ハワイ紀行

〜またの名を暴飲暴食日記〜

12月8日(水)パート2

ゴードン・ビアーシュ

 12時半ごろ、アロハタワーに着いた。紆余曲折を経て、結局当初の予定どおりの到着だ。朝目一杯食い過ぎたせいか、今ひとつ腹が減っていないが、ともかくゴードン・ビアーシュに入った。

 日本と違い、このようなレストランではウェイトレスやウェイターが席に案内するので、勝手にカツカツと入られない。だから勝手にウロウロしてうちの両親の姿を探せず、導かれるままに席に着いた。

 ところでなぜ私がこの店にこだわっていたかというと、この店は独自のビールを醸造していて、それがまたうまい、と評判だったからである。いわゆる地ビールで、呼び方は忘れたがライトっぽいのと、黒ビールっぽいのと、その中間の3種類がある。もちろんランチクーポン券には飲み物はついていないが、ここはやっぱりビールでしょう。さっそく頼もうと思ってメニューをみると、「beer sample」の文字が目に入った。なるほど、カタログを見てからオーダーするのか。そこで素早くウェイターにサンプルを見たい旨告げた。愛想良くうなずき、ウェイターは去っていった。

 その直後、母がうろちょろしつつ我々のところにやってきた。もうすでに昼食を済ませ、父はビールのサンプルですっかり酔っぱらっているという。

 そうだったのだ。サンプルとはカタログを見るのではなくて、注文する前にすべてのビールを試し飲みすることだったのだ(さっきはウェイターに「見せてくれ」と頼んでしまったじゃないか)。父はグラスで5杯も出され、それだけですっかりご機嫌状態になっていたのである。我々より一足早く帰るとき、

 「明日は自分がごちそうするから、どこか店探しといて!」と、豪語して去っていった。いやはや、期待どおりの展開だ。サンプルビールよありがとう。

 我々のところにも素早くサンプルがやってきた。黄色いヤツ、茶色いヤツ、黒いヤツが3人いるからか比較的大きめのコップに一杯ずつだ。池袋あたりならこれだけで1500円くらいするに違いない。コップ一杯で酔える人には十分すぎるほどの「サンプル」はどれもみなうまかったが、私は茶色いヤツが一押しだった。でも味の好みは皆異なるようで、結局3人それぞれ別のものを頼んでいた。

アメリカンのランチ

 ウメェウメェとビールを飲んでいると、ほどなく注文した料理が出てきた。クーポン券のため頼めるメニューは限定されていたものの、出てきたものはとびきりのアメリカンサイズである。こんなものを平気でペロリと食ってしまうヤツらに勝とうとしたのだから、昭和初期の日本人はつくづくオロカとしか言いようがない。

 それほど腹が減っていたわけではなかったので、食い尽くすには相当の気合いが必要だ。ハワイのステーキは基本的にどこで食っても日本人には固い、と聞いていたから、ステーキと名のつくものだけは食べないでおこう、とずっと前から心に決めていたのに、私はなぜか反射的にビアステーキ・サンドウィッチなるものを頼んでしまっていた。どうやってサンドウィッチにするんだ?というくらいに巨大なパンと、ウワサどおりの固い肉を相手に奮闘した。父ちゃんとうちの奥さんが頼んだリブステーキを少し味見したらとってもおいしかった。なんだか悔しい。

サービス業も立派な職業

 我々のテーブル担当のウェイターも陽気な男であった。彼が持ってきたデザートは何シャーベットなのか?と訊ねたら、彼はわからなかったらしく、踊るようにキッチンに向かい、確かめに行った。何も聞きに行かなくとも食えばわかるのに。でも彼はすぐにまた踊るように帰ってきて、パイナップル!!と教えてくれた。これがチップに値するサービス精神なのだ。

 その彼に、ビールに使っていたコースターをもらってもいいか、とうちの奥さんが聞いたところ、快くうなずいて、エプロンのポケットから新しいコースターを5枚出してくれた。いい人だ。

 ここで食事をしている間、父ちゃんはしきりに「このあたりにはちゃんと働いてる労働者はいないのか?」と言っていた。昔ながらの日本的感覚では、目の前で従事しているウェイターなどの仕事はまっとうな仕事ではないのだ。

 日本は相変わらずその感覚のままだから、我々の仕事もいつまでたってもヤクザな商売、と言われる範疇である。でもハワイのように観光産業が全体の6割にも達するほどの土地では、最も一般的な仕事といえるだろう。れっきとした労働者なのである。

 肉は固かったが、とにかく最後まで食った。今夕はディナークルーズだというのに、またしても腹一杯になってしまった。コースターのお礼も込めて、少し多めにチップを渡して店を出た。

6000円のヨダレかけ

 ディナークルーズのために我々はアロハを買ったということはすでに述べた。しかし今になって、うちの奥さんはワンピースは肩が出るから、上から羽織れるものが欲しいなどと言い出すのだ。まったくもう、とは思いつつも、たしかにそれだとクーラーが利いているであろう船内では寒いに違いない。

 うちの奥さんはあらかじめ密かに物色していたらしく、いったんホテルに戻った後、すぐ出かけて近くの店に入った。白いヨダレかけのような上着(?)に決まったようだ。ふむふむ、こんなものでいいのか。で、いくらなの?と聞いて驚いたのなんの。こんなヨダレかけサイズの布きれが59ドル!!ご、ご、ご、ごじゅうきゅうどる?アンビリーバボーである。このヨダレかけも、きっとアロハ同様、今日以降二度と着ることはないだろう。

 ホテルに戻り、出かける準備を済ませた頃には、アロハを着込んだ私はすっかり現地の人になっていた。端から見たら、4人の日本人を連れ歩く現地スタッフに見えたことだろう。は〜い、ダニエル植田です!って感じだ。

ナバティックT号

 ホノルルには有名なディナークルーズが何種類かあって、スター・オブ・ホノルル号に乗るのが最も豪華なクルーズだ。残念ながら我々が乗るのはそれではなく、それよりも二周りほど小さなナバティックT号である。それでも立派な船で、揺れを最小限におさえるハイテク船ということである。
 たしかにそのマッハ
GO!GO!のようなボディを見ると、いかにもハイテク、という雰囲気を醸し出している。でも、船が通るであろう海を今日バスで見てきたけれど、随分荒れていたよなぁ。あんなに荒れていても揺れないのだろうか。

 ここで我々は、アングロサクソンとモンゴロイドの感覚の違いを思い起こすに及び、ある程度の覚悟を決めたのであった。沖縄本島の真栄田岬というポイントで、日本人ダイバーが誰一人入らないような大荒れの中、アメリカーだけがガシガシガシとエントリーしている、ということがよくあるのだ。彼らが揺れない、と言ったって我々には十分揺れているに違いない。

 送迎のバスが港に着いたのは5時過ぎであった。あと小一時間で日没だ。船に乗り込む前にタラップ前で各グループごとにおねーちゃん二人と記念撮影をした。どうせまたあとで高く売りつけるのだろうが、買わないぞ。

 船内はクリスマスの飾り付けが施された立派なレストランで、舞台の脇のバンドマンが景気づけに明るい曲を演奏していた。すでにテーブルにはたくさん人が着いている。わずかに白人が見えるものの、日本人ばかりである。窓側の席は新婚カップルらしき二人組で占められていた。しかし揺れるであろうことを考えると案内された真ん中の席のほうがいいに違いない。

黄昏のワイキキ沖

 薄暮の中、ほどなく船は発進し、ウェイターがドリンクの注文を取りに来た。グラス3杯までは何を飲んでも無料なのだ。どうせそれほど飲む時間はないのだから、ドリンク無料!と銘打てばいいのに。

 相変わらずおとっつぁんたちはアサヒビールを頼んでいるが、私は迷わずブルーハワイを注文した。似合わねぇ〜という声が聞こえてきそうだが無視しよう。

 やがて運ばれてきたグラスの中の青い液体を見て、父ちゃんは、

 「なんだぃ、それ」と、不思議そうであった。

 めいめいのグラスを持って乾杯を済ませた。旅行のペースにも随分慣れてきて、初日に比べれば余裕の一日だったから、酒の味がまた格別だ。

 まだ料理が来るまでは時間があるようだ。船は薄暮の中、茜色に照らし出されたワイキキのホテル群の沖を進んでいる。これは是非展望デッキに行ってみたい。どうせならグラスを傾けつつ黄昏のワイキキ沖、なんていうヤラセ写真も撮ってみたい。そのためのカクテルである。

 カメラとグラス(すでに2杯目のチチ)を持って二人で外に出てみると、折からの強風とそれに向かって進んでいる船のため、デッキはヌウアヌ・パリ展望台状態になっていた。とてもじゃないけど優雅にグラスを持って黄昏のワイキキ、なんてムードではない。荒れているから波しぶきも激しく、ヤラセ写真どころかヌラセ写真になってしまう。

 しょうがないから風をよけられる一角に行き、しばし黄昏のワイキキを眺めることにした。見上げる空は曇りがちなのだが、西の空が晴れているから夕日が一直線にワイキキを照らし、ホテル群やダイヤモンドヘッドが幻想的な雰囲気であった。

 このデッキは喫煙者にとっては憩いの広場でもあり、うちの父や父ちゃんはその後代わりばんこに外に出てはプカプカ吸っていた。

”揺れない船”はユラユラ揺れた

 サラダをウサギのようにバリボリ食いきると、今度は大きなロブスターが並べられた。いやはやでかい。こういうムキムキ系の食い物になると、途端にみんな静かになり、黙々とカラを剥いているから笑ってしまう。
 結局用意された器具を使うよりも、手でバキバキしたほうが早いと言うことがわかり、みんなガシガシ食っていた。そこらじゅうでパキパキガシガシという音がしていた。

 間髪入れずにメインディッシュが運ばれてきた。船はダイヤモンドヘッドを過ぎ、いよいよさらに波があるところに入っている。普段さんざん船に乗っている我々とはいえ、サイズが違うと揺れの感覚も異なるから、酔わないまでもやっぱり胃がしっくりこない。私たちですらそうなのだからすでにトイレに向かっている人がいたのも無理はない。弱い人はひとたまりもない揺れなのだ。

It's a show time!!

 なんだか皿の出し入れが早いなあ、と思っていたら、それはショータイムを考慮に入れていたからのようだった。私は夜景を見つつ静かに夕食、のままでもいいのだが、何を隠そう、父ちゃんはこういったショーが大好きなのだ。

 いつもはどうなのかは知らないが、クリスマスシーズンということでクリスマスディナーショーであった。歌唱力抜群のお姉さんと二人の若い女性ダンサーのショーは曲がおなじみのものであることも手伝って、自然と心ウキウキ、メリークリスマス!!となってしまう。ディナーショーらしく客参加型で、歌によってはマイクを向けられたりなんやかやあったりと、飽きさせない構成だ。

 でも私の心を打ったのは、そのダンサーのうちの一人であった。日系っぽいそのおねーちゃんのかわいいことかわいいこと。何度も何度も衣装を変えて出てくるのだが、そのたびにいつも楽しそうに踊っているのだ。舞台から降りて階下へ向かう階段に入るとき、もう一人のおねーちゃんは真顔になって戻っていくのに、このおねーちゃんは階段に達しても終始笑顔なのである。客から見て、ダンサーが楽しそう、と思えるようなダンスほど見ていて楽しいものはない。

 しばしそのダンサーに見とれていたら、父ちゃんが、「あのダンサーたちは、船に乗るときに一緒に写真に写ったねーちゃんたちだろう?」と訊いてきた。
 あっ!!そうだ、そうじゃないか!さすが亀の甲より年の功。チェックすべきところはしっかりチェックしていたのである。帰り際、買わないぞ、と言っていた高価なその写真を思わず買ってしまったのはいうまでもない。

気分はカチャーシー

 客席参加型のディナーショーは舞台で客も踊る、という段になってしまった。最初はなぜかチークナンバーだったので無縁だったが、そのうち宴もたけなわになり、歌い手さんが着替えたりする間、アップテンポの曲に乗せて舞台で踊れ踊れぇ〜という雰囲気になってきた。

 もっともみんなしりごみしてなかなか出ていかないから、ウェイターやダンサーが一人一人に声をかけて、半ば無理矢理に連れていく。ウェイターたちも踊り出し、だんだん盛り上がってくる中で私にも声がかかってしまった。我々は水納島でこういう場合景気よく参加するように仕込まれているから、躊躇することなく舞台に行ってしまった。振り向くとうちの奥さんもついてきていた。

 なんだかよくわからないまま人の真似をして踊っていたら、最前列の白人のおばあちゃん(写真の左側の白髪の人)と目が合ってしまった。楽しんでいるようだ。

 ようやく音楽が止み、席について酒を飲んでいると、席を立ったその白人婆ちゃんが通りかかってきて、私にニコニコ微笑みかけながら、

 「Good dancer!!

 と言って肩をたたき、去っていった。私のダンスは、少なくとも婆ちゃんのハートはつかんでいたのだ。

歌は海を越える

 宴もたけなわではございますが……という時間帯だったようだが、ディナーショーのプログラムは船の運航予定よりも少々早く終わったらしく、ほんの少しポッカリと時間が空いたようだ。すかさずバンドマンがテンポのいい演奏を始めた。

 のんびり酒を飲んでいた私は、その何曲目かの歌に驚かされてしまった。なんと彼らが歌っていたのは、我々がこの年の1月にソロモンに行ったときに買ってきた、ソロモンの民族音楽的ポップミュージックのテープに収められている曲だったのだ!全部で20曲くらいあるそのテープの中でも、私が特に好きな曲である。席を立っていたうちの奥さんも、戻ってくるなり、

 「これソロモンの歌でしょう?」と訊いてきた。

 そばにいたウェイターに訊ねたところによると、これはハワイアンソングであるらしい。そこで私は、ソロモンでこの歌を聴いたことがある旨告げると、ウェイターは、おお、ソロモン、と言い、さもありなん、と頷いた。どうやらバージョンがいろいろあるらしいのだ。どちらが本家本元なのかは謎だが、ポリネシアとメラネシアの違いに関係なく、やはり南洋の海洋民族は地域を越えて文化を共有しているのである。

 そんな驚きもあった楽しいクルーズは、あっという間、と誰もが感じる2時間半であった。船は無事に港に帰ってきた。

タンタラスの丘

 この後は、乗ってきた送迎バスでタンタラスの丘、というところに行く予定だ。香港が百万ドルなら、80万ドルほどの夜景を見に行くのである。

 ダウンタウンを通り過ぎ、バスは街灯も何もない真っ暗な道をクネクネ曲がりつつ進んでいく。やがてワイキキを見下ろす小高い丘に着き、沿道にズラリと車が並んでいるところで降ろされた。

 眼下の景色は、普段伊江島の電照菊の照明で喜んでいる我々にとっては、たしかに80万ドル、いや、百万ドルの夜景だった。先ほどまで降っていた雨のおかげか空気はすっかり澄み渡り、遠く遙かなビルの輪郭までくっきり見えている。三脚があれば一分、二分くらいのバルブ撮影が可能なのだが、手持ちではそうも行かない。仕方なく網膜にしっかり焼き付けるにとどめた。

 土地勘もないこんな暗い道をレンタカーで来るというのは私にはとてもできないが、なかには果敢にやってくる日本人もいるようだ。ただしこのあたりは治安的にもデンジャラスな土地であるらしいので、100万ドルの夜景が本当に有料にならないよう、くれぐれも注意が必要だ。

今日も長い一日だった

 興奮冷めやらぬまま帰ってきたからだろうか、これまでの二日間はホテルに戻るなりパタンキューだったのに、今晩の父ちゃんは妙に元気満々である。おまけに小腹が空いたと言って、階下で茶漬けセットを買ってきている。うちの奥さんのやめときなよぉ〜という声も気にせずガシガシ食ったあと、食い過ぎちゃったよぉと言って悶絶していた。

 私は腹ごなしにちょっと散歩をして、ABCストアを何店かプラプラまわってみた。店舗の大きさの都合があるからだろうが、店によってはなかなかおもしろそうな物がある。コンビニと土産物屋が合体しているから、「ハワイの鳥」なんていう図鑑もあった。この稿でウンチクを並べている鳥の話は、実はほとんどこの図鑑によっている。

 部屋に戻ると父娘ともども酒を飲んでいた。結局私も付き合って飲むことになってしまった。潮騒が聞こえるラナイの風は今晩も心地よく、明るすぎず暗すぎないカラカウア・アベニューの明かりがえもいわれぬムードを作っていた(写真は夕方撮ったもの)

 時刻は10時半。明日はいよいよ最終日で、半日日帰りツアーの日である。7時30分くらいにホテルでピックアップの予定だ。あと一回分残った朝食ミールクーポンを使うには、明日しかチャンスがない。「クーポン券を無駄にするな4」のために、我々はベッドに潜り込んだ。

12月9日(木)へ

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