ハワイ紀行
〜またの名を暴飲暴食日記〜 |
12月8日(水)
さて今日は? 今日は16時半からはディナークルーズに出向くことになっている(ちょっとナマイキ、と思いました?)。それまでどうするか。 これまでにたびたびオリオリ・トロリーという乗り物が登場している。前にも述べたように、これはワイキキ周辺を周回する路面電車のようなバスのような乗り物だ。それとは別に、JTBのツアーにはオリオリ・スニーカーという、3時間程度で観光名所を回る無料のバスがある。一日に10便もあるので、ハワイに初めて来た人、もしくはそういう人を手軽に観光名所に連れていきたい人にとっては、なかなか便利な乗り物なのだ。 我々にはまさにうってつけであった。しかしうちの両親はそのオリオリ・スニーカーが回るコースは前回来たときにあらかたまわっているので、今日は忙しく動き回らずに、ディナークルーズに備え、ダウンタウンやビーチあたりでゆっくりのんびり過ごしてみる、という。かねてから私がすすめていたことをようやく実践してくれるのだ。ということで、オリオリ・スニーカーには我々3人だけが乗ることにした。 オリオリ・スニーカーの始発・終着はアロハ・タワーである。お昼時に帰ってくる便に乗れば、到着日に使わなかったランチクーポンを使える。うちの両親もそこで昼食をとるつもりでいたのでちょうどいい。初日に果たせなかった、ゴードン・ビアーシュでの昼食、といこう。うちの両親とは、お昼ごろにそこで落ち合おう、ということになった。 クーポン券を無駄にするな3 お昼時にアロハタワーへ帰ってくるには、遅くとも9時15分発の便に乗らないといけない。それから逆算すると、8時過ぎには朝食を終えていないといけないことになる。朝飯のために早起きする、というのは私にとってはまったくもって不本意なことなのだが、朝食のミールクーポン券がある。クーポン券を無駄にするな、という鉄則のもとではそんなワガママは許されない。 それに、このミールクーポン券は泊まっているホテルのレストランだけでしか使えないわけじゃなく、かなり多数のレストランで使用可能なのである。泊まるには高かったホテルのレストランなどでももちろん有効だから、今朝は巷で人気のハノハノルームに行ってみることにしよう。オリオリとかウィキウィキとかハノハノとか、ハワイには意味が分からなくてもとにかく楽しくなってしまう名前が多いのだ。 ハノハノルームはシェラトン・ワイキキホテルの最上階付近にある。ワイキキのホテル群とダイヤモンドヘッドを見渡せる、眺め抜群のレストランだ。ビュッフェの内容はともかくこの眺めだけでも行く価値ありということなのか、ともかく人気店らしい。だから希望の時間に行くためには予約をしたいところ。しかし朝食というのは基本的にどのレストランも予約を取らない。 となると込み合う時間、というのが気がかりである。昨日、例のオリオリ・フォンを使って聞いてみたところ、だいたい7時30分くらいから8時までが最も込み合うという。みんな早起きだなぁ。しかしそういう我々は、8時過ぎには朝食を済ませておかないといけないから、7時30分以前に着いていないといけない。いやはや困った。 昨晩同様12時ごろに目が開いたあと、なかなか寝付けなかったために少々寝不足気味ではあったが、気合いが優先したらしく6時半過ぎになんとか起きた。すでにみんな起きていた。私以外はみんな通常の起床タイムなのだ。 ハノハノルーム 歩いて10分ほどのシェラトン・ワイキキホテルに着いたのは、結局7時半ごろになってしまった。幸いハノハノルームはウワサほど混んではおらず、窓側の席にも楽勝で座れた。最初ダウンタウン方面側に案内されたのだが、あっちがいい、とダイヤモンドヘッド側に座った。飯食うついでに写真も撮りたかったのだ。 窓からの眺めはウワサに違わぬ爽快さ……であることには違いなかった。が、私はおのれの大誤算を痛感することになってしまった。このホテルからダイヤモンドヘッド側というのは西から東へ向いているわけで、朝早いこの時間、希望の光を街じゅうに降り注いでいる太陽が、おもいっきり逆光になっているのである。ウェイターはそのあたりのことを考えて、日が射し込むこちら側じゃなく、反対側に案内しようとしたのだろう。こんなことを我がカメラの師匠 KINDONに言おうものなら、「あったりまえやないですかぁ。な〜にやっとるんやぁ〜」と言われるに違いない。 逆光とはいえやはり眺めは抜群で、是非夕暮れ時にこの席に座ってみたいものだ。もちろんビュッフェもなかなか豪華である。サンシャインプリンスホテルでの朝食が小学校の給食に思えるほどだ。和食洋食とも用意されているので年輩の方にはちょうどいいし、用意されているフルーツやジュース類も種類豊富である。もう、全部食い尽くしてしまいたい!!という激情に駆られたが、一日はまだ始まったばかりなのだ。ここで食い過ぎて悶絶してしまってはしょうがない。 時刻表はちゃんと見よう 程良く食べ、人心地つけてから店を出た。まだ8時15分だ。順調である。 このホテルから少し歩いたところにオリオリ・トロリーのバス停がある。オリオリ・トロリーは8時半から運行してます、とさんざん見聞きしていたから、待つ間もなく乗れると確信していた。 最初のオリオリ・トロリーが来たのは8時半頃だった。しかし行き先を示すボードにはダイヤモンドヘッド、と書いてあった。父ちゃんはあやうく乗りかけたが、逆方向だから乗ってはいけない。ほどなく次のトロリーが来た。やっと来たか、と思って近づくと、またしてもダイヤンモンドヘッド、と書いてある。その次来たとき、ようやくかよ、待たせやがって、と思ったらまたダイヤモンドヘッドの文字が。おいおいおい、8分間隔の運行はどうなってるんだよう、と思ったとき、頭の中に稲妻が走った。 8時半から運行している、というのはもしかして一台ずつ始発のアロハタワーから出発している、ということか!?愕然として手持ちのガイドブックを取り出し、このトロリーの時刻表を見てみると……ああああぁぁぁぁ……。 始発の場所こそ違ったが推測はおおむね正しく、さっき父ちゃんが乗りかけたヤツが1便で、結局のところあれがダイヤモンドヘッドから帰ってこないとアロハタワー行きは来ないのだ。間違って父ちゃんが乗っていてもまったく問題なかったんじゃないか。それにしても、私の稲妻はどうして事前に走ってくれないのだろう……。 オリオリ・トロリーの実力 ようやく待ちに待ったアロハタワー行きがやってきた。かれこれ1時間ほど待ったことになる。こんなことだったらもう少しハノハノルームにいてゆっくりしていればよかった。 すでに9時15分発には間に合わない。ヘタをすると9時45分発だって危ういが、時刻表を信じる限りでは間に合う。バス停にはとても一台には乗り切らない人数がいたが、誰よりも先にここに来ていた我々が、多すぎるために乗れませんと言われたんじゃぁシャレにならない。ショッピングセンター前だから整理係がいるとはいえ、南国なのでいったい何のためにいるのかわからない仕事ぶりだ(とはいえ彼らが整理券を配る、なんてことをするのも似合わない)。だからなんとしてもこれに乗るのだ、と気合いを込めて乗り込んだ。予想通り、乗れずに後に残された人たちは大勢いた。時刻表をあらかじめ知っていてハノハノルームで粘っていたら、危なかったかもしれない。 乗客のほとんどがアラモアナショッピングセンターで降りるまで、このアロハタワー行きの始発にはそれ以上人が乗ることができず、バス停で指をくわえて見送るだけの人がたくさんいた。みんなこっち方面のトロリーを長い間待っていたに違いない。 やや時刻表より遅れていたから、45分発にすら間に合わないのじゃないか、と気が気ではなかったが、トロリーの運ちゃんも時刻表どおりにしようと必死なようで、もの凄い勢いで飛ばしていた。普通乗用車をグングン抜かしていく。この乗り物がこんなにスピードを出せるなんて知らなかった。 アロハタワーへは9時43分に着いた。ぎりぎりである。この便がここに再び戻ってくるのは13時になるものの、まだランチクーポンが使える時刻だから大丈夫だ。 オリオリ・スニーカー内はそれほど混んでいなかったので一安心した。人数確認を済ませたあと、ほどなくバスは発進した。 オリオリ・スニーカー オリオリ・トロリーと違って、このオリオリ・スニーカーは普通の観光バスである。だから以後は単にバスと書く。ただし乗り物が単なるバスとはいえやはり市バスとは違い、ちゃんとガイドしてくれる。もっとも、前にも言ったようにきれいなおねーさんのバスガイドではなく、運ちゃん自身のガイドだ。 しかし、この運ちゃんたちのガイドをなめてはいけない。彼らにはガイドのコンクールのようなものもあって、全ハワイ的に日々研鑽を重ねている正真正銘の立派なガイドなのだ。そんなガイド運ちゃんにもいろいろあるようで、知識欲を満足させる部分と、笑いをとる部分の割合が人によって異なる。我々が乗ったバスの運ちゃんは、どうやら笑いをとる方に重きを置く運ちゃんであった。 でもやはりガイドである以上、いろいろなことを教えてくれた。私としては、車窓から見る景色ももちろんながら、話を聞いて目に浮かぶハワイも十分楽しかった。聞いてみると予想通り沖縄とそっくりで、ときおり車検切れの車が走っている、とか、田舎の方ではいまだに無免許で乗ってるとか、雨が降っても誰も傘を差さないとか。やはり南国なのだ。ハワイでネクタイをしている人と言えば、日本の添乗員か出張で来ているビジネスマンくらい、と言っていた。官公庁、民間企業みんなアロハなのだろう。沖縄の役所や銀行が最近始めた「かりゆしウェア」というのはこれを真似しているのかもしれない。 謙虚な役所 バスは、高速に入る前にダウンタウンを通る。途中で有名なカメハメハ大王像を車窓から見た。その向かいにあるのがイオラニ宮殿だ。このあたりには明日来ることになっている。 ダウンタウンは官公庁街でもあるので、これら観光名所のほかに銀行や病院などもあって、ホノルル市役所もあった。 これだけの観光地で、何十万人が住んでいるホノルル市の役所ともなれば、さぞかし立派な建物か、と思いきや、運ちゃんが指し示した建物は、いやはや、謙虚きわまるささやかな庁舎であった。これならその維持管理費もそんなに高くはならないだろう。役所を周囲よりもひときわ大きく造るのは、独裁国家と社会主義諸国とそして我が日本だけなのである。 100万人都市の役所のような村役場を建設中の恩納村の役人や村会議員たちも、研修と称してきっとハワイに来ることがあるだろう。ゴルフばかりせずにこういうところをしっかり見に来い。 クリスマス・シーズンということで街の至るところに飾り付けがなされていた。ホノルル市役所の庭にも、超特大のサンタクロースが夫婦で並んでいる。サンタの奥さんを見るのも初めてだが、胸元をはだけ、裸足でいるサンタを見るのも初めてだった。 ガイドも日々勉強 やがてバスは高速道路に入った。運ちゃんがわざわざ説明してくれるまでもなく、インターチェンジには料金所がないことに気づく。ハワイに限らず、アメリカ国内では高速道路にお金はいらないのだ。そもそも税金で勝手に造ったインフラ整備の元を取るために、さらに料金を徴収する、なんて日本だけなのに違いない。しかもその料金は、当初何年後には無料になります、とか言っておきながらその実年々上がっていくのだ。法の華が詐欺というのなら、これも立派な詐欺じゃないか。 目的地付近までは単調な高速道路なので、周囲に見えるハワイ大学とかショッピングセンターなどいろいろな施設を紹介するほかに、それに関連して運ちゃんはいろいろネタを話した。 それにしても日本のことをよく知っているものだ。 ハナウマ・ベイ そうこうするうちにバスは最初の目的地、ハナウマ・ベイに到着した。現地語でハナかウマのどっちかが「湾」を意味する言葉なので、それにベイをつけるのは変なのだがそれはいい。 写真を見てもらえればおわかりいただけるように、ここもクレーターである。ダイヤモンドヘッドと同じく、例の「マグマ水蒸気爆発」で出来た地形なのだそうだ。 こんな高いところで指をくわえて見下ろしているだけなのが悔やしいほどの、美しい天然のビーチだ。しかしここには、団体客はワイワイガヤガヤと押し入れない。 無法状態だった頃、休みなしに大勢の人が訪れ、ゴミは出すわ餌付けしまくるわ、ということで随分海自体が汚れてしまったそうだ。そこで当局が、入場は個人客のみという規制を作り、火曜日は完全入場禁止、餌付けは全面禁止、など様々な制約をこしらえたそうである。目先の利益よりも環境優先なのだ。行政の思想的すばらしさである。でも、水納ビーチが、年々汚れているから5年間入場禁止、なんてことになったら島は生活していけないけどね。 バスは再び発進し、海辺の道を引きつづき進むと、ハナウマベイ以外にも天然の素晴らしいビーチがたくさんあった。ワイキキビーチなんかと比べると格段に水がきれいだし、そもそも人が少ない。地元の人から言わせれば、ハナウマベイですらきれいじゃないという。みんなこういうところに来るんだそうだ。 でもこの季節だからだろうか、ハナウマベイのもっと手前、ダイヤモンドヘッドを過ぎたあたりから、岸には強く激しい波が打ち寄せてきている。北東の風だから、島影のワイキキビーチとは比べものにならないくらいに荒れている。せっかくこんなところまで来たのに、荒れているから泳げない、ってことになった日本人客もいることだろう。その点ハナウマベイは、クレーター状の入り江のおかげで、うち寄せる波は穏やかであった。 ハロナ潮吹き穴 しばらく海沿いの道を走り続けると、バスは「ハロナ潮吹き穴」というところに着いた。海に流れこんだ溶岩に程良い穴が空いていて、波が打ち寄せるとその穴から水が噴き出し、その様子がまるで鯨の潮吹きのように見えるところだ。さして珍しいとは思えないけれど、とりあえず観光名所である。 バスから降りてみると強風であった。しぶきがかかってくるほどだ。いろいろなガイドブックに載っているここの写真はどれもみな見事な潮の噴き方で、白い水柱が天まで昇る勢いなのに、我々の目の前には、なんだかアイロンの霧吹きのようなささやかな噴水があるだけだった。どうやらこの強風のせいで、穴から出た水が途端に霧散してしまっているためらしい。そのささやかな噴水もかなり待って一度あるかどうか、だったのに、ここの滞在時間はわずか10分である。駆け足ツアーの定めである。 ラッキー! 海沿いの道が続く。気がつくと沿道はダイヤモンドヘッドで見たような層状の岩の露頭で、草木がまったくと言っていいほど茂っていない。ちょうどそのような露頭だけの土地が途切れようか、というころ、バスはシーライフパークに着いた。アシカやイルカのショーが見られるところである。 このシーライフパークがオリオリ・スニーカーのツアーでは一番ややこしいところで、乗ってきたバスはここに15分しか停車しない。イルカのショーを見たい!という人は以降のバスに乗らなければならない。けれど後続のバスが満員だと当然乗れない。そうなると他の公共の交通機関(もちろん有料)を使わざるを得なくなったりするのだ。 我々はお昼時にアロハタワーに戻る、という大前提がある以上、後続のバスに乗って帰る、なんていう選択肢はなく、15分で見て回れるものでもないからこのまま乗っていよう、と思っていた。ところがなんとなんと、オリオリ・トロリーのワナにハマって乗りそびれてしまった9時15分発のバスが、我々の目の前に停まっているのだ。しかも運ちゃんは、そのバスは5分後に出るので乗り換えたい人は前のバスに行ってくれ、と説明している。これはラッキーである。30分早くアロハタワーに着けば、うちの両親とも会えるだろう。 今乗っているバスの運ちゃんは、ご丁寧にも、前のバスの運ちゃんはガイドコンクールで優勝した人だから、素晴らしいガイドを聞きたい人は前に行ってくださいね、と冗談込みで説明していた。それを聞いて前のバスに行ったんじゃぁ気を悪くするかなぁ、などといらぬ気遣いをしてしまった。運ちゃんに前のバスに行く旨を告げるとき、気持ちを込めてサンキューと言ってやったがはたして通じたかどうか。 ウルトラガイド 前運ちゃんが言ったとおり、乗り換えたバスはきっちり5分後に発進した。新運ちゃんは、運ちゃんというのが失礼なほどのジェントルマンであった。なにしろガイドコンクールで優勝しているのだ。それでは聞かせていただきましょう! いやはや、さすがである。 なのにどうしてみんな寝てしまうんだろう。芸の域に達しているガイドというのに。我々夫婦以外に起きているのは数えるほどしかいなかった。もちろん父ちゃんも寝ていた。 荒蕪の地の謎 シーライフパークを過ぎて程なくの頃からだろうか、左側に大きな山脈が見え始めた。コオラウ山脈だ。 たしかに言われてみればいつの間にかあたりには緑が溢れている。ダイヤモンドヘッドやさっきまでの山肌に草木がなかったのも、ワイキキあたりの年間降水量が少ないのもこの山脈のせいだったのだ。きっと、風雨があるから土壌ができて、木々が育つのだろう。逆に向こう側は雨が降らないから土壌ができず、ギンネム程度の草木しか育たないのだ。 アケボノの里 そんな瑞々しい町をバスは進む。このあたりまで来ると完全にジモピー一色で、ローカルという雰囲気が濃厚に漂う。道々にはいろいろな果樹があり、家々はどれも慎ましく素朴である。商店があって、食堂がある。そこかしこに土地の人々の生活感が溢れているのだ。我々夫婦が旅行に求めるのはこういった雰囲気なのだけれど、バスはどんどん進んでいく。 横綱曙が生まれ育った町も通った。曙のお母さんが経営しているという店(なんの店だったか忘れた)がスーパーマーケットの一角にあって、店名を「 SUMO」という。笑えるでしょう?その脇には曙の銅像があった。 日本人が考える相撲の決めのポーズといえば、土俵入り時のどの部分かだと思うのだが、我々が目にした曙はおかしげな阿波踊りをしていた。突っ張りかなんかで相手を押し出した瞬間のような変なポーズなのだ。これは見解の相違か。いずれにしても、今後横綱曙の取り組みを見るときは、「SUMO」で働くお母さんのことまで考えないといけなくなってしまった。会ったわけじゃないけど。 ヌウアヌ・パリ展望台 右に行けばアグネス・ラム(なつかしい!!)が通っていた学校だ、という交差点を左に曲がり、バスは平地から山間に入っていった。目指すはヌウアヌ・パリ展望台である。 この展望台は、山肌をえぐるような強風を年中受けているコオラウ山脈の狭間にあり、海辺の街を見渡せる場所にある。ただしここは、その眺めよりも吹き付ける強風が一番のウリなのだ。 バスを降りてまずビックリしたのは周囲の音である。こっちではオーストラリアン・アイアン・ウッドと呼ばれるモクマオウが風に吹き付けられて傾いでいて、その木々の奏でている音が、水納島で台風の時に聞く音だったのだ。 そのまま展望台に向かって歩いていくと、見学を終えてこちらに向かっている人々がなぜかみんな駆け足である。「?」と思った疑問は一瞬で消えた。もの凄い風なのだ。正面を向いていては息ができないほどの強い風に、みんな背中を押されていたのである。 みんな丸が欠航するほど海が荒れている冬の水納島でさえ風はこんなには吹いていない。この風の強さは、台風まっただ中の桟橋状態くらいだろう。風が強すぎてうちの奥さんなどは目が開けられず、眼下に広がる海辺の街をまったく眺められずにいたほどだった。なんだか知らないがおかしくなって、3人でゲラゲラ笑ってしまった。 いろいろなガイドブックでこの展望台の写真を見ても、そこに写っている人の雰囲気からはそれほど強烈な風が吹いている印象は受けない。きっと時期や日によって風の強さが大きく変わるに違いない。ウルトラガイドが言うには今日よりももっと強く吹く日もある、ということだった。 ちなみにこのヌウアヌ・パリ、展望台だけじゃなくて、カメハメハ大王がハワイ統一に向けての最後の大激戦をしたところとしても知られている。大昔のことかと思っていたら、なんと19世紀に入ってからだった。カメハメハって名前を聞いても今ひとつ強そうに思えないけれど、武力でもってハワイ全島を統一したれっきとした王様なのだ。大王なんて、アレキサンダー大王、閻魔大王、ニコチャン大王くらいしかいないんだから相当なものに違いない。 ワイルド・ポトスの底力 ヌウアヌ・パリを後にし、バスは峠越えの道を進む。両脇には鬱蒼と木々が茂り、その幹には巨大な葉を持つツル状の植物が巻き付いている。なんだろうと気にしていたら、ウルトラガイドが、それはポトスだ、と説明した。ポトス。ええっ!?でもポトスって観葉植物のだろう?葉っぱなんてせいぜい5,6センチくらいじゃないか。今目にしているのは一枚の葉っぱが30センチくらいあるのだ。 ウルトラガイドによると、ポトスというのは、はじめこそ小さな葉っぱだが、背の高い植物にとりつくと、成長して上に伸びるごとに葉っぱが巨大になっていくのだそうである。たしかに、取り付いている木の根本近辺を見ると、見慣れたサイズの葉っぱがあった。 そんな山道を進むなか、ときおりむき出している沿道の露頭を見ると、このあたりの土壌は沖縄本島北部でおなじみの赤土だった。由来は違うのだろうが、風化の末にできあがった土壌は赤い酸性土壌だったのだ。パイナップルの名産地は沖縄もハワイも赤土なのである。ウルトラガイドによると、ここでは畑のほかに、Tシャツを染めるのにもこの赤土を利用しているという。 ワイキキに戻ってからTシャツ屋でその赤土Tシャツを見たが、なるほど、ひと味違った赤茶色だった。沖縄の学校のグランドはたいてい赤土なので、体育の時間転んだりすると二度と落ちないくらいに紅く染まってしまうため、お母さん方はとっても苦労している。それは本土にまねて体操服を白くするからだ。ちゃんと風土にあわせて体操服をもともと赤土で染めたものにすれば、転ぼうが何しようが汚れはまったく目立たないのに。 やがてバスはふもとに達し、街を通り抜ける。そこはどうやら宗教銀座らしく、浄土真宗から天理教まで、ありとあらゆる日本の宗教施設が並んでいた。日本各地から様々な人々が移民しているため、宗教もそれに応じて定着しているのだという。日本にある宗教でハワイにないのはオウムと法の華だけです、とウルトラガイドは言っていた。 |