、たいていどこもオープンな状態で、ミサをやっている最中でもそうでなくても、出入りしやすい雰囲気があった。 季節柄ということももちろんあるだろうけれど、なんだか教会までが「潜伏」しているような…。 それでもステンドグラスは、期待どおりとても美しい。
聖母マリアもイエス・キリストも、このようなガラスアートとはまったく無縁だったろうけれど、信仰に基づいたこのような芸術を見ると、ワタシのような心根のものでも、さすがにかたじけなさに涙こぼるるといった心境になる。 ただ、こういうステンドグラスを見て、一昔前の阪急百貨店の梅田コンコースのステンドグラス(ハリウッド映画の「ブラック・レイン」にも登場)を思い出してしまうワタシは、やはり敬虔な心とは無縁なのだろうか。 あの当時のあの空間の聖堂のような雰囲気は、子供心にとても荘厳に見えたのだけどなぁ……。
ちなみに現在の梅田に行っても、もうあの光景を見ることはできない。 梅田のステンドグラスは失われても、ここ五島の教会からその七色の輝きが失われることはけっしてないだろう。 それがすなわち、信仰の力。 さて、プランBで訪れる予定の温泉は、岐宿温泉である。 岐宿温泉に入るのなら、荒川温泉を諦めた時点でこちらに戻って来ていれば、食事処には事欠かなかったどころか、名店もチラホラあったのに……ということに、今これを書いていて思い至った。 温泉施設の利用は午後2時からというので時間を合わせて到着してみたところ、まだ10分ほど早かった。 なので、アテもなくドライブを続けることにし、岐宿半島の先へ向かっていると、ほど近いところに史跡としての貝塚があるらしいことを知る。 でもカーナビにはそこへ至る道が表示されず、適当にどんどん辺鄙になっていく道を進んでいると、さっきまで遠方に見えていた風力発電の風車の根元まで来てしまった。 貝塚はもっと手前にあるはずなので、カーナビには表示されない道なき道を行っているうちに、沿道におもむろに現れたのがこの石碑。
貝塚というから、発掘現場跡なりなんなり史跡があるのかと思いきや、あたりは一面の原野でしかない。 というか、近隣農家以外通るヒトとてなさげな道なき道の傍らに石碑を建てて、いったい誰が目にするというのだろうか。 石碑に併設されている説明ボードを読んでみると……
なんと岐宿町全体が貝塚であるという。 レンタカーの軽自動車でこんなところを走らせていいのだろうかという道をたどってきたわりには、なんとも尻すぼみな結末。
ともかく時間を潰すことはできた。
ここも本体は福祉施設なので、温泉と聞いてイメージする雰囲気とは程遠く、どちらかというと銭湯というよりも本部町の野毛病院に来ました…ってな雰囲気の受付で料金を払い、入浴施設へ。 湧出している温泉は無色透明系のはずなのに、透明な湯を湛えたジャグジー装備の浴槽のほかに、かつて訪れたことがある桜島の温泉のような、鉄サビの香りがする赤茶色の湯を湛えた泡風呂装置装備の湯船も設けられている。
あ、これは風呂から出た後に誰もいないのを見計らって撮ったのであって、カメラを手にしたまま入浴したわけじゃないですからね、念のため。 悪天候だからか、利用開始直後だからか、男湯はワタシのほかに地元のおとっつぁんお1人だけで、ゆったり広々と使えた。
ここ数日歩き回って疲労している体を解きほぐすにはうってつけの温泉。 この茶色の湯船につかった後は、シャワーで流し落としてから体を拭かないと、タオルは大変なことになるので気をつけよう。<やってしまったオロカモノ。 ひとっプロ浴びて心地よくなり、暖まった体のまま外に出ようとすると、外はいよいよ本降りに。 玄関からほんの10メートルほどのところに停めてある車まで行くことすら躊躇するほどの雨だ。
そんな雨の中、今度は県道31号を通って南下してみた。
福江島は大きな島なので、ヒトが住まう場所は海沿いだけではなく、内陸の盆地にも拓けた場所がある。 とりわけ大きな山内という町は、前日スーパーで買い求めたイチゴのふるさとだ。
近年の北九州一帯では、あかい、まるい、おおきい、うまい、の頭文字から名付けられた「あまおう」という品種のブランド化に成功し、大ブレークしており、本部町のスーパーでもたくさん目にするようになっている。
一方こちらの山内いちごは、昔ながらの春の香りがする素朴な味。 沿道には田んぼ&畑が広がっている。 この時期、本土であれば刈田は刈田のままなのに、ここ五島では随所で緑が溢れている。
行きの飛行機から見た景色でも、思いのほか農地に緑が多かった。 この時は車窓を過ぎていく風景を見ているのみだったので、まだその答えを見つけていない。 同じく飛行機から見た景色でオタマサが不思議に思っていたのが、畑らしき広々とした土地に見られた、白銀に輝くシマシマ模様。 それはどうやら、これから何かを植えるための畝で、雑草対策かなにかで白いビニールで覆われているものであることがわかった。 そんな山間の町を通過し、県道31号をそのまま南下し続けると、再び深い山道に入る。
あと50年もすれば、このあたりもトンネルだらけになって、立派な道が一直線に山を突き抜けていくのかもしれない。 そうやって南下を続けた果てにたどり着くのが、旧富江町。 ここはその昔深海サンゴ漁で栄えた漁村で、新田次郎著「珊瑚」の舞台でもあるという。
未読ながらサンゴで栄えた町というあたりが興味深かったから、福江市街同様にたっぷり時間をかけて隅々を歩き回ってみたいところである。 このとき富江に立ち寄った最大の目的がここ。
富江商店街ゾーンにある、精肉屋さんの「ニク勝」。 このお店のこだわりのコロッケが、今や五島中で大人気だというのだ。 <サンゴと全然関係ないじゃんッ!! 花より団子、サンゴよりコロッケ。
肉屋さんが作るコロッケが美味しくないわけがない。 温泉に浸かったあと小腹が減ったおやつタイムに、美味しいコロッケを! という黄金プランである。 ところが!! そんな大人気のコロッケが、午後3時過ぎまで残っているはずはなかった。 街中のコロッケといえば、学校帰りに小遣いで買えるようなイメージがあったから、放課後タイムにもきっとあるだろうとタカをくくっていたのだけれど……。 岐宿から一路富江を目指した最大の目的は、こうして音を立てて崩れ去ったのだった。 コロッケにありつけなかった体に、降りしきる氷雨が身に染みる……。 コロッケに比べるとモチベーション的には格段に低くなりはするものの、もうひとつの目的地を探訪してみた。 こちら。
商店街からほど近いところにある、富江小学校の校庭脇に生えている巨大アコウ。 樫ノ浦で観たアコウに比べると小ぶりで、素直に天に向かって伸びているから、遠目に見ながら歩いていた時はこれがアコウとは思えなかったほどだ。
こちらは五島市指定の天然記念物だそうで、やはり大事にされているようである。 これが巨木を大切にしない沖縄の行政だったら、天然記念物指定になる以前にあっさりと伐り倒していたかもしれない。
コロッケにフラれた富江から、県道49号を通って帰路につく。 すると、そのあたりからついに全容を見せ始めるのが……
福江島のシンボル、鬼岳。 実はホテルの部屋からも遠目に見えるのだけど、その角度だと火口がある側になって、このような火山らしいお皿を伏せたようなきれいな形に見えないのだ。
緑の季節でも、五合目あたりから上は定期的に野焼きが行われるために植生が異なり、草しか生えていないから緑がツートーンになっているらしい。 さすがキリシタンの島、五島。 シンボルの山は、まるでフランシスコ・ザビエルの頭のようではないか。 せっかくだから、その頭をなでなでしてみた。
それにしても、せっかく菜の花が春を演出してくれているというのに、この雨じゃあなぁ…。 いきなり暖かくなってとまでは言わないけれど、せめて青空が出てくれれば。 祈りの島のザビエルは、我々の祈りの声に耳を傾けてくれるだろうか。 とにかくそんなわけで、午後から雨が本格的になって、南風はさらに激しくなっていた。 この先にある、鬼岳の噴火で流れ出した溶岩が海に流れ着いて形成された海岸、鐙瀬溶岩海岸に立ち寄ってみたところ……
激荒れ。 本来なら海岸べりも散策できるところなのに、展望台に居てすら吹きすさぶ風で吹き飛ばされそうなほど。 これじゃあ、明日も不漁かなぁ。 でも今朝の魚市場にはそれなりに魚が上がっていたし、今晩の肴は大丈夫かも。 昨夜で五島初心者的に食べておかなければならないモノはクリアできた(と思い込んでいる)し、今日はまたなんの憂いもなく穏やかな心で美酒に酔いしれることができそうだ。
そんな期待を胸に抱き、16時頃ホテル帰着。 この駐車場、アスファルト舗装の屋外駐車場というスタイルは極めて一般的ながら、その入り口が一風変わっている。
通りに面した塀が、立派な石垣なのだ(写真は後日撮ったもの)。
これはここだけではなく、このあたりの街並みの随所に普通に残っていた。 うーん、かえすがえすも目にしたかったぜ、江戸の昔の古地図との対比。 さてさて、夕刻になっていっそう強まってきた雨。 飲み屋さんは近隣にたくさんあるとはいっても、雨の中歩くのはつらいなぁ…。
この日は事前のプランAがことごとく崩れた日でもあった。
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