12・百歩歩けば武家の風

 

 兼六園を出た頃、時刻はお昼過ぎになっていた。

 ちょうど小腹が空き始める頃合いながら、とにかく1日のすべてを夜にかけている我々は、ここでランチを堪能して満腹になるわけにはいかない。

 なので先ほどの焼きいなりのお店を再訪し、ほたてをゲットした、という話は先に触れた。

 今宵は金沢随一の繁華街香林坊のはずれにあるお店で飲む予定だったから、当初は出ずっぱりのまま午後も観光を続け、灯ともし頃になったらお店に行くつもりでいた。

 でもすでにけっこう歩き回って疲れたし、それに思っていたよりも宿からそれぞれの場所まで近い。
 だったらいったん宿に戻って休憩することにしよう。

 そのおかげで、先に触れた「急遽部屋が変更になった事態」に、日中の間に対応できたのである。

 当初の予定どおりだったら、夜中に酔っ払って帰ってきてから部屋の移動?なんてことになって、おそらく目も当てられない騒ぎになっていたことだろう。

 いったん宿に戻ることにした=部屋の変更で、いつでも好きな時に風呂に入れる部屋になった。
 おかげで、横になって休憩したあとひとっ風呂浴び、リフレッシュした体で午後に臨むことができたのである。

 もっとも、多くの観光客が観光に精を出している時間帯に、フカフカの羽毛布団で横になっていた我々ってどうなのよ……という話もあるけれど。

 昼寝から目覚めた午後の我々は、長町武家屋敷跡に行く。
 百万石通りをずっと行けばサルでもたどり着ける道のりながら、せっかくだから金沢城公園を横断していくことにしよう。

 ひととおり主要道路の位置関係は把握したから、大通り伝いに行かずとも目的地にはたどり着けそうだ。

 そうはいっても矢印のように直線距離で行けるはずはなく、ひょっとしたら百万石通りをたどってきたほうが早かったかも……というくらいの道のりを歩くことになってしまった。

 大通り以外の道にも、融雪用の水は完備されている。

 ただし大通りと違って、その水量は可愛らしい。

 雪はすでにすっかり解けていて、しかも路面が凍っているわけでもなし、こうしていつまでも水を出し続けている意味がどこにあるのだろう???

 いくら可愛らしい水量とはいっても、出しっぱなしじゃあ相当な水量になるだろうに。

 これって、道路脇に流れた水は排水溝を通ってどこかに集められ、濾過された後に再びポンプで循環されてるんですかね?

 いたるところといっていいくらいに隈なく完備されていたこの融雪用水道、そのシステムがどうなっているのか気になるところだ。

 これがさほど費用のかからぬ装置なのだったら、是非とも本部半島の海沿いの道に設置していただきたい。
 そこは立派な道路に整備されてはいるものの、なにしろ採石場に隣接していて、そこから出入りするダンプカーの通行路でもあるので、いついかなる時も砂塵にまみれているのだ。

 そのためひとたび雨でも降ろうものなら、通りかかる車はもれなく砂塵混じりの水しぶきの洗礼を受けることになる。

 その道路に絶えずこのいつでも水シャバシャバ装置が稼働していたら、道はいつでもきれいなままでなのではあるまいか。

 そんなことをしたら水がもったいない!!

 という方もいらっしゃるかもしれない。
 でも、泥はねで汚れまくったために洗車するヒトがいったいどれほどいるかと思えば、水チョロチョロの水道代なんて大したことはないかもしれないではないか。

 費用はもちろん、採石場の会社にも負担してもらおう。

 閑話休題。

 再び金沢城へ大手門から入り、お城の西側に位置する長町武家屋敷跡方面を目指す。

 お城にはもともといろんな門があるから、東西南北好きなところに出られるはず。

 ただ、現在金沢城はあちこち凄い勢いで復元工事が行われているため、本来通れるはずの道が通行止めになっていたりする。

 そんな復元工事のクライマックスを迎えている現場がここ。

 玉泉院丸庭園。

 三十間長屋がある高台の下方に位置するところで、いもり坂を歩くとその全容を見ることができる。

 兼六園はさすがに手に余るけれど、これくらいの庭だったら、個人でもアヒルなど飼いながら楽しく維持管理できそうな気もする……などとバカなことを言いながら眺めてみた。

 少し前はここにそんな遺構があったことすら誰も知らなかったくらいの庭園らしいんだけど、とにかく金沢城は最終的には全面的に江戸の昔の姿に戻るであろうと思われるほどに復元工事が盛んなので、発掘調査で何かあったとわかった途端、ただちに復元計画が成り立つほどの勢いがあるようだ。

 ここの完成は本来もうしばらく先に予定されているというのに、3月14日の北陸新幹線開通に合わせ、その1週間前から暫定的に一般公開を開始するという。

 建築史的にも金沢城の歴史的にもこの庭園は重要な存在ではあるんだろうけど、これを見たいがために金沢に来る人ってそんなに多くはないだろうから、なにも一般公開を早めなくてもいいと思うんだけど……

 …それを言っちゃあおしまいよってところか。

 いもり坂を下って再び城の外に出て、尾山神社の脇を行くと大通り(百万石通り)に出る。

 そして立派なその国道を渡って一筋奥に入ると、もうほどなく長町武家屋敷跡ゾーンだ。

 江戸の昔から流れる用水の水量が豊富で、けっしてドブではない「用水」の姿そのままに保全されているから、水流を眺めるだけで心落ち着く。

 江戸の景色を完膚なきまでに破壊した東京だったら、迷うことなく暗渠にされていたことだろう。

 しかし歴史とともに歩む金沢の人々は、用水をそのまま維持しつつ、住民のためにはいちいち小さな橋を渡すというヒト手間をかける。

 それが家であれ店であれ雑居ビルであれ、とにかく入り口のあるところすべてに橋が架かっていた。

 長町武家屋敷跡ゾーンを囲む形で東西に2つの用水があって、百万石通りに近い東側のこの用水は、鞍月用水と呼ばれている。

 その反対側の用水は、大野庄用水。

 写真じゃわからないけど、けっこうな水量が景気よく流れていて、ゴミもほとんどないからホントに心地よい空間だ。

 消火栓が随所に埋め込まれていたり、融雪用の水が道の真ん中から惜しげもなく流れ出る便利な現代社会とは違い、江戸の昔のこのあたりには防火に使える水場が無いので、近くを流れる犀川から取水して防火用水を設けたのだという。

 また、往時は生活用品を積んだ船がこの用水を往来していたそうで、ライフラインとしても重要な存在だったらしい。

 そんな用水を今もなお残しているくらいだから、かつて武家屋敷だった町並みを保存するとなれば、徹底的に保存しているに違いない。

 さっそく歩いてみよう!

 

 

 

 

 なるほど、聞きしに勝る町並みの保存ぶり!

 総延長にして3〜400メートル程度ながら、これでもかというほどに統一感たっぷりの土塀や長屋門。

 これらは琉球王国村のような再現セットではまったくなく、お店や史跡になっているところもある一方で、まったくフツーの個人宅であったりもするのだ。

 現在もこの町並みに、人々の暮らしが息づいているのである。

 その証拠に……

 かつての中級武士の屋敷の庭として無料公開されているところに公衆厠が設けられていて、そこに貼られていた貼り紙。

 町並みをきれいに保存するには、そこで暮らす人々の理解がまずなによりも大切なのだ。

 統一感に満ちた土塀にも、兼六園の木々に雪吊りが施されていたのと同様、冬の装いがある。
 菰掛けと呼ばれているこの土塀の防寒防雪対策は、冬ならではの光景。

 もっとも、雪吊り同様雪あってこその装いなんだけど……。

 昔から百万石も米が採れるだけあって、とにかく藁は無尽蔵。その藁を無駄なく利用するのがお国柄なのだろう。
 しかしそのひとつひとつの作業は、想像しただけでも気が遠くなる。

 ちなみに、菰掛けの技術的ディテールはこんな感じ。

 これらを、いったい誰が、いつどのように用意して、実際にこの場で作業しているんだろう。

 ここで暮らしているからというだけで、土塀を維持させられ菰掛けまで義務付けられるだなんてあり得ない……

 …と思ったので調べてみると、この菰掛けは、金沢市から委託を受けた庭師たちが作業をしているのだそうな。

 あの青いオジサンたちだろうか……。

 土塀が続く町並みを通り抜けると、先に紹介した大野庄用水沿いの通りに出る。
 この用水沿いにも趣きのある家々が軒を連ねており、ついつい立ち寄りたくなる魅惑的なお店も多い。

 そんな通りにあるのが、「野村家」。
 本島中城村にある「中村家」のようなものか……と思ったら、中村家は戦前の農家の様子を今に残しているのであって、武家屋敷でもなんでもなかった。

 そう、野村家は加賀前田家家中で千石以上の家禄があった、かなり上級のお武家さんなのである。
 ここ長町界隈で唯一一般に邸内を開放しているとのことで、せっかくだから訪ねてみることにした。

 さっそく邸内に入ってみる。
 おお、これがかつての武家の屋敷か……。

 この「野村家」の庭が、これまたミシュランで二つ星と評価されたとかなんとかいうことで、ガイドブック的には盛り上がっている。

 なるほどたしかに、欧州の方が「ああ、ジャパネスク……」と目をウットリさせそうな庭ではある。

 

 大野庄用水から取水された曲水が庭を流れ、落水まで設けられた流れは再び用水に戻るように作られているそうで、様々な形の灯篭、そしてそれらの絶妙な配置と建物との調和が、欧米の方々の琴線に触れたのだそうな。

 庭には樹齢400年の木々があったりして、歴史もしっかり兼ね備えている。
 しかし僕には、見ている時から実に素朴な疑問があった。

 百万石ご家中の千石取りの屋敷にしては、狭くね??

 これを書くにあたっていろいろ調べてみたところ、実はここ、たしかにかつての野村家の屋敷跡ではあるんだけど、明治後には土塀と庭の一部を遺してすべて取り壊され、菜園になっていたというのだ。

 加賀藩の支藩である大聖寺藩の豪商がどこぞに建てていた藩主接待用の豪邸の一部をその跡地に移築し、屋敷としての体裁を整えてあるのだとか。

 それってつまり、いつできた誰の家ってことなんですか??

 なんだかよくわからないけど、とにかく屋敷自体は家臣の野村さんとはなんの関係もないらしい。

 つまりミシュラン二ツ星という庭も、かつての野村家の屋敷にあった一部であるに過ぎないってことでしょ??

 なんだよ、すっかり誤解していたじゃないか。 

 ……と思ったら。

 立派な門構えの入り口に詳しく書かれていたのであった。

 説明文をよく読めってことですね……。

 それにしてもこの説明文、客観的な情報を伝えてくれているものとばかり思って読み進めると、最後の最後で思いっきり主観でしめる不思議な文章なのが面白い。

 その傾向は他でも見られた。
 屋敷内にあった庭園の説明文、そこでもやはり……

 …主観じめ。

 野村家跡を維持し続けている方々の、熱い思いがここに感じられてならない。

 屋敷には庭を上から見下ろせる茶室も併設されていて(左右の茶室の独特な天井は必見)、実際に和菓子と抹茶をオーダーすることもできるそうだけど、我々が訪問した午後4時過ぎにはお茶の営業はとっくに終了しており、窓辺から庭を眺めるだけで終了。

 その後、旧加賀藩士高田家跡という、平士階級の武士や武家奉公人たちの暮らしぶりを今に伝えてくれているところをサラッと見物し、途中の店で魅惑的な麩まんじゅうを1個買ってエネルギー補給などしつつ散策。

 再び鞍月用水方面に戻った頃には、時刻は午後4時半になっていた。 

 けっこう歩き回って疲労しているから、さらにこれ以上歩くのはキツイか…という恐れもあったけれど、香林坊の交差点のさらに先になる竪町商店街の端っこに、ちょっと寄ってみたい場所がある。
 
 現在地から片道だいたい30分くらいだろう。
 エネルギーは残りわずかでも時間はたっぷりあるから、せっかくなので足を運んでみることにした。

 香林坊の大きな交差点を越え、竪町商店街を歩く。
 その名から受けるレトロなイメージはなく、なんだかポップな雰囲気の商店街である。週末ともなるとかなりの賑わいになるという。

 でも平日で学校も職場もまだ終わっていない時刻のためか、商店街を歩く人の姿はまばらだ。

 江戸時代にタイムスリップしたかのような先ほどまでの町並みから、国道を隔てただけで華やかなショッピングストリートってのも不思議な感覚。

 アメリカンなショッピングモールがあちこちに出現するようになったあおりを受けて、日本全国のそこかしこで商店街が窮地に立っているという。
 でも現在の商店街の姿を保存し続けておけば、200年後の世界では、「20〜21世紀の商店街跡」として、多くの観光客でにぎわうようになるかもしれない……。

 さて、そんな近代的な商店街を歩いた果てにたどり着いたのがここ。

 安政六年創業の老舗お茶屋、野田屋さん。

 といっても、お茶っ葉を買い求めに来たわけではない。
 僕の目当てはこれだ。

 ほうじ茶ソフト!!

 さすが老舗のお茶屋さん、なんとほうじ茶をソフトクリームにしてしまったのだ。

 この野田屋さんは、老舗のお茶屋さんながら茶葉を売るだけの商いではなく、スイーツをいただくことができるカフェでもあるのだ。

 そんなお店にほうじ茶ソフトがあるなんて話を耳にしたので、昨年からほうじ茶侮りがたしと態度を改めていた僕は、チャンスがあれば是非とも味わってみたい…と思っていたのだった。

 そのチャンスがついに到来。

 一方オタマサもまたほうじ茶つながりで……

 ほうじ茶チャイ。
 添えられた甘味が黒蜜というあたりが、茶店風甘味処っぽくて素晴らしい。

 歩き疲れた体には、ただ腰掛けているだけでも人心地つくところ、優しい甘味が体の中にじんわりと広がったおかげで、このあとに続く本日のメインイベントに向け、改めて闘志が沸き立ってくるのであった。

 野田屋さんを出ると、あたりはすっかり灯ともし頃になっていた。

 夕暮れの商店街を再び元の方向に戻るうちに、日はどんどん暮れていく。

 今宵のメインイベント会場は、長町武家屋敷跡入り口付近の鞍月用水沿い、人呼んでせせらぎ通りにある。

 予約してある時刻にはまだ早かったので、KOHRINBO109内のスーパー、マルエーminiで地域の物産を物色し、百万石通りの電飾キラキラなどを眺めつつ、再び長町武家屋敷跡に寄ってみると……

 淡い暖色照明の外灯が穏やかに土塀を照らしだす、日中とはまた趣を異にする空間がそこに広がっていた。

 繁華街 百歩歩けば 武家の風。

 日本酒モードが、いやがうえにも盛り上がっていく………。