2・備えなければ憂いあり
長崎県に属する五島列島は、長崎本土から100キロほど西の洋上に浮かぶ島々だ。 その北側の島々を上五島、南側を下五島と呼んでいたのは昔からのことながら、市町村合併で下五島全体がひとつの市になると、下五島市にはならず、「五島市」になった(ちなみに上五島地方は「上五島町」)。 晴れてひとつの市になるにあたり、「下」は余計だったらしい……。 そんな五島列島に沖縄から行くには、当然ながら直行できる手段はなく、福岡もしくは長崎に渡り、そこから船か飛行機で行くしかない。 どちらかというと、福岡からであれ長崎からであれ、のんびり船で行くほうが楽しそうではある。 でも那覇から飛行機で行く以上、そこからわざわざ船にするとかえって時間的ロスが大きいし、なんといっても冬場は欠航の憂き目にあう可能性が高くなる。 ここはひとつ、素直に飛行機を利用しよう。 距離的には福岡に比べて長崎のほうが圧倒的に近い。 しかし沖縄〜福岡と沖縄〜長崎の便数を比べると、福岡便のほうが断然多いから、旅程の立てやすさとなるとやはり福岡経由のほうが便利になる。 というわけで那覇から福岡空港経由で五島福江空港を目指すことにし、那覇空港からその日のうちに五島に着くためにも、朝イチの便を予約することにした。 そうなると前日のうちに島を出ておかなければならない。 島を出るといっても那覇まで行くわけではなく本部泊だから、那覇空港7時過ぎ発の便に余裕を持って間に合わせるには、朝4時半に出発しなければならなかった。 4時過ぎに出発だなんて、その昔埼玉から伊豆の大瀬崎に行っていた頃以来である。 さすがに夜も明けきらぬ朝は道も空いているので、6時前に空港駐車場到着。 なのにいきなり駐車場入口で渋滞していたから焦った。 なんだなんだ、どうしたんだ??と思ったら、空港駐車場って、朝6時からしか開かないのですね……。 一瞬焦ったけど、ここまではなんのトラブルもなく順調そのもの。 すぐさま身軽になりたいので、さっそく機内預け荷物のチェックを受けるべく、ANAのカウンターへ行く。 すると、ホテルのコンシェルジュのような全日空男性職員が、「行き先はどちらですか?」と話しかけてきた。 それも英語で。 オレは泉ちゃんか!! と、その場にいる誰にもわからないツッコミを内心でいれつつも、まぁ、ワタシの前に並んでいた2人連れの女性客がアジアン旅行者だったから、流れ的にそうなってしまったのだろうと納得しておく。 日本人です、と滑舌良く返答すると、ミスターコンシェルジュは恐縮しつつ、日本語で同じ質問を繰り返す。 面倒なので手にしていたチケットを手渡す。 随分前にANAのサイトで購入したチケットだし、なんの問題もあるはずがない。 ところが。 「お客様、大変申し訳ございませんが、本日のこの福岡空港行きは、機材調達ができなくなりまして、キャンセルになってしまいました…」 へ? どーゆーこと?? 聞けば、本来なら前夜のうちに那覇空港に到着しているはずの機体にトラブルがあったそうで、なんとか機材を間に合わせようという努力も虚しく、あえなく欠航になってしまったらしい。 トラブルの有無にかかわらず、ANAから前日に予約便のお知らせがこちらで指定してあるアドレスにメールで届くようになってはいる。 でも連絡先をパソコン用アドレスにしてあるため、今回のように前日から島を出ている場合、このような緊急案内を受け取る手段が無かったのだ。 送信先を携帯にしておけばいいようなものながら、これまでずっと前日当日に何かあったことなど無かったし、今回だってきっと……。 トラブルとは、そういう時に限って起こってしまうものなのである。 備えあれば憂いなし、備えてなければ憂いあり。 肝に命じておきます……。 ところで、「あなたの搭乗予定便はキャンセルになりました」という場合、欧米諸国では、あとは自力でどうぞ、ということになるのだろうか。 ANAとしてもメールで欠航の知らせはしているわけだし、その中で予約変更や返金手続きはこちらのサイトで…的な通知も済ませてあるわけだから、本来ならあとはご自分でどうぞ、というのがオトナの社会のはず。 もしそういう対応だったら、当日搭乗予定時刻ほぼ直前まで何も知らないまま空港に来てしまった迷える子羊たちは、どうなってしまっていたのだろう。 ところがANAは、すでにほぼ同時刻に同じ目的地に向かうJTA便への予約変更手続きを済ませてくれていたのであった。 これはやはり、欠航の原因が気象その他の自然現象にあるのではなく、自社の責に負うところのものだからだろうか。 事前にメールだけを見ていたら慌てふためいて手続きに翻弄させられていたかもしれないところ、迷える子羊だったおかげで何をすることもなく、ただ引き換え劵をもらい、JALのカウンターに行くだけで済んだ。 飛ばないANAはただの穴だ、と言いたいところではあったけれど、子羊でもなんとか飛べたのは至れり尽くせりのアフターケアのおかげで、ともかくもほぼ当初の予定どおり、福岡空港まで行くことができたのだった。 |