20・ ギリシア 父ちゃん劇場

 さして大きくはないタオルミーナの街にも、これ!という観光名所がある。
 そのひとつが……というか唯一といってもいいのが、ギリシア劇場だ。

 紀元前にギリシア人によって建設され、その後ローマ時代の2世紀前後に闘技場に改められ、現在の姿になったという。

 ようするに遺跡なんだけど、今もなお、夏場になると様々なイベントや演劇が催される会場でもある。

 街の古い建物同様、遺跡まで現役なのだ。

 このギリシア劇場はさすがに見逃せない。
 なので、本当は午前中の現地ツアーのあと、午後に散策しようと思っていた。
 ところが、様々な方が撮った数々の写真と現地の地図を見てみた結果、背景込みの素晴らしい風景を眺めるには、午後よりも午前中のほうがより美しく見えるのではないかと気がついた。

 なのでこの日は、10時からの現地ツアーの前に、ちょこっと散策してみることにした。

 以上の話は、もちろん父ちゃんにも説明してあった。
 なのに。
 朝食後、そろそろギリシア劇場に行きましょう!!と言うと、

 「オペラ観んの?」

 へ?
 だから、ギリシア劇場は遺跡なんですってば!!

 というか、我々の予定にオペラ鑑賞なんてものは含まれてない、って話はすでに5回くらい言ってあるのに、なぜか異常にオペラにこだわる父ちゃん。
 というのも、その昔実家の若夫婦がイタリア旅行した際、ミラノでオペラを観た、という話を最近聞いたらしい。
 以来、ことあるごとに「ミラノには行くの?」「オペラは観ないの?」と尋ねてくる父ちゃん……。

 言うまでもなく、70年の人生でオペラを観たことなど一度もない。
 でもどうやら、「オペラを観る」というのが、なにやら人生における得体の知れない「箔」のようなものになっているようだった。
 観に行ったら3秒で飽きるのは間違いない、ということはあまり考えないらしい………。

 そんな次第なので、この期に及んでも「オペラ」にこだわっている父ちゃんなのだ。
 たしかに、遺跡に興味がないんだったら仕方がないか……。

 そんなギリシア劇場へは、ホテルから徒歩たったの15分!!
 緩やかな階段を昇っていくことになるとはいえ、なんてことはない散歩道である。
 が。
 早朝からワインで出来上がっている人には、けっこう辛い道のりらしい………。

 だから飲むなって言ってるのに!!

 そのくせ、階段を昇っていくのだと知るや、誰よりもサクサクと進んでいく。

 両サイドにたわわに実ったオレンジの木が建ち並ぶ、ホントに素敵な階段。


写真左側に、バビロニアというイタリア語学校がある

 こういう風景を楽しみながら休み休みゆっくり昇っていけば、しんどくもなんともない階段なのになぁ。
 あくまでも一人サクサク行く父ちゃん。
 自分が整備したグランドはいつでも人に見せたがるくせに、人が作ったこういう景色にはまったく興味を示さないなんて、ひょっとしてB型なのか??<AB型です……娘・マサエ談

 …と思っていたら、ふと立ち止まって何やら観ている父ちゃん。
 なんだろうと思ったら………
 …家庭菜園なのだった。

 なるほど………ツボはそこだったか。

 とにかくそんなわけで、僕としてはここをゆっくり上って行けばちょうど時間どおりという配分だったのだけど、サクサク行くものだから案の定、オープン前に到着してしまった。

 9時のオープンまで、ゲート前で待たなければならない。
 すると、それはそれで3秒で飽きてしまう父ちゃん。

 ホントにもう、振り回されっぱなしの我々なのである。
 でも。
 そんな気苦労もお釣りが来るほどに、ギリシア劇場はウワサに違わぬ大絶景だった。

 影の長さからすると、午前中でもお昼前くらいのほうが理想的だったみたい。
 でも、午後遅くに逆光で観るよりは、やっぱ朝で正解だったに違いない。
 それに、朝イチだから人も少ない。
 人が少ないと、こういうことができる。

 この写真、どこで何をしているかわかりますか??
 そう、ご存知うちの奥さんのライフワーク!!

 名所で大の字♪
 ギリシア劇場で大の字、達成。

 それもこれも、人が少ない朝イチに来たおかげ。
 ちなみに、ここは海に突き出た崖の上という立地なので、背後もまた絶景だ。

 残念ながら、輝くブルーで知られるタオルミーナの海は、到着日の大雨の影響で台風後の沖縄本島沿岸のように濁っていたけれど、晴れ渡る空の下、イタリア本土を遠望できる風景はまさに絶景かな絶景かな!!

 紀元前の昔から人々が眺めていた景色である。
 この劇場は、サイズ的にはシチリアの中ではシラクサにある劇場についで2番目の大きさなのだそうだけど、その立地による絶景はきっと他の追随を許さないに違いない。
 ホントに素晴らしい眺め。
 ここで酒飲んだら美味いだろうなぁ………。

 面白いことに、もともとは美しい大理石で飾られていたこのローマ時代の闘技場も、世の中がキリスト教社会になったあとは、ただの建築資材供給場になり果て、高級な大理石はものの見事に剥がされてしまったそうだ。
 そのため今残る壁はすべてレンガの部分というわけ。

 でも。
 そのおかげで、観客席に座ると壁の間から海やエトナ山の眺望が楽しめるようになっている。
 そのため、劇場を元の通りに復元すると景色が一変してしまうということで、誰も復元しようなどとは言わないらしい。

 たしかにこの絶妙な裂け目がないと、魅力は半減するかもしれない……。


地面から裂け目を観ると、エトナ山が……

 タオルミーナには、実はこのギリシア劇場のほかにもギリシア・ローマ時代の遺跡が今なおたくさん眠っているらしい。
 でも大昔からヨーロッパ各国の人たちにとってのリゾート地だったタオルミーナである。
 わざわざお金をかけてまで遺跡を発掘して観光資源になぞせずとも、たくさん人がやって来る。
 ということもあって、それら遺跡の発掘調査にはまったく積極的ではないらしい。

 カフェ・ソラリスそばのオデオンも、ギリシア遺跡の上にローマ人が作ったオデオンがあって、その上に中世になって教会が建てられていたもので、教会の修復だかなんだかをする際に、たまたま見つかっちゃった、っていう存在なのだとか。

 逆に言うなら、ギリシア・ローマ時代の遺跡を歯牙にもかけないほどに、タオルミーナという街は一大リゾート地なのだ。

 歯牙にもかけないといえば!!
 ここにも一人いた。
 こんな素敵な景色、ギリシア・ローマの遺跡である。
 人生の中で、そうそう何度も来られないであろう場所で、この晴天である。
 ただ座って、ボーッとしているだけで気持ちがいい………

 …と思っていたのは、我々夫婦だけだった。
 客席から劇場を眺めて、ものの3分ほど経ったかどうかで……

 「も、いいやな?な?」

 早くも飽きてしまった父ちゃん。
 12時間も飛行機に乗って、いったい何をしに来たんだろうか………。

 飽きてしまった父ちゃんを無視して、例の大の字作戦で遊んでいると、

 「やめとけよぉ…」

 などと理性のあるところを見せようとする。
 そのくせ。
 しばらくして姿が見えなくなったなぁ…と思っていると、

 「お〜いっ!!」

 下のほうから大きな声がした。
 へ?
 劇場方面を観ると、

 撮ってほしかったんかいッ!!

 そのくせ、アップを撮るまでは待っていられない父ちゃん。

 そんなこんなでちょっぴりペースを乱されつつも、たっぷり小一時間ほど、ゆっくりギリシア劇場を堪能させてもらった。

 今日もいい天気。
 客席では、古代のギリシア人やローマ人たちも愛でていたであろう草花が、風に揺られて微笑んでいた。