9・どんどこ応援団

 15キロ地点は長い登り坂の途中にある。
 コース中最も長い登り坂だから、ちょうど疲れが出始めるであろう
10キロ過ぎあたりでの第一関門と覚悟していた。

 ところが、覚悟していたほどには勾配がきつくない。
 あれ?これがあのグラフの坂??

 頭の中ではコースの起伏のイメージがかつて経験した本部路のまま入っていたので、それが覚悟したほどではないことにちょっと……いや、ものすごく安心した。
 これに比べれば、海洋博トリムマラソンの終盤なんて鬼のようですらある。

 後刻、年間3、4回はフルマラソンに出場するというマラソンマン・マサカッちゃんに聞いたところ、この石垣島マラソン大会のコースはけっこう勾配がきついほうなのだという。
 少なくとも、彼がこれまで出場してきた数多くの大会の中では最大クラスなのだとか。

 もっとも、ハーフまでの距離だったらもっと急勾配になるそうだ。実際、石垣島マラソン大会のハーフコースも、途中バンナ公園を登りつめる勾配はかなりきつそうだった。
 そうか、海洋博トリムは当時の最長が20キロ弱だったから、言ってみればハーフ規模。だからこそ勾配が急に設定されていたのか。

 そんなこととはツユ知らず、マラソンにおける勾配にビビッていた僕たちは、コース中最長であろう登り坂を越えつつ、ほんの少し眉が開かれる思いがしていた。

 今年の石垣島マラソン大会の場合、前述のとおり15キロから25キロまでの間がもっとも起伏に富んでいる。
 で、その
20キロ地点ちょい手前の登り坂頂上付近が、応援するにはうってつけの場所なのだという。

 「そこで待ってるね!」

 Yさんご夫妻が前日そうおっしゃっていた。
 ただし問題が。
 我々がそこを通過する前に、マサカッちゃんはゴールしてしまうかもしれない。

 ひょっとしたら誰もいないかもなぁ……と一抹の不安を抱きつつ坂道をエッホエッホと登っていくと、見覚えのある男性のシルエットが見えた。子連れだ。

 ん?

 あっ!!
 ふくみみ・オーホリ!?
 その子はツムタンか?
 ってことは、そこには当然のりだーもユイマルも??

 いた!!
 
Yさん夫妻もマサカッちゃんの奥さんスダちゃんも、そしてそしてふくみみ一家も!!
 さらにそこには、こんな横断幕まで用意してくれてあった。

 この写真を撮るために、マラソン中だというのに僕はこんな目に遭っていたのだ。


撮影:Yさん。右の沿道の方々が、通称「どんどこ応援団」のみなさん。

 横断幕と一緒に撮って!とうちの奥さんがいうのである。
 立ち止まるわけにはいかなかったので、バック走。
 このときはまだ余力があったとはいえ、こういう余計な動きがあとあとこたえてくるんだよなぁ……。

 ちなみに。
 この日のためにふくみみ夫人のりだーディレクターのもとにみなさんで作ってくれたという横断幕、走っているときは疲労のため写真と同じくらいピンボケモードだったから細部まで読めなかったんだけど、後刻じっくり見せてもらったら、こう書かれてあった。


名前部分のグラデーションにちょっと感動。
でも、&の文字が反対なんですけど……。

 「ネバーギブアップ」はわかるにしても、「歩くな!」ってあんた………無理ですって!!

 ともかくこの20キロ地点ちょい前の我々は、多少の余裕があったこともあって、こんな感じで走っていたらしい。


撮影:ふくみみ・おーほり

 カメラ片手に写真を撮りながら走っている姿を見た通称「どんどこ応援団」に、ついに林家ペー・パーと呼ばれることになってしまった……。

 このときはまだKIN言どおりにしっかりと小股すり足走法を維持し、笑顔を交えつつゆっくりのんびり走っていたわけだけど、それを目にしたふくみみ夫人のりだーは、だんなにこうつぶやいたという。

 「あれくらいゆっくりでも間に合うんだったら、私でも走れそう!」

 よーし、来年必ず走れよ!!

 こうして我々は無事20キロ地点を通過し、その勢いで中間地点バラン星にもたどり着いた。

 中間地点までの制限時間は3時間。
 そこを2時間40分ほどで通過。
 おお、今のところ予定通りだ。このまま走れれば充分間に合う!!

 …そう、このまま走れれば。
 我々がこれまで走ったことがある最長距離は、練習時に走った21キロチョイだった。
 中間地点バラン星から先には、まったくの前自分未到の世界が待っているのだ。

 ここに至るまでは、これまで走った過去3度の20キロ走と比べれば、最も快適だったかもしれない。
 しかしこのあたりから、静かに、しかし確実に、ジワリジワリと疲労大魔神が我々の肉体を蝕み始めていたのである………

 急げヤマトよ、イスカンダルへ!!
 人類は君の還りを、君の還りだけを待っている!!

 地球人類滅亡まで………………あと3時間20分!!