11・運命の35キロ地点
このマラソンを走るに際し、僕にはひとつだけ秘密兵器があった。 カセットやCDのウォークマンを携えて走るのはごめん蒙りたいところながら、これだけ小さければなんの負担にもならない。 周囲の風景を眺めつつその音も楽しむ、ということもたしかに楽しいものの、長丁場の時間の経過を紛らわすためには音楽は欠かせない。 …とここまで来たものの、ここに来て、ついにイヤホンを耳に入れていることすらうっとうしくなってしまった。 音楽一つ聴くのも億劫になっているほどだから、筋肉疲労は相当なもので、 30キロ地点を通過したときには、2.5キロごとの給水所すら気が遠くなるほどの遠い遠い目標になっていた。なにはともあれ30キロ。 ついにここまで来たのか………。 ここに至るまでの来し方 30キロに比べれば、残り12.195キロなどハナクソのようなもの…… …と思うでしょ? ここからが。 ここからが本当のフルマラソン人生劇場の始まりだったのだ。 30キロ地点から次の給水ポイントに向かう間に、僕はもうこのままのペースではとても走り続けられないであろうことを確信していた。 なにしろ脚にまったく力が入らないのである。 どこかが痛いの痺れるのだったらガマンすればなんとかなる。 でも力が入らないとなると、根性の持って行き場がない。 スローダウンを余儀なくされるであろう僕とこのまま一緒に走り続ければ、両者共倒れになってしまうかもしれない。 そこで、 32.5キロ地点の給水所で、ここまでずーっと一緒に走ってきたうちの奥さんと訣別することにした。いつもは見せない神妙な顔をしつつ、彼女はそのまま走っていく。 背中がだんだん遠ざかっていく。 しかしだからといっていつまでも歩いていていいわけではない。遅くとも 35キロ地点に達する頃には、制限時間まで1時間を残しておかないと、1キロ8分ペースで走ってもタイムリミットまで間に合わない。脚の状態を考えると、たとえ残り1時間あったとしても、残り7.195キロを1時間で走れる自信はなかったのだが、ともかく今はしょうがない。 1キロなんて距離は、車だとあっという間だ。 33キロ。 え゛ッ…………? このまま歩き続けていると、たしかに残り1時間を有して 35キロ地点に到達できはするだろう。でも、前述のとおりそこから制限時間内にゴールする自信がない……。ここはひとつ、もっと早めに 35キロ地点に到着すべく、少しずつ走るとするか……。 で、走ろうとすると…… 今こうして走り続けることができなくなり、やむなくしばらく歩いてからいざ走ろうとすると、脚が脳の指令をきいてくれない。 走っては歩き、走っては歩き……を繰り返しながら、時おり立ち止まってはマッサージしつつ、それでも 35キロ地点を目指す。そうこうするうちに、ようやく、ようやく 35キロ地点にたどり着いた。時計を見れば、残りあと1時間 15分。まだ、走れば充分間に合う。 走れば……。 黒砂糖を頬張り、水分を補給しながら、しばらく脚のマッサージ。 ここから歩いても間に合うのだったら、このまま最後まで歩きとおしていたい。でも、残り7キロ余を1時間 15分で歩いていくのはちょいとムツカシイ。どこかで走らねば。 どこかで走らねばならないのだったら、とりあえず今走ろう……。 ああもう、すべてを投げ出してその辺の石垣に腰掛け、日が暮れるまで脚をプラプラさせつつ口笛など吹いていようかなぁ………。 そうだ、もう休んじまえ!! 耳元の悪魔の声が、まるで天使のささやきのようですらあった……。 そのとき!! えっ??まさか………まさか!? どうしたヤマトよ!? |