11・兼六園の鬼嫁
兼六園である。 水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並び、日本三名園のひとつと称される兼六園。 手元のガイドブックの兼六園の見出しでは、 季節ごとにビューティフル! と高らかに謳われている。 とにかく今では諸外国の人々にまでその名が轟きわたっている兼六園。 でもこれまでの人生では気軽に訪ねることができる距離ではなかったから、縁の無さでいうなら火星や土星とほとんど変わらない存在だったのだ。 そんな兼六園が、今目の前に!! 次回来ることがあるかどうかわからない我々である。 観光名所だけに観光客は金沢城公園どころの話ではないけれど、人が集まるホットスポット的なところというのは広大な園内でもだいたい決まっているので、まったくホットじゃないスポットではこうして苔などをのんびり撮っていられる。
つぶさに見るって………苔からですか!? いやいや、何の変哲もない……といってしまえばそれまでながら、「兼六園の」という枕詞が付くだけで、スギゴケ(?)も途端に格調高くなるじゃないですか。 「庭」であることをつい忘れてしまうほどの森の小径を抜けると、まず最初にたどり着くのがここ。
ご存知、ことじ燈籠。
二脚のうちの一本が何かの拍子で折れてしまい、以来非対称のままになっているそうな。 背後の木は楓かなにかで、新緑の季節や紅葉の季節に撮られた写真ばかりを事前にさんざん目にしていたおかげで、今眼前に広がるこの冬枯れの季節の何も無さ感ときたら!! 雪景色ならまだしも、「季節ごとにビューティフル!」にも限界はあるようだ。 ことじ燈籠を眺めつつ、曲水と呼ばれる小川のような細流伝いに先へ行くと、橋を渡ったところに広場がある。 兼六園の代名詞、唐崎松観賞スポットだ。
オタマサが兼六園で最も観たがっていた、雪吊りの本家本元。 2月の初旬なら、さぞかし美しい雪景色が、と期待していたのに……… 雪、無いんですけど。 聞いたところによると、なんでも近年の金沢は雪がすっかり減ったそうで、絵に描いたような雪景色の雪吊りなんて、そうしょっちゅう観られるものではなくなっているらしい。 それでも、食い入るように眺めるオタマサ。
さすがにこの時ばかりは、池の鯉を眺めていたわけではないようだ。 ただし彼女の場合、景観の美を鑑賞するというよりも、どちらかというと「この庭はどのような人々がどのように維持しているのであるか」という、テクニカル目線の興味になっているのは間違いない。 ところでこの松、なんで唐崎松(からさきのまつ)と呼ばれているのかというと、13代藩主前田斉泰がわざわざ琵琶湖畔の唐崎からクロマツの種を取り寄せ、直々に育てた松なのだそうな。 クロマツだったらそのへんのモノで良さそうなものなのに、なんでわざわざ琵琶湖畔の松を?? 不思議に思ったので調べてみると、琵琶湖畔の唐崎は当時から松で名を馳せていたのだった。
題して「唐崎之夜雨」。 ヒトの目に触れてなんぼだった当時の浮世絵となれば、全国的にこの唐崎の松が有名だったことは想像に難くない。 まぁ早い話、13代藩主はミーハーだったってことね。<勝手に断定。 鉄道や自動車が無い時代に、お殿様から「唐崎から松のタネ採ってきてね」なんて言われた家臣もさぞかし大変だったことだろう…。 でもそうやって大事に育てられたおかげで、樹齢180年を越えた今もなお、多くの観光客の目を楽しませてくれているのである。 ところで、この唐崎松の実家(?)の唐崎には、今もなお松が残っているのだろうか。 さらに調べてみると、さすが元祖の地、琵琶湖畔の唐崎は、時代劇のロケができそうなほどの湖畔。 ………って、この2日後に金沢からサンダーバードで京都に向かった際、我々は思いっきりその唐崎を通過していたことに今気がついた。 そういえば湖西線は琵琶湖の傍を通っていて、湖畔の松林が見事なところがあったなぁ。 この雪吊りを池の対岸から眺めてみると、また違った味わいがあった。
この霞ケ池で暮らしている鴨たちは、毎日名勝三昧の生活をしているのだ。 鴨が暮らしている池の水は曲水を経てもたらされていて、その元は、もともとはお城の防火用に設けられた用水から引かれているという。 園内を流れる曲水には随所に小さな橋があって、そのほとんどが通行可能なのに、この橋だけは見るだけで渡れない。
雁行橋と呼ばれる、石を繋げてできている橋。 観光客は渡れないから、この橋の写真といえば、こちら側か対岸側から撮られたモノしかない。 彼らだ。
庭師のオジサン。 広い園内をまず眺め、いったいどういう人たちの手で庭園が維持されているのだろうということに興味を抱いていたオタマサに、ちゃんと答えが用意されていた。 この青い防寒作業着の庭師のオジサンたちは、庭園の随所で何かの作業をしているのだ。 ここでも
ここでも。
時には1人で、時には5、6人がかりで、様々な作業をしている彼ら。 初夏にはこの曲水にカキツバタが咲き誇るという。 そうやって季節ごとに花が咲くのも、木々が美しい枝ぶりを維持しているのも、これすべて彼ら青いオジサンたちのおかげなのである。 知られざる尊い仕事を垣間見せてもらった。 さて、曲水に架かっている渡れる橋で最も有名なところといえば、この花見橋。
桜の季節、カキツバタの季節には、花を愛でる多くの観光客でにぎわうことだろう。 しかしこの季節はご覧のとおり。 ここまで来ると、「閑散期」というものが伊達ではないことがよくわかる。 ところで、今回冬の金沢を歩いてみて、とても印象に残ったものの一つが、上の写真にもある筵。 その効用はなるほどたしかに抜群で、見た目的にとってつけた感も無いから、年中敷いてあるのかと勘違いしそうなほど。 多くの観光客の転倒を防止してきたであろうこれらの筵もまた、青いオジサンたちの仕事に違いない。 この花見橋の近くに、「根上がりの松」と呼ばれる立派な松があった。 造形的に面白かったのに、写真を撮るのを忘れてしまった……。 池も小川もある園内には、なんと滝まであるという。 …と思ったら、そりゃ滝ぐらい造れるでしょってなくらいの高低差があった。
遊歩道が設けられた自然散策路のよう。 この階段を下りた先に、目指す滝があった。
翠(みどり)滝というそうな。 「滝」ということなら、そりゃあ本島北部の比地の大滝のほうがよっぽど迫力がある。 庭に滝って………。 しかし滝で驚いている場合ではなかった。 これ。
なんと日本最古の噴水だという。 もちろんポンプなど無い時代のこと、いったいどうやって水を噴き出させているのかというと、先ほどの霞ケ池の水を引き、高低差を利用して自然の圧力で噴水にしているのだとか。 霞ケ池の水量で噴水の高さは変化するそうだけど、常時高さ3.5メートルも噴き上がっているそうな。 その高い技術力には大いに感心する。 …と思っていたら、それには事情があったようだ。 というのもこの噴水は、実は試作品だというのである。 残念ながら二の丸は噴水どころかすべてが灰燼に帰してしまったから、「初号機」の噴水は遺された絵図の中に見えるだけ。
しかし「零号機」は、こうして今もなお水を噴き出し続けている。 しかも「試作」なのだから、たとえ二の丸の噴水が残っていようと復元されようと、「日本最古」という称号は揺るぎようもないのである。 さてさて、高低差もある庭園内をけっこう歩いたぞ。 が。 ここまでの道中にひとつだけ誤算があった。 かといって何カ所かある立派な茶店はお茶一杯がバカ高いから、さてさてどうしよう……と思っていたところ、見た目とっても昭和な売店があった。
まぁ、観光地にこういう茶店はつきものではある。
そのため、いかにも観光地にありそうな昭和な茶店が、むしろ際立った存在になっていた。 我々が通りかかった時には他にお客さんがおらず、濡れていないベンチを利用できそうだったから、休憩がてら甘酒でもいただくことにした。 冬の散策で疲れた体には、甘酒が人生的に正しい選択なのである。 注文すると、人好きのしそうなオジサンがストーブの傍の腰掛けに案内してくれた。 奥で甘酒が準備されている間、そのオジサンと話す。 すると驚いたことに、そのオジサンはやたらと現在の沖縄の時事モンダイに詳しく、まるで沖縄タイムスか琉球新報を普段から読んでおられるのではないかとさえ思ったほどだ。 だって、就任間もない沖縄県知事の名前や知事が抱えているモンダイなんて、内地の方がとっさに言えます?? 挙句の果てには、基地の負担は沖縄だけに任せるのではなく、日本全国で分け合わなければらないという論調で熱く語っておられた。 県民としてはとてもありがたいその政治信条、いったいこのお店は?? と不思議に思っていると、甘酒が出てきてしばらくした頃に、 「じゃあ、行くわ」 と、奥にいた女将さんに告げるオジサン。 「あら行くの?」 「うん」 なんてやりとりのあと、オジサンはサササとどこかに行ってしまった。 あれ? あの方、お店の方ですよね? 「ううん、でもああしてたまに手伝ってくれるのよ」 ええッ??? だって、我々がいる間に訪れたアジアン女性の応対も、「何言ってんだかわかんないんだけどね、ハハハ…」なんてあとで言いながらも、ちゃんとしてましたよ、あのオジサン…。 なんとも素敵なこのノリ。 奥にはご主人もいらっしゃった。 まさか兼六園の茶店で、そんな昔の沖縄をご存知の方とお会いできるとは思いもよらなかった。 ちょっぴりファンキーなご主人によるとこの茶店の歴史は長いらしく、話しぶりからすると二代目店主のような雰囲気だった。 そこで不思議に思うことが。 そんな兼六園で昔から茶店を出している方って、いったいどういう力と権利を持った存在なんだろう??? ひょっとして、とある知られざる世界のゴッドファーザーとか。 ……なんてことを思い浮かべつついただく甘酒は、歩き疲れた体にとても優しく、そして深く染み渡る。
なにはともあれ、兼六園。 その名が高らかに謳う六勝の景色を、この庭園でじっくり眺め味わうことができたかどうかははなはだアヤシイところながら、「庭園」の基準値を凌駕しているスケールと懐の深さは、とても1度や2度で味わい尽くせるものではないことだけはハッキリわかった。 できることなら、いろんな季節に訪れてみたい……。 名園の余韻に浸りつつ、再び石川門側の出入り口(桂坂)から外に出ようと歩いていたら、テレビカメラを抱えた人をはじめとするテレビクルーらしき人々の一団がいた。 北陸新幹線開通を前に、近頃とみにテレビの露出が増えている金沢だから、またぞろ何かのロケなんだろうと思っているとき、いかにも芸能人というオーラを周囲にふりまきながらこちらに向かって歩いてくる人と目が合ってしまった。 ああッ!北斗晶!!! …と心で叫びつつ、ナニゴトもなかったようにすれ違う私。 そんなオバちゃんたちと気さくに話している彼女の姿は、「鬼嫁」とは似ても似つかぬ優しげな雰囲気。 でもまさか、兼六園で北斗晶に出会うとはなぁ……(北斗晶兼六園訪問の様子はこちらをご参照ください)。 その翌日、テレビで流れていた節分のニュースでは、彼女は力道山が眠る池上本門寺で、他のプロレスラーたちとともに豆まきをしていた。 タレントさんは忙しいのである。 というわけで、人生初の兼六園で最も印象に残る存在が、最後の最後で北斗晶になってしまったけれど、金沢城公園から始まり兼六園を巡るという、サザエさんのオープニング的観光という意味では、申し分のない午前中を過ごすことができた我々なのだった。 |