余録1・車内のシアワセ・不幸せ
金沢・富山と京都・大阪を結ぶ鉄路といえば、その昔は特急雷鳥だった。 当時も今も1時間に1本ほどのペースで数多く運行しているけれど、その昔は「雷鳥」だった特急はサンダーバードと名を改め、車両も昔と比べるとすっかり顔つき(?)が変わっていた。
なんだかアイアンマンみたい……。 サンダーバードは、2時間余で京都に着く。 自由席のため、これで座れなかったら目も当てられないところながら、2月初旬の平日に満席になっているはずはなかった。 余裕で座席確保♪ ただしこの時。 オタマサは確信を持って進行方向右側の席に座った。 路線図を見ると敦賀直前の区間でまた海の傍を通るようだから、日本海を見納めたかったらしい。 海を見るなら右側だけど……湖西線を走るんだから琵琶湖は左側になるんじゃないの?? するとオタマサは、これまた確信をもって言うのである。 「琵琶湖の東側を通るんだよ」 すなわち、米原に出てから東海道線に合流するという。 はて、サンダーバードって琵琶湖の東側を通るんだったっけ?? でもまぁ、時刻表を穴の開くほど見続けて予定を組んでくれたオタマサだから、きっと彼女の方が正しいのだろう。
さてさて、そんなわけで車内宴席の場をしっかり確保し、さっそく魅惑の品々を簡易テーブルの上に並べよう。 そんな魅惑の品々のメインディッシュはこれ!!
鬼と牡丹のエビ兄弟♪ もちろん、前日に鬼エビを堪能した店で、今朝購入したもの。
しかも、醤油もワサビもワリバシも添えてくれて、鬼エビの卵も捨てちゃわないでねとお願いすると、わざわざアルミホイルの器に入れてくれていた。 これはもう、「お帰りの電車の中でも食べられます!」と宣伝してもいいんじゃなかろうか。 まずはボタンエビをいただいてみよう。
おお、尻尾の皮はすでに剥いてくれてあるとはいえ、今にもピチピチ跳ね飛びそうな鮮度!! 市場で売られていたボタンエビには国産とロシア産の2種類あって、国産は大振りでやや高い。 尾を切り離し、まずは一口いただいてみる。 ああ、甦る昨夜の寿司の記憶……。 住んでいる水深が300メートルから500メートルと深いところだからだろうか、同じプリプリでも浅海で暮らすイセエビやクルマエビとは食感が違い、透明感を湛えているかのようなイメージ。 上品な甘さもまた、深さがもたらすものなのだろう。 でまた深いところに住んでいるエビちゃんたちは味噌が多い。 味噌好きオタマサときたら、 「わたしゃ味噌だけでもいいくらいだよ……」 と、突如ちびまる子ちゃん化するほどにたっぷりの量で、しかも美味いときたもんだ。 鬼エビも食べ比べてみよう。
これがまた、思わず「ゴン太君ごめんなさいッ!!」って言いそうになるくらいにカワイイ。 前日いただいた時から、どこかこうダイビング中に目にするエビちゃんたちに相通じるところがあるフォルムだなぁと思っていたら、なんと鬼エビの本名はイバラモエビなのだった。 モエビといえばほら、イソギンチャクモエビとか、アカシマシラヒゲエビとか、ホワイトソックスことシロボシアカモエビあたりのエビね。 そんなモエビ科の中でもこの鬼エビことイバラモエビは大型種だそうで、だからこそこうして食用になっているのである。 そうか、君はアカシマシラヒゲエビの親戚だったか。 彼らの生息水深も200〜300メートルと深いので、その甘さ、プリプリ感も相当なモノ。 鬼と牡丹、それぞれ1匹ずつしか買わなかったのに、2人でいただくには十分すぎるほどの量。 ……瞬時に破産しそうだ。 そのほか近江町コロッケで買い求めた甘海老コロッケとたらの芽の天麩羅などの肴を、先ほど写っていた神泉、そしてこの酒で流し込む。
いやあ、極楽極楽。 そうこうするうちに、サンダーバードは武生を通り過ぎ、敦賀までの海沿いの線路にさしかかっている…… ……はずだった。 でも海は見えない。 この路線で唯一の日本海最接近区間だったはずの場所は、実はトンネルゾーンだったのだ。 しかも!! 近江塩津を通り過ぎ、さあいよいよ琵琶湖畔にさしかかると…… 琵琶湖の湖面は左側に見えていた。 やっぱ湖西線側を走るんじゃないの?? 慌てて路線図を確かめたオタマサ、次に通り過ぎた駅名を車窓から見ると、はたして「近江今津」。 湖西線じゃんッ!!(火暴) 間近で海や湖を観ようというオタマサの野望は、己の浅はかな事実認識力不足のため、あえなく木端ミジンコに崩れ去ったのであった。 それまでシアワセの酒肴でご満悦だったオタマサ、自棄酒に変身。
おとなしく山でも見ながら反省していなさい。ハッハッハ。 そんな極私的悲喜こもごもを載せ、サンダーバードは時刻表どおり京都駅に到着。 この時間で金沢と行き来できるのであれば、週末ごとに行ってしまうかも、ワタシたち……。 京都では京都第2タワーホテルという、いささか昭和なホテルに宿を取っていた。 はたして京都で誰が待っているのか。 ここにきて大きな謎をはらみつつ、夕刻にホテルを出ると、御年50歳の京都タワーが妖しく微笑んでいた。
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