18・玉之浦をさるく・1〜橋を渡る黒猫〜
翌朝、すなわち2月23日の朝。 6時に目覚めると、閉めきった窓の外から風の音が聞こえてくる。
どうやら天気予報どおり、風が北よりに変わったらしい。
となると気温も低下する。 10度!! 冬の水納島で、相当冷え込んでいる日の最低気温に等しい。 前日からレンタカーを借りているので、朝早くから出発できるのだけど、この日は観光以外にひとつ重要なミッションがあった。
それについてはあとで触れるとして、まずはそのミッションの下調べをこの朝のうちにしておかなければならなかった。 さっそくこの日の目的地を目指す。
この日は県道27号線を通って福江島を横断し、昨日チラッと訪れた荒川に出た後、国道384号を南下していく。
玉之浦。 荒川漁港同様、往年は殷賑を極めた一大漁業基地だったところである。 今も漁船が浮かんでいるから、漁業がそれなりに盛んではあるのだろうけど、全体的には鄙びた漁村といった風情。 漁村をのんびり散策するのも楽しそうながら、この日はまず、この漁港のさらに先にある島山島に行ってみることにした。 本来は離島ながら、玉之浦大橋で福江島と繋がっている島だ。
その島山島には野生のシカが500頭ほど暮らしているそうで、朝夕に訪ねてみると、海岸べりで出会えることもあるというのである。 せっかくだから五島のシカを観てみたい。 9時頃なら出会える確率が高いというからこそ、朝7時30分にホテルを出た我々。
時刻的にはタイミングバッチシ。 が。 車を停めた駐車場の寒いことといったら!! そうだった、今日は強い北風の日で、最高気温は10度なのだった。 橋を渡ってすぐのところにある駐車場から玉之浦湾の外側を観てみると……
激荒れ。 押し寄せる波濤で赤灯台が倒れてしまうんじゃなかろうか、というほどの荒れ模様だった。 でまた全身に吹きつける風の強いこと強いこと。 冬ともなるとこのあたりはこういう風が日常なのだろう、海に面した山肌は、すっかり潮風にやられている。
そこでオタマサはハタと気がついた。 寒さと風に下生えの草がやられてしまうこの真冬に、シカたちがわざわざ麓まで降りてくる意味があるんだろうか、ということに。 シカとの遭遇ポイントは、民家と背後の山に囲まれた少し開けた雑草地なんだけど、草々はすっかり枯れ果てているのだ。 いかに冬枯れが少ない五島とはいえ、こんだけ寒風が吹きつける場所ともなれば、草々も耐えきれないのだろう。 となるとシカの餌もないわけで、彼らが山から下界に降りてくる意味などまったくないんじゃね?? もっとも、たとえ草地に緑が溢れていたとしても、こんなに寒風が強く吹き荒れている日に、シカさんたちに会えるはずはなさそうである。 ウーム……いったいなんのために朝早く出てまっしぐらに来たんだろう。 ところで。 島山島はわりと大きな島ではあっても、人家があるのは橋詰めのあたりくらいらしい。
きちんと港が整備された漁村には、バス停もちゃんと設けられている。
このあたりの集落は、向小浦(むこうこうら)というらしい(ちなみに対岸は小浦)。 バスが来るようになったのはもちろん橋が架かったおかげだけれど、その橋を利用しているのは、人間だけではないという。 なんとシカさんたちまで、橋を渡っているというのである。福江島の西側の広い範囲でシカの目撃例がフツーにあるらしい。 だから福江島西部の道路脇にもこういう標識が。
シカには会えなかったかわりに、シカ注意の標識は見ることができた……。 橋が架かる前からシカは泳いで渡っていたというから、シカにとって橋が架かったことが良かったのか悪かったのかはともかく、バスが通るようになっただけでも、島民にとっては格段に利便性が向上したことだろう。 そしてその橋を渡るのは人間とシカだけではなく……
クロネコも行き来する。 この日はゴミ収集の日だったようで、島山島の集落では、おばぁたちがゴミ袋を手に回収場所まで運んでいた。 橋が架かる前は、どのように処理していたんだろう?? シカを早々に諦めた……というよりも寒さが限界に達した我々は、再び橋を渡って福江島に戻り、橋詰めからほど近いところにある、大山祇(おおやまずみ)神社にやってきた。
神社のいわれや何かはまったく知らない。 工事現場脇あった広場に車を停め、テケテケテケ…と山裾のほうへ歩いていくと、見えてくるのがこれ。
背後の木々でわかりづらいけど、神社の境内にアコウの巨木があるのだ。 しかもここのアコウは根がトンネル状になっており、鳥居の役目も果たしているのである。
神社的にはこのアコウの鳥居の先にある慎ましやかな拝殿に参ってこそなんだろうけれど、どう見ても主役はこのアコウの木だ。 ところで、すでにお気づきだろうけど、ここのアコウは……
葉が全部落ちてしまっている!! 長崎県の天然記念物ということで、県が設置してある説明ボードによると、お役所的名称としては「玉之浦のアコウ」ということになっているこの木は、「常緑高木」と書かれてある。 あのぉ……緑じゃない時期もあるみたいなんですけど。 同じ気候風土の土地に育つ同じ種類の植物であっても、環境次第で木の様子は大きく変わるということなのだろう。 ただし、葉っぱが枯れ落ちているかわりに、実は鈴生り状態だった。
イチジク属に属する植物だから、その実はイチジクに似ているという話は知っていたものの、実際に目にするのは初めてだ。 イチジクに比べれば遥かに小さな丸い実の数々は、身を厳しい環境に置き続ける木が、セッセと子孫を残そうと励んでいる結果なのだろうか。 アコウの巨木をあとにし、再び海辺に向けてテケテケ歩いていると、民家の菜園ぽい畑に、冬の水納島でもおなじみの野鳥が現れた。
ジョウビタキのオスだ。 普段マサエ農園でオタマサが戯れているように、こちらの畑でも農作業をしているヒトの傍らで、エサとなる小動物が出てくるのを待っていたりする習慣があるのだろうか、随分近づいても逃げ去ることはなく、実にフレンドリーだった。 冬の水納島でも観られるとはいえ、その数はさほど多くはないのに対し、五島滞在中は至るところと言っても過言ではないほどに、あちこちでその姿を見かけた。 再び車に戻り、少し南下して玉之浦の中心地にある五島市役所玉之浦支所の駐車場に車を停めさせてもらい、漁村をテケテケ歩き回ってみる。 市町村合併で五島市が誕生する以前は玉之浦町で、現在の市役所支所は、かつて玉之浦町役場だったところだそうな。
だから役場があるあたりが玉之浦最大の繁華街ということになるのだろう。
セルフというわけじゃなし、かといってスタッフがいるわけじゃなし、ガソリンを入れたい場合はいったいどうするんだろう?と思ったら、傍らにこういう案内があった。
でもその肝心のボタンはどこに?? ガソリンを入れたいわけじゃないのに面白そうだから探してみると、この案内から少し離れたところにあった。
ボタンの下から出ているコードが、隣りにある漁協の建物の2階にダイレクトに延びていた。 1回や2回鳴ったくらいじゃ出てこないよ、と明言しているあたりがなんともステキだ。
さて、これからしばらく寒空の下をさるくので、その前に小用を足しておくことにしよう。 なのでそれらしき建物を求めて歩いてみたところ……
あれ?
予想外に小さくて見過ごしたのかも。 この工事現場ってひょっとして……
まさかと思いながらも、工事に関する説明書きがされているボードを見てみると。 なんてことだ、この工事は玉之浦観光住民センターの解体工事ではないか!!
近頃流行りの、老朽化による取り壊しということなんだろうか。 あ、新しい建物に建て直すとか? いやあ、緊急事態になってなくて良かった……。 気を取り直し、散歩をしよう。 ところで。 夏ともなれば釣り客、観光客でそれなりに賑わうのかもしれないこの鄙びた漁村、船釣りをするわけでもない我々は…というかワタシは、いったい何を求めてやって来たのかというと、のどかな漁村に身を置いてみたかったからにほかならない。 旅行計画を練っていた当初は、五島に来て滞在が福江市街だけってのもなんとなくもったいない気がしたから、どこかのどかな離島にも足を延ばしてみたいなぁ…とおぼろげに考えていた。 でも真冬だけに、ひとたび時化れば船は欠航してしまい、予定が木端微塵になること必至だから(実際そういう天気だった)、ここは無理せず福江島滞在に留めておくことにしたのだ。
でも、福江島にもいい感じののどかな漁村はある。 そうだ、5泊のうちの途中2泊くらいを、玉之浦で過ごしてみよう! ということにし、いろいろな方々がネット上で絶賛しておられる、「民宿たまのうら」に予約をしようと電話をしたのが昨年秋のこと。 早いうちに予約しておかないと、日によっては満室になってしまうようなのである。 ところが、翌年2月の予約状況をうかがってみたところ、電話に出た女将さんらしき方は 「わたしらもう齢だから、来年の2月にどうしているか、今お約束できないんですよぉ……」
と。
そうなると無理にお願いするわけにもいかない。 で、散歩を始めるに際し、ひょっとしたら宿泊していたかもしれない「民宿たまのうら」さんを訪ねてみた。
鄙びた漁村で老夫婦が営んでいる民宿……と聞いてイメージする雰囲気よりも、遥かにモダンなたたずまいの宿だ。 港の目の前だし、天然の良港はたとえ外海が時化ていても穏やかそのものだし、こういうところに滞在できたら、さぞかしのんびりできたろうなぁ……
…と思っていたのだけど、今回この時期に限り、実は危なかったのだ。 つまりもしこの時期宿泊していたら、日がな一日工事現場の音を聞いていなければならないところだったのである。 のんびりどころの話ではなかったのだ。 あー、なにげにラッキーだったかも。
|