45・トレヴィの泉物語
ローマ初日の夕食後、ホテルまでの帰りに寄り道をした。 一大観光地とは…… ご存知トレヴィの泉。 こういうワイワイガヤガヤした感じがけっして嫌いではない………いや、むしろ好きな父ちゃんは、さっきまで帰りたがっていた雰囲気がウソのように俄然盛り上がる。 写真じゃ伝えようがないけど、溢れ出る水の音は、街中とは思えないほどに清涼感に満ちている。 この水道の起源はローマ時代にさかのぼるそうだ。 その後ローマの没落とともに水道はその役目を終えていたものの、ルネッサンス期になって復旧された。 そのおかげで、このトレヴィの泉のほかにも、ローマ市内にはいたるところで水が溢れている。 このトレヴィの泉で思い出すのは、ほかでもない、阪急梅田3番街のトレヴィの泉。 パクリだという事実を知って以降もなお、イメージは3番街の泉が濃厚に残っていたので、本家トレヴィの泉を訪れ、初めてナマで目にした僕は驚いてしまった。 でかい……。 このトレヴィの泉が今の姿になったのは18世紀のことで、その頃はすでに、ルネッサンス以前のキリスト教社会とはまったく違った世の中になっていたはず。 そんなトレヴィの泉。 泉に背を向けている人が多いのは、写真に写るためであると同時にコインを投げるためでもある。 我々もさっそく…… やや未練があったらしい父ちゃんにそう言い、今宵は眺めるだけにしておいた。 そして翌朝。 朝食の場所を確認すべく、一人で屋上のテラスとやらに行ってみると…… 西を見やると、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂はまだ夜の装いだ。 うーん……いい感じ♪ やはりシチリアよりはかなり北に位置するローマ。くわえて天気が良すぎて放射冷却が凄まじいのか、朝の寒さは雨のパレルモの比ではない。 でも朝食時くらいになると、お外で食べよって気になるくらいにはお日様が頑張ってくれた。 朝食は7時から。 朝のローマの街は、日中や夕刻、夜と違い、喧騒とは無縁なので心地いい。 誰もいな〜い♪ 朝の空気で聴く水の音がまたいい感じだったので、しばらく眺めていた。 泉に入ってるしッ!! 何やってるんだろ?? 「月に1、2回ホニャララホニャララで、まぁ彼はクレイジーなホニャララホニャララなのさ」 と、わざわざ英語で答えてくれたポリスマン。 人が多いときとはまた違うトレヴィの泉の姿を垣間見たあと、今度はパンテオンを目指すことにした。 で、トレヴィの泉からテケテケ歩いてみた。 ……って歩くこと10分。 さすがに変だと思ったのか、うちの奥さんが引き返したほうがいいんじゃない?と言った。 引き返すついでに、通りすがりの出勤途上っぽい男性に声を掛けてみたところ、いきなり声を掛けられて彼はかなり警戒モードだったものの、ちゃんと道を教えてくれた。 その言に従って歩いていると、チンタラ歩いている我々の傍らを、さきほどとは別のシニョーレが通り過ぎようとした。 すみません、パンテオンはどこかご存知ですか?? すると紳士は、その見かけどおりものすごく丁寧に教えてくれるではないか。 「ここから右に曲がってまっすぐ行ったらパンテオンですから!」 なんて親切なんだろう………。 お礼を言うと、彼は一言「Prego.」と言って足早に去っていった。 シニョーレのおかげで無事にパンテオンにたどり着き、この日の朝の散歩は終了した。 そして朝食後。 まずは父ちゃんを再びトレヴィの泉へと導き、早いうちに昨夜の未練を解消せねばならない。 …な〜んて言いながら盛り上げつつ、ホテルを出るやすぐに到着したトレヴィの泉。 が!!! 水が無〜いッ!? そうだったのだ。 まぁそれにしても、よりにもよって!! しかしなぜかうれしそうなオタマサ。 泉の底には、みんなの願いが込められたコインが、山のように積もっていた。 これらはみな、この日の清掃で回収されるようである。 それ以前に、コインを投げることすらできなかった父ちゃん。 |