16・ひがし茶屋街の福は内
いいコンコロもちになったので、またフラフラテケテケ歩いていったん宿に戻り、惰眠を貪る。 酔いがさめゆくけだるい昼下がり、我々は宿から歩いて10分ほどのところにいた。
ご存知、ひがし茶屋街。 金沢に3つある茶屋街のうちで、最も大きく最もにぎやかで最も有名なところ。 江戸時代に形成された茶屋街だそうで、通りは今もなお往時の面影を偲ばせている。
格子戸の家並はすべて現役の建物で、一見さん不可の茶屋だったり、カフェだったり、茶店だったり、伝統工芸の店だったり。 それらすべてが景観にマッチしたたたずまいなので、ただこの通りにたたずんでいるだけで心地よくなる空間だ。 そういえば、91年に金沢に来ている実家の両親は、当時ここひがし茶屋街も訪ねていて、その写真も残っていた。
上の写真で僕が立っているところと、ほぼ同じ場所にたたずむ母の図。 建物は当時と変わらぬたたずまいっぽいけど…… あれ? 道路は普通にアスファルト舗装じゃん。 金沢の観光地として代表的なひがし茶屋街は、京都が舞台であるはずの映画(舞妓haaaan!!!)のロケ地になっているほか、金沢の観光CMには必ずといっていいほど和装の女優さんが歩いているほどに、現在では各方面でその景観がもてはやされている。 観光客の年齢層もけっこう若い方向に広がっているようで、「カワイイ♪」連呼系のおねーさんたちの姿も多かった。 しかしそんなオサレーな茶屋街も、ほんの四半世紀前の見た目は、ただの「ちょっと古びた町」ってな感じだったのだ。 古びた町も、手の入れよう、保存のしよう次第で、いくらでも人を呼ぶことができる秀でた観光名所になるってことですな。 そんなひがし茶屋街を、どの店に入るでもなくブラブラしてみた。 メインストリートからちょっと裏路地に入ると、さらに味のあるヴィッコロストレットがあった。
表通りもこういう裏路地も、各店の看板は慎ましやかかつオシャレなものばかり。
また、江戸の昔のお茶屋の姿をそのままにとどめ、一般公開していることで有名な国指定重要文化財「志摩」も、うっかりすると気づかずに通り過ぎてしまいかねないほどに慎ましやかな看板しか掲げていない。
また、たとえ店先での売り物の紹介はでかくとも、まったく景観を乱していないというケースもある。
これがイオンモールやマツモトキヨシ、ビックカメラなんかだったら、こうはいかんでしょう。 看板や広告がでしゃばり過ぎない街なんて、かつてのこの国の当たり前の姿だったというのに、100メートル離れたところからでも見える大きな看板やずらりと並ぶ派手な幟に慣れてしまった我々日本人には、むしろ異国のような風情にすら思えてしまう。 景観が保持された観光地にも、やはりその地域の暮らしがある。
ガレージにすら、格子戸が……。 景観の保全を優先する地域で暮らすには、なにかといろいろヒト手間フタ手間かかるに違いない。 歩いていると、不思議なものがあった。 どうもトウモロコシにしか見えないものがそこかしこの軒先に吊るされているのだ。
なにやら縁起物っぽい雰囲気。 後日調べてみて驚いた。 気になった方は調べてみてね。キーワードは「四万六千日」。 この茶屋街を通り抜けた先は小高い丘になっていて、その山上にある寶泉寺から、金沢市内を一望できるという。 すると、茶屋街を抜けてすぐのところにある宇多須神社が、なにやら尋常ならざる賑わいを見せていた。 大勢の人で溢れている境内には、紅白の幕もかかっている。 ひょっとしてまた北斗晶? …と思ったら、鬼は鬼でも鬼嫁ではなく、鬼は外のイベントだった。 そう、すっかり忘れていたけど、この日2月3日は節分だったのだ。
A1サイズほどの大きなこのポスター、後刻再び茶屋街を歩いた時になってようやく、茶屋街のそこらじゅうに貼られていることに気づいた次第……。 ひがし茶屋街ではこの宇多須神社で節分のお祭りをするのが恒例だそうで、今では多くの観光客の知るところとなって、かなり賑わうようになっているのだとか。 そんなこととはつゆ知らずたまたま通りかかった我々は、つゆ知らなかったがために、「ふるまい樽酒」という、お祭り中で最も重要(?)なプログラムを逃してしまっていたのだった。 境内では神職による節分の神事がとりおこなわれていたものの、ウートートーを眺めつづけていてもしょうがないので、とりあえずスルーして丘を登ることにした。 地図上ではさほど距離がないからタカをくくっていたところ、けっこう急勾配の坂を上った後に、こんな階段が待ち受けていた。
どこであれ、ベルベデーレへの道は険しいのだ。 ようやく階段を登り終え、眺望がよさそうなところに行くと……
おお、ベルベデーレ! 上から見ると、ひがし茶屋街は木々の間からかろうじて一部が見える程度だけど、
我々が泊まっている主計町茶屋街は、群れ飛ぶユリカモメも含めてよく見えた。
そうやってわりと近いところに注目していたとき、オタマサが素敵なものを見つけた。 これ。
なんと、ここから兼六園の唐崎松&雪吊りが見えるのだ。 ということは………
やっぱり!! 前日はうっすら雪化粧だったから屋根が白いのかと思っていたんだけど、実はこれは鉛瓦の色なのだそうな。 五十間長屋の中で鉛瓦の説明ブースがあって、フムフム…と読んでいたのに、白い屋根を見てもまったくピンときていなかった……。 ところで、ここから五十間長屋が見えるってことは、五十間長屋の脇の橋爪門櫓からも見えていたってことになる。 だったら、櫓から撮った写真に写っているかな?と思って改めて写真を見てみたところ、残念ながら櫓からはこっち方面を撮ってはいなかった。 でも、その後撮ったこの写真には……
…おそらく右側の小高い丘に、寶泉寺の展望スペースがあるはず。 まぁ、だからどうしたと言われればそれまでのことなのに、これを書いている最中にグーグルマップと写真を見比べながら方位を測定したりして、実にムダな時間を費やしてしまったのだった。 ひとしきり眺望を楽しんだ後、元来た道を戻る。 途中、坂を下る年配のご婦人と登ってくるオジサンがすれ違いざまに会話していた。
聞くともなしに耳に入ったところによると、登って来た方は節分のイベントを観に行っていたのだけど、あまりに人が多いからもういいやッてことで帰ってきたのだという。 たしかに混雑していたのはたしかながら、帰ってきたオジサンにとっては、すでに終了しているふるまい樽酒が最重要プログラムだったのだろう。 ともあれ、どうやらそろそろ豆まきが始まるらしい。 そしてお祭りは、豆まきの前のプログラムに。 そう、芸妓さんたちの奉納踊り。 ここひがし茶屋街のホンマモノの芸妓さんである。 それが今、目の前……といってもずっと向こう……で、5、6人の芸妓さんたちが惜しげもなく踊りを披露しているではないか。 これは撮っておかねば。 が。 境内の外からでは、5、6人全員を一度に撮れるポールポジションはもちろんのこと、芸妓さん一人を眺めることすらおぼつかない。 なにしろ黒山の人だかりなのだから。
芸妓さんたちは、奥の本殿で踊っている。 すると、我々と同じくはなから境内に入るのは諦めている地元の方が、 「ここからが一番よく見えるよ」 とニコやかに教えてくださった。
おお、芸妓haaaan!!! オジサン、場所を教えてくれてありがとう! 金沢のヒトたちは、運転は荒いけど気は優しい。 最後はカチャーシーのような景気良い音楽の踊りで終了。 「鬼は〜〜外ッ!福は〜〜〜内ッ!!」 という掛け声が。 豆まきが始まったのだ。 この場にいながらスルーするのもなんなので、再び宇多須神社へ。 おお、芸妓さんたちが豆まきをしている!!
なんとも艶っぽい豆まきだこと! 気がつくと、いつの間にかオタマサの姿が消えていた。 僕はとうに諦めていたけど、小さなオタマサなら、スルスルスルと人の隙間を行くことができるのだ。 が。 スルスルスルと行くことはできても、誰よりも背が足りないから、撒かれる豆はけっしてゲットできないのであった……。 ただし、壇上の女性たちを間近で見てきた彼女は、実際に踊りを踊っていた芸妓さんたちではなく、さほど化粧を施していない女将さんのような女性が最も艶っぽかった、と力説していた。 この方。
オタマサによると、懇意にしている旦那衆なのか、目が合った御仁に豆を投げようとする所作が、なんともステキだったという。 考えてみると、節分の行事はニュースなどでよく目にするものの、こうしてその場にいたことはこれまで一度もなかった。 人生初の金沢で、人生初の節分行事。 …あるわけないっちゅうの。 ともかくそんなこんなで、昼下がりの茶屋街散歩は終了。
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