19・玉之浦をさるく・2〜寅さんも歩いた道〜

 さてさて。

 漁船が繋がれている港も趣きある風情ながら、ここも往時は西日本一帯から漁船が押し寄せるほどの一大漁業基地だったくらいだから、荒海を乗り越えてやってくる海の男たちには欠かせない歓楽街として栄えていた時代もある玉之浦である。

 当時の街並みには、料亭から茶屋から、飲む打つ買うといった「歓楽」のすべてが揃っていたそうで、その賑わいはとてもじゃないけど今の様子からは想像もできない。

 そんな往時の雰囲気はブラタモリのCGなみに脳内で変換しないかぎり再現は不可能だけど、町並みにはその名残りの名残りが遺されていた。

 道がゆるくカーブしているのは、建物が海岸線のカーブに沿うように建てられたためだそうで、直線直線また直線の街に比べればよほど心に優しい通りに見える。

 いにしえの遊郭などの建物に関する知識があれば、今に残されたこの街並みを歩くだけで、往時の隆盛ぶりをハッキリとイメージすることができるのだろう。

 残念ながら我々にはその方面の知識がないかわりに、気になったのがこちらのポスター。

 上の街並みの写真の、旧元倉酒店の入り口に貼ってあったポスターである。

 いろいろと五島をリサーチしていたときに、こんなに魚が揃っているのに、日本酒はないのだろうか…と不思議に思っていた。
 もちろん五島の焼酎は美味しいけど、この肴なら、日本酒だともっとイケそうな気が……と、特にオタマサは考えていたのである。

 そりゃ飲み屋さんには日本酒も用意しているところもある。でも五島の酒としての日本酒はないものか…

 と思っていたところにこの「うすにごり 島楽(とうらく)」 という酒のポスターが。

 つぶさに読んでみると、五島市商工会が特産品プロジェクトの一環として世に出した酒のようで、五島つばき酵母使用と謳われている。

 しかしこれ以前もこの後も、スーパーや酒屋で実物はおろか宣伝を目にすることすらまったくなかった。

 この元倉酒店同様、うすにごり島楽も、過去のものになっているのだろう……。

 ところで、このレトロな街並みは「元倉の街並み」と呼ばれているところで、漁師町だけに街の中心部から登っていけるところに金刀比羅神社がある。

 高いところが大好きな金刀比羅さん、ここでもやはり階段を登っていったところに祀られているようで、その途中に玉之浦集落を見渡せる場所があるという。

 この階段かな……

 …と思ったら、これは遊郭があった頃の検番跡だそうな。木々に埋もれてその建物がある。

 金刀比羅さんへの階段は、わかりやすくちゃんと表示されていた。

 金刀比羅さんと同じくらい高いところが好きなオタマサは、ヤデウデシヤとばかりに階段を行く。

 階段をよく見ると、ひとつひとつの石段は溶岩で造られていることに気がついた。

 武家屋敷通りの石垣にも多用されていたこの溶岩、ここ五島では、昔の沖縄におけるビーチロックのように、多方面で活躍している石材であるらしい。

 そんな写真を撮っている間にも、オタマサはどんどん行く。

 あ、鳥居が見えてきた。
 あのあたりが中間地点かな?

 ああ、まだこの先にも鳥居が。

 さらにガシガシ登る。

 この先の鳥居のあたりでふり返ると、ようやく集落を見渡せる景色が広がった。

 そしてこの景色を見渡せるところが階段のゴール……

 ……かというとそうではなく、この鳥居の先にはまださらに階段が続いているではないか。

 金刀比羅さんの拝殿はこの階段の果てにある。

 しかしこれ以上登り続けたら、それだけで1日が終わってしまいそうな道のりになりそうな……

 聞くところによると、登り切ったところから集落は見渡せないという話なので、求めていた眺めを見渡せた以上、さすがのオタマサもこれ以上の踏破は自重し、来た道を引き返すことにした。

 ああ、登りたいなんて言わないでくれて助かった……。

 金刀比羅さん道なかばから眺める玉之浦は、ホントに絵に描いたような「日本の漁村」の姿を留めている。
 ここを訪れてみたいと思っていろいろ調べていたとき、こういう風景には付き物のあの方も、やはりこの地を訪れていることを知った。

 あの方とは、この方。

 これは随分昔の玉之浦漁港の様子。
 画面中央あたりのテキ屋風情の方が誰だかおわかりですね?

 そう、寅さん!

 なんと、映画「男はつらいよ」の初期も初期、昭和46年1月に公開された第6作「男はつらいよ 純情編」で、福江島、それもここ玉之浦でロケが行われたのである。

 いかにも日本的風情を残している田舎を愛してやまない山田洋次監督、当時の玉之浦もまさに彼のツボだったことだろう。

 当時はまだ暈高い護岸がなく、道路がそのまま岸壁になっている玉之浦を歩く寅さん。

 ほぼ同じ場所の現在の様子はこんな感じ。

 防波堤が立派になっているからイメージは少々変わっているものの、山の稜線は昔のままだ。
 オタマサが立っているところから10メートルほど後ろの車道あたりが、上のシーンで寅さんが歩いていたところだったのではなかろうか。

 映画の中では、森重久弥演じる漁師がここ玉之浦で旅館を営んでいて、中村旅館という屋号が引き戸に書かれてある。

 モリシゲがわざわざ五島まで来るとも思えないから、てっきり松竹大船撮影所のセットかと思いきや、このあと外に出ていく寅さんの向こうに、オボロゲに漁港が見えた。

 殷賑を極めていた頃の玉之浦町の史料によれば、実際に元倉の街並みの一角に「中村旅館」があったらしく、ロケ当時はまだ現役だった旅館で実際に撮影をしたのかもしれない(それをモデルにしたセットかもしれないけど)。


「男はつらいよ 純情編」より(上の玉之浦の写真も)

 また、男はつらいよシリーズの松竹公式サイトでは、各作品のロケ地について詳しく紹介されている。
 そのなかの五島列島(福江島)の紹介ページに掲げられている風景写真は……


松竹「男はつらいよ」公式サイトより

 これ、どこからどこを撮った写真か、もうおわかりですね?

 そう、我々がヒィヒィ言いながら登った、金刀比羅さんの階段から見下ろした玉之浦の中心部。

 おそらくロケ当時の写真だろうから、昭和45年くらいの様子と思われる。

 先ほど眺めた風景を、上の写真と同じようにトリミングしてみると……

 こうして見比べてみると、防波堤はもちろんのこと、随分と海を埋め立てることによって道路を広げていることがよくわかる。

 玉之浦漁港をはじめとする福江島一帯の漁港は、このあたりの漁場にやってくる多くの遠洋漁業の漁船や底引き網漁船でにぎわっていたそうで、だからこそ一大歓楽街が発達した。
 ところがその後漁船の大型化にともない、漁港の需要が急速に失われていくとともに、街の繁栄の歴史も終幕を迎えたという。

 それが昭和になって間もない頃というから、むしろ玉之浦は、のどかに鄙びた漁村になってからの歴史の方が長いのかもしれない。

 天然の良港でもあるこの漁港は、入り江の形のままUの字形に湾曲しているから、まるで伊根の舟屋のように、対岸の家並を見渡すことができる。

 写真奥側から眺めてみると……

 ちなみにどちらの写真にも見える白い尖塔は玉之浦教会で、日常的に信者が集う現役の教会だ。

 漁村にはお馴染みの金刀比羅さんに加え、フツーに教会があるあたり、さすが祈りの島五島。

 遊郭完備の大歓楽街だった頃の玉之浦もそれはそれで楽しかったことだろうけど、いかにも日本の漁村的なこういう風情もそれはそれでとっても魅力的である。

 極端に言えば、日本の随所にこういうステキな田舎があると信じればこそ、息の詰まるような都会で暮らしていても、どこか安心していられるというヒトもいるに違いない。

 しかし日本全国津々浦々のあらゆる田舎は現在、静かに、しかし確実に、絶滅しかねない勢いで過疎化、高齢化が進んでいる。

 ここ玉之浦もやはり、過疎化の波が押し寄せているようだ。

 少子化の流れで、玉之浦中学校が人々に惜しまれつつ閉校されたのは、平成15年のことという。
 昭和22年に開校したそうだから、寅さんのロケが行われた頃は、きっと大勢の中学生たちも盛り上がっていたことだろう。

 鄙びた漁村に立派なポンツーンを備えたり護岸を整備する予算があるのなら、たとえ少人数になったからといっても中学校のひとつやふたつ残しておいてよさそうなものだけど、予算の出どころが違うと融通が利かないこの世の中のこと、中学校の存続を願う声はどこにも届かなかったに違いない。

 閉校になったのは14年も前のことだというのに、まだ玉之浦中学校の校舎もグランドも校門も、しっかり以前のままの姿を留めていた。

 そしてなんともステキなことに、この玉之浦中学校の校長室が、閉校後にこういう形で利用されているという。

 校長室、スーパーに変身。

 地域社会の過疎化・少子化モンダイを考えると笑っていられないことなのかもしれないけど、これはこれで田舎の底力的バイタリティを感じさせてくれる微笑ましさでもある。

 売り上げに貢献するため、お〜い!お茶のペットボトルを購入しておいた。