46・カエサルの家
3月7日の朝。 昨夕のローマ到着時は街の規模に圧倒されたけれど、それから2度外出して、コルソ通りのような大通りに出てしまえばとりあえずなんとかなるかも……って気にはなっていた。 立派な建物に挟まれたコルソ通りを南下すると、最初から視界の正面にデンッと腰を据えているのが、純白の衣装に身を包んだヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂。 その手前にあるヴェネツィア広場は、ローマの旧市街の中心になる。パレルモで言うならクアットロ・カンティのような場所だ。 でも、ちゃんと信号はあるのだった。 めぢから。 近寄ってくる車をちゃんと観ることによって、その視線がドライバーに伝わり、ドライバーもキチンと歩行者を把握できるのである。 さて、このヴェネツィア広場の脇から眺めるヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂。 この眺めは、このシーンでおなじみだ。 そう、不朽の名作「ローマの休日」。 ローマの観光に関しては、もともと僕は塩野七生の「ローマ人の物語」が好きなこともあって、基本的にローマ時代に的を絞って歩いてみようと思っていた。 ところが、旅行直前に発せられた父ちゃんの予想外の発言。 「ガイドブック借りたんだけどよぉ、遺跡ばっかりでわけわかんないから勉強するのはあきらめた」 てっきりそういう遺跡と歴史にこそ興味があるものとばかり思っていた僕にとってはまさに予想外。 だったら、ローマ時代の遺跡を巡りつつ、基本は「ローマの休日」で行こう! ……という作戦に変更している。 その白亜の建物の脇を通り、広い階段を登ってたどり着いたのはカンピドーリオの丘。ローマ時代のようにラテン語で呼ぶならカピトリーノの丘だ。 ローマが国としてこの地に産声をあげた当初は、この周囲にならぶ7つの丘がすべてだったそうで、なかでもこのカピトリーノの丘には最も神聖なユピテル神殿が建てられたいたのだとか(下の写真右側に写ってる美術館のあたりに建っていたそうな)。 その後帝国となった全盛時も絶えることなく神聖な場所として存在していたこの丘も、今では美術館や市庁舎が建ち並ぶ美しい広場になっている。<ちなみにミケランジェロ設計。 その広場の真ん中におわします方こそ、我らがマルクス・アウレリウス。
なんで「我らが」なのかってのは、ホテルの近くに彼の記念柱があるから、ですからね。 この騎馬像はレプリカで、ホンマモノは傍らにある美術館にあるってことは知っていたけど、こんなにでかいものだとは知らなかった……。 ローマ時代にはギリシア彫刻がいっそう研ぎ澄まされ、数々の像を眺めることが金持ちにとっても庶民にとっても娯楽の1つになっていたそうで、時の実力者が造る公衆浴場などには、周りに多数の像が並び立っていたという。 ところがキリスト教社会になって、そういった「像」の価値が一切否定されるやいなや、中国の文化大革命なみに数多の美術工芸品が破壊されてしまった。 現在目にすることができる当時の作品は、たまたま、もしくは意図的にその難を逃れ、ルネサンス以降、上代のモノの価値が再認識されるようになってから再び脚光を浴びたものである。 このマルクス・アウレリウスの優雅な騎馬像も、奇跡的に破壊の難を逃れたものが、これまた奇跡的に発見されたからこそ、今日の雄姿があるわけだ。 そんなマルクス君の歓迎を受けつつ、我々が目指すのはここにあるカピトリーノ美術館ではなかった。 フォロ・ロマーノ!! こういう小さな写真で観るとチッポケなセットみたいに見えるのはなぜ?? でっかい!! こうして眺めていると、手前のサトゥルヌス神殿は、カエサルが軍団を従えてローマに進入してきたときに軍資金を調達した国庫があったところですよ、とか、そこの凱旋門はセプティミウス・セヴェルスの……とか、その他なんとかかんとかなどどうでもよくなる。 フォロというイタリア語は、ラテン語ではフォルム。 ギリシアの都市国家で見られた直接選挙制をある程度は踏襲していたこともあって、国の規模が小さかった当時のローマでは、すべてがここで決定されていた。 が、やがてローマ自体の勢力範囲が広がっていくにつれ、そういった制度ではモノゴトを動かすのに限界がある、と考える人が出てきた。 合理的な考えの持ち主が後者を選ぶのは当然だった。 巨大な版図を流れる動脈血を、どのようにしたらタマネギたっぷり食べたサラサラ血液のようにすることができるか。 その答えの1つが帝政だ。 ルビコン川を越えて「賽は投げられた」あとの彼の活躍はみなさんご存知のとおり。 ローマ史上最大の権力を手にしたカエサルの家。地中海世界を事実上その手に握った権力者である。さぞかし大邸宅なのかと思いきや…… 小っさッ!! これはフォロ・ロマーノ内にある、最高神祇官公邸跡。 本人にその気さえあれば、死ぬまでその職に就けたのである。 執政官であれ非常時の独裁官であれ、共和政下のローマにおいては必ず「任期」があった。どんなに力をもっていようと、そのルールの範囲内ではその座に居座り続けることができなかったのだ。 そこでカエサルが目をつけたのが、任期がない「最高神祇官」の職。 その「ウマミ」に気がつくあたりが、我々凡百の徒とはまったく違う次元の人ってことなのだろう。 ともかくそんなわけで、カエサルはローマの実権をすべて握ったあとも一応「最高神祇官」であり続けた。そしてその職について以来、彼は死ぬまでずっとこの公邸に住み続けたという。 カエサルが政治家としてどうだったかというムツカシイ話はさておいて、広大な版図を有する国の実権を握っている人が、こんなに小さな家に住んでいたという話ひとつとってみても、彼が賽を投げた動機が、私利私欲に満ちた権力の魅力ではけっしてなく、ひとえにローマを思う気持ちゆえであることがわかる。 でもこれはあくまでも彼の一面だけを見た、美化しすぎの話かもしれない。 人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。 2000年経っても、人類ってこの当時から基本的に進歩してないんですね……。 この最高神祇官公邸はフォロ・ロマーノ内にある。 |